照ノ富士、激闘の軌跡──不屈の魂が刻んだ相撲人生
特に初日の若隆景戦は、一瞬の隙を突かれ、肩透かしで敗れた。思い出すのはその直後の照ノ富士の表情だ。彼の心境は分からないが、「あぁ、落ちた……」とでも思ったのだろうか。首をかしげて苦笑いを浮かべていた。(ここで言う「落ちた」とは、土俵に手をついたという意味だ)
この苦笑いは、「しまった、負けた……」という悔しさの表れだったのか。それとも、「あぁ、膝が……やっぱりもう無理なのか」と、自分の身体の限界を悟ったものだったのか。それは本人にしか分からない。だが、あの表情が何かを物語っていたことは確かだった。
衝撃の怪力相撲──僕が彼に惹かれた瞬間
稀勢の里と真っ向勝負
絶対王者・白鵬を倒した一番
この取組は長い攻防戦だった。白鵬は相撲巧者。たとえ不利な体勢になってもいつの間にか自分の形に持ち込み、最後は勝ってしまう力士だった。他の力士は、当時の白鵬にまともに勝てる気がしなかったほどだ。
だが、照ノ富士は違った。じりじりと攻め続け、最後は怪力で白鵬を圧し切った。土俵を割った白鵬の表情を今でも覚えている。「ああ、やられた……」と言わんばかりの表情。まるで、白鵬自身が照ノ富士の強さを認めざるを得ないかのようだった。それだけ、彼の勝利には説得力があった。
そして、大関昇進へ
この快進撃こそが、僕が彼に惹かれた理由だ。照ノ富士の相撲には、ただの力士ではない「何か」があった。
壮絶な転落と再起──真のプライドとは
怪我による転落の始まり
これは、明らかに力任せの相撲を続けてきたツケだった。相撲は、いかに自分の形を作り、相手より有利な体勢で戦うかが重要だ。しかし、照ノ富士はどんなに不利な体勢でも怪力でねじ伏せる相撲を取り続けていた。その無理が膝に過剰な負担をかけていたのだ。
泥沼の怪我との戦い
その後も休場が続き、さらに糖尿病の影響も重なった。そして、平成30年(2018年)名古屋場所(7月)には幕下へ転落。膝の治療に専念するため、4場所連続休場することとなり、平成31年(2019年)春場所(3月)には西序二段48枚目まで転落した。それでも、彼はここで土俵への復活を果たしたのだった。
異例の転落──元大関が序二段へ
横綱 → 大関 → 関脇 → 小結 → 前頭(平幕) → 十両
-----------(関取/ここまでが給与対象)----------
幕下 → 三段目 → 序二段 → 序ノ口
これを見ればわかるように、照ノ富士はかつて上から2番目の大関にまで昇り優勝も1回経験している。そんな力士が下から2番目の序二段まで転落するというのは、大相撲の歴史において前例のないことだった。
特に、十両以上と幕下以下の間には大きな差がある。十両以上の力士は「関取」と呼ばれ、給料が支給される。一方、幕下以下は無給であり、言わば「プロとセミプロの違い」のようなものだ。
元大関が序二段まで落ちることの意味
さらに、幕下以下に落ちた元大関がそのまま相撲を続ける例は、これまで皆無だった。なぜなら、ほとんどの力士がそこまで落ちる前に引退を選ぶからだ。(その後、大関・朝乃山が幕下転落を経験したが、これには色々と事情がある)
「大関まで上り詰めた者が、序二段で取るなどプライドが許さない」と考える者も多いだろう。
しかし、照ノ富士は違った。彼は土俵に上がった。「元大関」という肩書など関係なかった。彼のプライドは、もう一度復活することにあったのだ。
彼が持っていたのは、単なる地位への執着ではなく、「真のプライド」 だった。
序二段からの再出発──復活の第一歩
かつては横綱を目指して優勝も経験した彼。その頃は満員の国技館で、熱狂的な声援を浴びながら取組に臨んでいた。しかし、序二段の土俵はまるで別世界だった。観客はまばらで、照明も暗く、華やかさとは無縁の空間。だが、そんな場所で再び土俵に上がった彼の姿は、むしろ堂々としていてカッコよく見えた。
相撲内容は、まだ試運転のような、リハビリ的な取り口だったが、彼は着実に勝ち星を積み上げていった。そして、7戦全勝で迎えた千秋楽、優勝決定戦に進出。
