復活を印象づけた今井正人の自負 元日の好走で開けたリオ五輪への視界
60回目の記念開催となった全日本実業団駅伝。今年も見どころが多かった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
エース区間の4区では序盤からハイペースで突っ込んだHondaの設楽悠太が、自身が持っていた区間記録を2秒更新する1時間02分45秒の区間新を記録。またトヨタ自動車の6区・田中秀幸が昨年に引き続き見せた、並走するコニカミノルタをすっと引き離すうまい走りも圧巻だった。
一方で、期待外れだったのが旭化成。11月末の八王子ロングディスタンスで1万メートルの日本記録を14年ぶりに更新した鎧坂哲哉と村山紘太が1区と2区(編注:鎧坂、紘太共に従来の記録を更新。しかし、紘太が同走した鎧坂を0.05秒上回り日本記録保持者となる)、エース区間の4区に村山謙太と、世界選手権の代表選手を3人そろえ優勝も期待される戦力だった。しかし、1区・鎧坂がロングディスタンス後のケガの影響でトップから10秒遅れの16位にとどまると、外国人区間を走った紘太は周囲の選手の走りの中で自分のペースに不安を感じて自分の走りをできず。3区で村山兄弟と同じ新人の大六野秀畝が少し立て直したものの、4区の謙太は後半失速して区間10位に終わるなど、7位でレースを終えた。
今井が5区に起用された理由
5区で堅実な走りを見せた今井。五輪選考会へ向けて好スタートを切った 【写真:アフロスポーツ】
「もちろん病気になった直後、病院のベッドにいるときはショックだったけど、出ないと発表してからは時間もあったので気持ちの整理もできました。世界選手権で走れないとなったらリオデジャネイロ五輪の選考は2月の東京マラソンか3月のびわ湖毎日マラソンしかないので、その目標へ向けてどう勝負していくかということだけを考える気持ちへ、早い時期に切り換えることができました」
退院してチームに合流した9月から10月にかけては一緒に練習もできず、「これで大丈夫かな。本当に戻せるのかな」という心の葛藤もあった。だが森下広一監督とも話をして、焦って早く戻そうとするのではなく、自分のやりたいことをやれるようにしてもらい、ジックリと時間をかけることもできた。
「11月に入ってからチーム練習に戻ったけど、気持ち的な部分でうまく盛り上げられないところはありました。でも11月29日の(熊本)甲佐10マイルを走り、46分36秒で3位になってからは気持ちも楽になり、ニューイヤー駅伝へ向けても『あのくらいでは走れるかな』というような感覚になりました」
だがそのあとの練習で40キロ走をしたとき、甲佐の疲労も残っていて30キロで止まってしまった。それで森下監督は、全日本実業団駅伝では今井を22キロあるエース区間の最長4区に起用するのではなく、15.8キロの5区にしようと決めたという。
「頭の中にかすかに若手の育成というのもあって、4区に今井を使うのではなく、他の選手を使って周囲の選手たちに『あの人があのくらいなら自分はこのくらいでいける』という物差しを作りたかったんです。それプラス、今井はマラソン練習に影響しないようにというのもあって……。4区を走らせればそれなりに頑張って力を出しきってしまうから、少しでも距離が短い方がいいし、ペースが遅い方がいいなと思って。そうなれば向かい風が吹いて、上り坂もある5区だということになるんです」
森下監督から5区に使うと言われ、今井はすぐにその意図を理解したという。