“ミスタープロレス”天龍がオカダ戦で引退 諏訪魔と藤田が初遭遇も遺恨は消えず

高木裕美

昭和を代表するプロレスラー・天龍源一郎が多くのファンに見守られる中、引退試合を行った 【横田修平】

“ミスタープロレス”天龍源一郎引退興行「〜天龍源一郎 引退〜 革命終焉 Revolution FINAL」が15日、東京・両国国技館で開催され、超満員札止めとなる1万522人を動員した。

 天龍はメインイベントで、自ら対戦相手に指名した新日本プロレスのオカダ・カズチカと最初で最後の一騎打ち。オカダのレインメーカーに散るも、最後まで勝負にこだわり、昭和を代表するプロレスラーとしての生き様を刻み付けた。

オカダ渾身のレインメーカーで散る

オカダ渾身のレインメーカーが炸裂し、天龍は最後の3カウントを聞いた 【横田修平】

 天龍は福井県勝山市出身の65歳。1963年に大相撲の二所ノ関部屋に入門し、西前頭筆頭まで上り詰めるが、76年秋に廃業し、同年10月に全日本プロレスへ入団。以後、SWS、WARなど様々な団体に参加し、三冠ヘビー級王座、IWGPヘビー級王座などを獲得。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両名からピンフォール勝ちした唯一の日本人レスラーでもある。さらに、電流爆破デスマッチや女子プロレスラーとの対戦、マスクマンへの変身、エンターテインメント色の強い「ハッスル」への参戦など、実に幅広いジャンルにチャレンジ。最近は「滑舌の悪さ」でバラエティー番組などでも活躍をしている。だが、今年2月、妻・まき代さんの病気(乳がん、胆のう摘出、心不全)などを理由に引退を表明した。

 天龍は引退にあたり、最後の相手にオカダを指名。オカダが12年、13年にプロレス大賞MVPを受賞した際、過去に連続受賞した天龍、猪木、ジャンボ鶴田さんに対し、「オレと同じ時代じゃなくて良かったなと思います。オレと同じ時代じゃ連続受賞なんて無理でしたし」と発言したことに、天龍が「こいつだと思った」と決意。自ら8.16新日本・両国大会に赴き、オカダに対戦を直訴したことで、オカダも承諾した。

 デビュー戦で着た青いガウンに黒のショートタイツ姿で入場した天龍は、場外のオカダにレインメーカーポーズを見せ付けて挑発すると、事前に予告していた「サッカーボールキック、グーパンチ、のど元チョップだけで勝負をつける」という技に加え、WARスペシャル、パワーボム、さらにはこの日のための新技を炸裂。オカダはこれらの技をすべて受けきった上で、ドロップキック、ダイビングエルボードロップで応戦し、グーパンチには自ら顔面を突き出して見せると、渾身のレインメーカーで引導を渡した。

天龍「オレは本当に幸せ者です」

「リングに立ってみんなから拍手をもらえた。それだけで幸せ」と語った天龍 【横田修平】

 試合後、天龍は開口一番「負けたーっ!」と絶叫。長年のライバルであったスタン・ハンセンさん、テリー・ファンク、天龍プロジェクト代表であり愛娘の嶋田紋奈さんから花束を受け取ると、「皆さん、オレは本当に幸せ者です。もうこれ以上望むものは何もありません。ありがとうございました」とファンに感謝し、10カウントでプロレスのリング、そして、大相撲で初土俵を踏んだ両国国技館に別れを告げた。

 バックステージで「悔しいです。でも、この体の痛さに、今までの俺の人生のすべてのものが詰まってます」と、引退試合を振り返った天龍は、最後の相手を務めてくれたオカダに対し、「このまま行ってもらい、引っ張ってもらいたい」とプロレス界の未来を託した。

 レインメーカーで意識が吹っ飛び、3カウントが入った瞬間が分からず、まだ引退の実感も沸かないものの、「リングに立ってみんなから拍手をもらえた。それだけで幸せ」と、恩師ジャイアント馬場さんや最大のライバルジャンボ鶴田さんなど、引退試合を行うことなく志半ばにリングを去ったかつての仲間に思いを馳せた。

 一方、試合後、倒れたままの天龍に向かって深々と頭を下げ、最敬礼でリングを去ったオカダは「平成のプロレスのオレから見ても、昭和のプロレス、天龍、あっぱれだったよ」と、初めて触れたミスタープロレスの懐の深さに敬意を表した。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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