通常、序二段の取組は閑散とした空気の中で行われる。しかし、優勝決定戦となると話は別だ。千秋楽の十両の取組の後半に組まれるため、満員の観客の前で行われる。きっと、会場のお客さんの中には「あぁ、あの照ノ富士だ!」と懐かしむ人も多かったことだろう。
そして迎えた決定戦。照ノ富士は惜しくも敗れた。土俵際で寄り切られそうになりながらも粘りを見せたが、最後は投げられて負けた。
その取組を観ながら僕は思った。「あまり粘らないでほしい。膝を痛めたら大変だから……」。そんな不安な気持ちを抱えながらテレビ画面を見守っていたのを今でも思い出す。
再入幕での衝撃優勝──支え合う兄弟弟子の絆
照ノ富士は、膝のケガと向き合いながら番付を上げてきた。しかし、十両以上ともなると対戦相手のレベルは格段に上がる。当然、彼の膝への負担も増す。そんな状況だったので「連続で出場するのは厳しいのでは?」 と思っていた。だが、夏場所(5月)の中止は、ケガを抱える力士にとって回復のチャンスでもあった。
だからこそ、僕は「もしかしたら、照ノ富士はやるんじゃないか?」という期待を抱いていた。願望も込めてそう思っていた。そんな中で彼は本当に優勝を果たしたのだ。しびれた。
その場所で優勝争いをしていたのは、大関・朝乃山。迎えた14日目、同部屋の兄弟子・照強が、見事に朝乃山を破り、照ノ富士を援護射撃した。照強のほうが年下だが、入門が先だったため、彼が兄弟子となる。
きっと照強は「照さん、俺が何とかしますからね」 と思いながら土俵に上がったのだろう。そうした兄弟弟子の絆と支え合いを想像すると胸が熱くなる。
相撲スタイルの変革──強さの本質とは
自分の型を大事にする理にかなった相撲へと変貌
かつては怪力を活かした力任せの相撲だったが、膝の負担を考慮し、低い腰を意識しながら、自分の型を大事にする理にかなった相撲へと変貌していたのだ。これは並大抵のことではない。
普通の人でも、長年の生活習慣をガラリと変えるのは相当な努力が必要だ。ましてや、彼はそれまで力相撲で勝ち上がってきた力士。全く違うスタイルに転換するには、計り知れない努力と忍耐力、そして強い意志が求められる。
型を変えて大横綱になった千代の富士との共通点
その時の師匠である九重親方(相撲解説でもおなじみの北の富士勝昭さん。昨年11月に逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます)は、後にこう語っている。
「こんなに相撲を変えることができるなんて、並大抵の努力ではできない。千代の富士の意志の強さに感服した」
その結果、千代の富士は優勝回数31回を誇る大横綱となった。
照ノ富士もまた、同じように自分の型を変えたのだった。これは極端な表現かもしれないが、「右利きを左利きに変えるほどの大きな変化」だったと言っても過言ではない。それほど難しい挑戦を成し遂げたからこそ、彼は幕内復活優勝を遂げた後も快進撃を続けることができたのだ。
壮絶な相撲人生に幕──ありがとう、横綱
横綱へ昇進
ちなみに、優勝45回を誇る大横綱・白鵬の最後の相手も照ノ富士だった。令和3年(2021年)名古屋場所(7月)千秋楽、14戦全勝同士で迎えた横綱・白鵬 vs 大関・照ノ富士の結びの一番。これは白鵬にとって現役最後の一番だった。
全勝同士の決戦は大いに盛り上がった。結果は白鵬が勝利し、自身のラスト優勝を飾った。しかし翌場所、照ノ富士は横綱へ昇進したのだった。
激闘を重ねたライバル・貴景勝
しかし、貴景勝もまたケガとの戦いに苦しんでいた。そして彼は、昨年秋場所(9月)に引退。そして、照ノ富士も――。またひとり、侍が土俵を去った。
強い気持ちを教えてくれてありがとう
僕は、そんな彼に心から「お疲れ様」 と言いたい。そして、最も伝えたいことはこれだ。
「強い気持ちを教えてくれて、ありがとう」
彼の存在、生き方、物事に対する姿勢――そのすべてから、多くのことを学ばせてもらった。
ありがとう、照ノ富士。
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