bjリーグの10シーズンを振り返って そして最後の1年へ――

河内敏光

記念すべきbjリーグ10年目となった2014−15シーズンは、浜松・東三河フェニックスが3度目の優勝を飾った 【写真提供:bjリーグ】

 日本バスケ界の現状と向き合い、未来を考える企画『日本バスケ戦略会議』を昨年の10月にスタートして早10カ月。本連載をスタートした当初はJBA(日本バスケットボール協会)はまだFIBA(国際バスケットボール連盟)による制裁も受けておらず、もちろんタスクフォースチームなど存在すらしていなかった。しかしその後、日本バスケットボール界は恐ろしい速さで改革が進み、川淵三郎会長の下、一つの時代に終止符を打とうとしている。

 制裁の一つの要因となってしまった2つの男子トップリーグであるNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)とbjリーグ(ターキッシュエアラインズbjリーグ)は今年どのようなシーズンを歩んできたのか。国内でも競技人口はサッカー、野球についで多く、世界的にも人気がある『バスケットボール』の発展を信じ、目の前の課題と真髄に向き合ってきた両リーグの関係者に昨シーズンをじっくりと振り返っていただいた。

 NBLの堀井幹也副理事長に続いて、今回はbjリーグの河内敏光コミッショナー自らに、昨シーズンのbjリーグとこれまでの歩みをしたためてもらった。(スポーツナビ編集部)

10年目の記念すべきシーズン

昨季からリーグのネーミングライツ契約を結び「ターキッシュ エアラインズ bjリーグ」となった 【スポーツナビ】

 プロバスケットボール「bjリーグ」にとって2014−15シーズンは10年目の記念すべきシーズンでした。

 開幕前にはリーグのネーミングライツ契約が結ばれ、「ターキッシュ エアラインズ bjリーグ 2014−2015シーズン」となりました。就航都市数で世界最大を誇るメガキャリアであり、ヨーロッパで行われているバスケット版のチャンピオンズリーグ「ユーロリーグ」をスポンサードするターキッシュ エアラインズと契約できたことは、節目の10周年として大きな出来事の一つでした。

 チーム数も福島ファイヤーボンズを加え、22チームに拡大しました。10月からの新シーズンには金沢武士団、広島ライトニングを加え、24チームとなります。bjリーグを作った際に目標とした、「10年で24チーム」を1年遅れながら達成する運びとなりました。そして、ようやく観客動員も目標の100万人を達成できました。これもひとえにブースター、スポンサー、メディアなど関係者の皆さんのおかげだと思っています。

福島や若いHCの活躍

福島はプレーオフに、新規参入チームながら出場した 【写真提供:bjリーグ】

 昨季参入した福島ファイヤーボンズですが、やはり被災地のチームとして特別な思いがあります。なかなか屋外で思い切って遊ぶことができない子どもたちが、笑顔でゲーム前に体を動かす姿が印象に残りました。球団もトップチームを持つ前からスクールを行い、イベントに参加。地元や行政の方々との交流を深め、支援いただける体制を整えていたことが、地域の皆さまにスムーズに受け入れていただくポイントになったと思います。

 チームも主力外国籍選手のけがもありながら、新規参入でプレーオフに進出しました。エースの不在を機にチームがまとまり、そして強くなっていく様子は、地元に勇気を与えたのではないでしょうか。そして、28歳(開幕時)とリーグで一番若い藤田弘輝ヘッドコーチ(HC)が、シーズンを通して経験を積みました。

 藤田HCだけでなく、bjリーグでは多くの若いHCが活躍しています。アメリカで学んだ20代、30代前半のコーチ、さらにはbjリーグで選手としてプレーした後、HCに就任した者も増えてきました。これもbjリーグができ、チーム数が増えたことで、選手だけでなく、若手のコーチにもチャンスが与えられたことによるもので、bjリーグの一つの成果だと思っています。

 10年目のシーズンを迎えて、子どもの頃からbjリーグを目指した選手も増えてきました。アーリーエントリーで、今年1月に琉球ゴールデンキングスにデビューした津山尚大選手(福岡大大濠高)もその一人。彼は2010年に行われた中学1・2年生対象のジュニア大会「bjリーグカップ」でチームが優勝し、アメリカへ遠征しました。その頃から「いつかは地元のキングスでプレーしたい」と考えていたそうです。

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