カープ歓喜の瞬間までの長かった道のり 選手、ファンは苦汁をなめ続けた
25年ぶりに歓喜の時を迎えた広島。この長い間にいったい何があったのだろうか? 【写真は共同】
黄金時代を支えた戦力がチームを去る
(左から)黄金時代を投手として支えた北別府学、大野豊と強力打線を引っ張った前田智徳 【写真は共同、画像制作:ベースボール・タイムズ】
94年は持ち直して3位、95年も2位と上位争いを続けたが優勝を逃すと、96年には前半戦を独走しておきながら、巨人に最大11.5ゲーム差を逆転される「メークドラマ」を決められて3位。そして、97年は3位ながら借金3の成績に終わると、98年には5位に沈み、この年から悪夢の15年連続Bクラスが始まることになる。
この間、チームを襲ったのは世代交代の波だった。92年に達川光男、94年に北別府学が引退すると、同年オフに川口和久は巨人にFA移籍。98年には大野豊と正田耕三も引退し、特に投手王国を支えた面々が次々とチームを離脱した。98年に小林幹英がリリーフで9勝18セーブの大活躍を見せ、野手陣は前田智徳、江藤智、野村謙二郎、金本知憲、緒方孝市といった猛者たちが頭角を現して魅力的な打線を構築したが、全体を見ると黄金期、投手王国と呼ばれたチームが徐々に衰退していった時期であった。
それでも94年から4年連続Aクラスと、まだまだ優勝してもおかしくない戦力がそろっていたことも確か。この時期に1度でも優勝しておけば、その後の流れも変わったのかもしれなかった…….。
個々の活躍は目立つもBクラスが続く
抑えから先発に復帰し、99年には15勝を挙げるなど活躍した佐々岡真司(左)、だが99年オフに江藤智(中央)、02年オフに金本知憲(右)がFAで流出した 【写真は共同、画像制作:ベースボール・タイムズ】
チーム再建を目指し、01年からは赤ヘル黄金期の主役であり、監督としても91年の優勝に導いた山本浩二氏が2度目の監督に就任。しかし、投打において戦力が整わず、監督復帰1年目を4位で終えると、2年目からは3年連続の5位。5年目の05年には93年以来12年ぶりとなる最下位となった。
選手個々を見ると、99年に佐々岡真司がノーヒットノーランを達成するなどエースとして完全復活を遂げ、00年には金本知憲がトリプルスリーを達成。05年には黒田博樹が15勝で最多勝、新井貴浩が43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得するなど印象的な活躍をした選手も多くいた。だが、江藤、金本のFA流出などもあり、チームとしては結果が出せずに低空飛行が続いた。
黄金期の栄光、そして常に優勝争いをしていた記憶もまだまだ残っていただけに、カープファンにとっては非常に耐えがたい日々だっただろう。