新日本退団の中邑「大きな決断だった」 返還したIC王座は「自分の誇り」
1月末で新日本プロレスを退団する中邑真輔 【スポーツナビ】
会見の冒頭、中邑は「非常に大きな大きな決断だった。この決断を尊重し、壮行試合を組んでくれた新日本に感謝している」とコメントし、育ててくれた新日本への感謝の気持ちを示した。今後については海外への挑戦が噂されているが、「新たな刺激、環境、舞台を求めて挑戦していければ」と、新たな挑戦に臨むと話した。
記者との質疑応答の後、現在保持しているIWGPインターコンチネンタル王者のベルトを菅林直樹会長に返還。また菅林会長からねぎらいの言葉と花束を贈られると、深々と頭を下げた。
以下、会見での中邑のコメントと質疑応答。
退団を決意したのは昨年11月
退団を決意したのは昨年11月だったと話す 【スポーツナビ】
2003年に入団して、苦楽をともにし、ともに歩んできた菅林さんを始め、社員の皆様、選手、関係者の皆様、そしてファンの皆様には非常に感謝しております。ありがとうございます。
今後は、新たな刺激、環境、舞台を求めて挑戦していければと思います。
――新日本プロレスではやりたいことをやり尽くしたのか?
退団を決意したことに関しては、ひとつだけの理由ではないです。自分の年齢的なことを含め、且つ、新日本プロレスで戦う上で培ってきた価値観や、自分の感情、そういうものを統合して、今しかないと思った上での決断です。
――退団を決意したタイミングは?
悩んでいたのは、2年ぐらい前から。決意という形になると、昨年11月あたりでしょうか?
――決意に到ったポイントは?
2015年の新日本プロレスにおける自分のプロレスというものは、常に100%以上のものを求めて、且つ、自分にとっては特別な、今の中邑真輔を形成する上で大切だった人間とやりあえたというものですかね。1月4日の飯伏(幸太)から、12月の後楽園での田口(隆祐)に到るまでです。
残り2試合「自分の中に何が起こるか楽しみ」
IC王座を返還。「価値を創造できたのは、自分の誇り」 【スポーツナビ】
どういう状況下においても、そこに落とし込める“遊び”があるのであれば、それがどんなに小さな隙間であっても、全人格で中邑真輔のプロレスを出すと。これまでもそうしてきたように、これからもそうしていこうと思っています。
――ライバルの棚橋弘至選手に一言。
直接言います。
――12年間の新日本プロレスで送った時間とは、中邑選手にとってどうだったか?
自分で言うのも何ですが、こんなレスラー他にいなかったと。デビューまでの経緯から、デビューしてからの数々の挑戦。時代がガラッと変わったわけではないのですが、すべてが自分にとっては、かけがえのないものだったんだなと感じられました。その当時は死にもの狂いでただひたすら前だけ向いてやっていたのですが、でも、今の新日本プロレスは何があっても、誰もがチャンスを自ら作り、且つ、つかめる舞台になりえると思っています。
――返上となるインターコンチネンタルのベルトについては?
そうですね……、返上という形になってしまいますが、新しい価値観を創造できたという部分では、自分だけではないですが、自分の誇りであると感じています。
――残り2試合となるが、非常にゆかりのある選手との試合が組まれているが?
まあ、年間100試合以上、それが約13年。誰もかれもを、仲間や兄弟のように思っていますが、所沢、後楽園で戦う人間というのは、非常に自分のプロレスラーとしての物語の中で重要な役割をしてきた面子なので、リングに立ってみないと分かりませんが、いろいろな感情が、自分の中に起こるかもと思っています。さみしさもありますが、非常に楽しみです。
菅林会長から花束を贈られ、深々と頭を下げた 【スポーツナビ】
約13年間、中邑を育ててきたライオンのマークに未練は残るようだが、それでも新たな挑戦を選んだ 【スポーツナビ】
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