岡田武史オーナーに魅せられFC今治へ 育成コーチが感じたメソッドの効果

川端暁彦

育成U−12コーチ、渡辺憲司という男

U−12の渡辺憲司コーチは、大ファンである岡田武史オーナーと仕事をするためにFC今治にやってきた 【スポーツナビ】

「正直な話、岡田さんの大ファンだったんですよ」

 どうして今治に来たのかというこちらの素朴な疑問に、FC今治U−12の渡辺憲司コーチは真顔で回答してきた。本当にそれが理由なのだという。

 1983年生まれ、愛知県出身。名東高校から中京大学へ進んで、フェルヴォローザ石川とグルージャ盛岡でプレーし、引退後は名古屋グランパスの育成コーチなどとして活動してきた。そのキャリアから今治との接点を見いだせなかったからこその質問なのだが、「今治とは縁も何もなかったですよ」と笑う。

 やって来た理由は岡田武史オーナーのファンだから。どのくらいのファンかと言えば、「スマートフォンに岡田さんの記事が常に入ってくるようにしていた」というくらいのファンだと言う。しかし、何でファンになったのだろうか。

「岡田さんが日本代表監督だった2009年から指導者になっているので、その影響があったのだと思います。あの当時すごくたたかれていたじゃないですか。こんなに言われているのにメディアに対して堂々と話している姿、人としての芯の強さがとにかく好きで。そのあと10年にワールドカップの結果(ベスト16)が実際に出た。でも結果が出たからといって、それに対して『当然のことをしてきた結果がこれなんだ』というスタンスがすごく好きでした。ドキュメンタリーとかを見ても考え方に共感するものが多くて……」

熱意を伝え、自分でつかんだ新たな挑戦

 ちょっと話を振ってみると岡田愛が溢れてきて止まらなかった。「信者みたいなものですよ」という言葉に信ぴょう性があることはすぐに理解できた。今治に来たのも、まさに「愛」ゆえにだと言う。

「ある日、岡田さんがFC今治でやるというのがメディアに出たんです。僕の感覚からすると、雲の上の人が地上に降り立ったくらいの感覚でした。このチャンスを逃したら一生岡田さんと仕事ができる機会はないかもしれないと思って、自分からお願いしました」

 それが14年のことで、自薦だった。「最初はあっさり断られた」と笑いつつ、「とにかく話だけでも聞いてくれ」という情熱が実って岡田さんとの会談にこぎ着けた。そして「ウチに来てくれ」という返事が来た。「(今治と)縁はなかったですけれど、岡田さんのビジョンだとか、育成から一貫した指導をしていくという楽しみがあって、わくわくすると思って飛び込んできたって感じですね」と言う渡辺氏の思いの強さが買われたということなのだろう。

 名古屋というJクラブの中でも特に大きなチーム、そして自分の生まれ故郷を離れて、遠く今治を目指す。とてつもない挑戦に思えるが、渡辺コーチは「違和感はまるでなかった」と一笑に付す。

「そもそも『名古屋で俺はこうやってきたぞ』とプレゼンする形で岡田さんと話していたら、(今治に)入れてもらえなかったと思うんですよね。岡田さんのやりたいことを聞いて、その実現に力を尽くしたいと思っていましたし、そこは変な話、自分の経験をある意味でゼロにして、受け入れてやっていこうというスタンスでした」

 憧れの岡田メソッド。それを自分の中へ素直に取り込んだ上で、ボールを蹴り始めて間もない小学生たちに落とし込んでいく。渡辺コーチの「新鮮で楽しい」挑戦が昨年から始まることになった。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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