カープ歓喜の瞬間までの長かった道のり 選手、ファンは苦汁をなめ続けた

ベースボール・タイムズ

25年ぶりに歓喜の時を迎えた広島。この長い間にいったい何があったのだろうか? 【写真は共同】

 1975年の初優勝、そして79、80年のリーグ連覇から黄金時代を過ごした赤ヘル軍団だが、91年に6度目の優勝を飾って以来、長きに渡って苦汁をなめ続けた。25年。その“待たされた”四半世紀を、4つの時期に分割しながら今一度、振り返ってみたい。

黄金時代を支えた戦力がチームを去る

(左から)黄金時代を投手として支えた北別府学、大野豊と強力打線を引っ張った前田智徳 【写真は共同、画像制作:ベースボール・タイムズ】

 91年に5年ぶり6度目の優勝を飾った広島。翌92年は大混戦となり、優勝したヤクルトから3ゲーム差、同率2位の巨人、阪神とは1ゲーム差という僅差ながら4位。10年ぶりのBクラスに終わった。そして翌93年、7月20日に“炎のストッパー”津田恒実が32歳の若さで他界。チームも急失速して74年以来19年ぶりの最下位に沈んだ。

 94年は持ち直して3位、95年も2位と上位争いを続けたが優勝を逃すと、96年には前半戦を独走しておきながら、巨人に最大11.5ゲーム差を逆転される「メークドラマ」を決められて3位。そして、97年は3位ながら借金3の成績に終わると、98年には5位に沈み、この年から悪夢の15年連続Bクラスが始まることになる。

 この間、チームを襲ったのは世代交代の波だった。92年に達川光男、94年に北別府学が引退すると、同年オフに川口和久は巨人にFA移籍。98年には大野豊と正田耕三も引退し、特に投手王国を支えた面々が次々とチームを離脱した。98年に小林幹英がリリーフで9勝18セーブの大活躍を見せ、野手陣は前田智徳、江藤智、野村謙二郎、金本知憲、緒方孝市といった猛者たちが頭角を現して魅力的な打線を構築したが、全体を見ると黄金期、投手王国と呼ばれたチームが徐々に衰退していった時期であった。
 
 それでも94年から4年連続Aクラスと、まだまだ優勝してもおかしくない戦力がそろっていたことも確か。この時期に1度でも優勝しておけば、その後の流れも変わったのかもしれなかった…….。

個々の活躍は目立つもBクラスが続く

抑えから先発に復帰し、99年には15勝を挙げるなど活躍した佐々岡真司(左)、だが99年オフに江藤智(中央)、02年オフに金本知憲(右)がFAで流出した 【写真は共同、画像制作:ベースボール・タイムズ】

 借金15で5位に終わった前年からの巻き返しを図ろうと、チームを5年率いた三村敏之監督に代わり、新たに達川光男(当時・晃豊)を監督に据えたのが99年だった。しかし、伝統の猛練習も実らずに前年よりも多い借金21を背負って再び5位に終わると、翌2000年も主力にケガ人が続出したこともあって2年連続の5位に終わった。

 チーム再建を目指し、01年からは赤ヘル黄金期の主役であり、監督としても91年の優勝に導いた山本浩二氏が2度目の監督に就任。しかし、投打において戦力が整わず、監督復帰1年目を4位で終えると、2年目からは3年連続の5位。5年目の05年には93年以来12年ぶりとなる最下位となった。

 選手個々を見ると、99年に佐々岡真司がノーヒットノーランを達成するなどエースとして完全復活を遂げ、00年には金本知憲がトリプルスリーを達成。05年には黒田博樹が15勝で最多勝、新井貴浩が43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得するなど印象的な活躍をした選手も多くいた。だが、江藤、金本のFA流出などもあり、チームとしては結果が出せずに低空飛行が続いた。

 黄金期の栄光、そして常に優勝争いをしていた記憶もまだまだ残っていただけに、カープファンにとっては非常に耐えがたい日々だっただろう。

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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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