大仁田、ターザン後藤の参戦を熱望=8.24・大仁田厚40周年記念興行

FMWプロモーション

「後藤と同じリングに立ってみたい」

大仁田は8.24新宿FACE大会でのFMW「大仁田厚デビュー40周年記念大会」で、全日本時代の弟分でFMW旗揚げメンバーである“盟友”ターザン後藤の参戦を熱望 【写真提供=FMWプロモーション】

“FMW創始者”大仁田厚が24日、都内「カラオケ館」で記者会見を開き、自身の「デビュー40周年記念大会」となる8.24新宿FACE大会へ、かつての“盟友”ターザン後藤の参戦を熱望した。

 2017年10月25日で還暦を迎える大仁田は、“還暦電流爆破デスマッチ”を行って、リングを下りる覚悟をしているが、「40年の区切りをつけないと、あと2年3カ月の選手生活の区切りがつかない」とコメント。続けて、大仁田は会見に同席したFMWプロモーション・高橋英樹社長に対し、「かなえてほしいのは、“盟友”ターザン後藤を呼んでもらいたい。後藤とリングの上に立ってみたい」と発言した。

全日からの弟分でFMW旗揚げメンバー

「後藤が出てくれなければ40周年の意味がない」とまで言い切った大仁田 【写真提供=FMWプロモーション】

 1973年、全日本プロレスに入門し、ジャイアント馬場の4代目の付き人となった大仁田は、74年4月14日、後楽園ホールでの佐藤昭雄戦でデビュー。82年にはNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取し、“全日本のジュニアのエース”として活躍したものの、左膝蓋骨骨折のため、85年1月に引退。

 その後、どうしてもプロレス界に復帰したくて、89年10月、わずか5万円の資金を元手にFMWを旗揚げした。そのFMWに馳せ参じたのが、全日本時代の弟分であった後藤だ。当時、後藤は米国修行中であったが、馬場からの「戻ってこい」とのオファーを蹴って、新団体に参加した。

 旗揚げ間もないFMWは、後藤をなくしては存在し得なかった。フロントでは営業部長だった高橋氏、リングアナなどを務めた故荒井昌一氏(元FMW社長)も、欠かせない存在だった。「くしくも、荒井は亡くなったけど、後藤が出てくれなければ、40周年の意味はない。8.24新宿に後藤が帰ってきてくれることを願う」と大仁田は言い切った。

タッグを組んでも対戦してもいい

FMWプロモーション・高橋英樹社長も大仁田の要望を受けて後藤の招聘を明言 【写真提供=FMWプロモーション】

 カードに関して、大仁田は「向こうの希望もあるだろうから、タッグを組むのでも、対戦するのでもどちらでも構わない」と話した。大仁田の要望を受けて、高橋社長は8.24新宿に向け、後藤の招聘に動くことを明言。

 かつては兄弟分同然の関係だった大仁田と後藤だが、95年5月5日、川崎球場で予定されていた大仁田引退試合での一騎打ちを前に、後藤がFMWを電撃離脱。その後、両者は絶縁状態となり、01年に対戦の機会があったものの、再び、別々の道を歩むことになる。

 長い年月を経て、09年12月に両者はタッグ対決し、タッグも組んだ。10年5月にタッグを結成したのを最後に、2人の関係は再度途絶えた。それから、5年余の月日を経った。大仁田は「長い間、会ったことも話したこともないけど、僕と後藤との間には何もありません」とわだかまりがないことを強調した。

 後藤はFMW、大仁田の歴史において、外しては語れない存在。大仁田の要望に対し、どんな回答を出すのか注目が集まる。


■超戦闘プロレスFMW「エンド・オブ・サマー」開幕戦「大仁田厚デビュー40周年記念大会」
8月24日(月)東京・新宿FACE/19:00〜
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