佐藤嘉洋が引退「キックを愛している」=8.22Krushで魔裟斗とラストマッチ希望
「世界一を目指せなくなった」
K−1やKrushを舞台に活躍した佐藤嘉洋が現役引退を発表した 【(C)Good Loser】
「愛を知る県、愛知県の佐藤嘉洋です。7月21日を持って引退することを決めました。引退を決めた理由は今年1月にサニー・ダルベックとのリベンジ戦で延長までいったもののKO負けしたこと、そして5月にジョーダン・ピケオーにKO負けしたことが一番の要因です。
僕は5月のピケオー戦でダウンをした時、意識がありました。今までの自分であれば意識がなくても、攻撃を返して戦い続けるという、丈夫で骨太な試合が出来ていたのですが、ピケオー戦ではそれが出来ませんでした。意識があるのになんで自分はひざをついているんだろうと思ったくらいです。それが自分としてはショックであり、師匠の小森(次郎)会長からも、その日の打ち上げで『初めて辞めた方がいいと思った』と言われ、8割くらいダメだろうなという気持ちになりました。それからは『まだやれる』と『ダメだろう』という二つの気持ちがあったのですが、GAORAでピケオー戦の試合映像を見て、自分の倒れ方を見て踏ん切りがつきました。
僕は今までずっと世界一を目指してやって、ピケオー戦の前も最高の調子で、攻撃面では伸びている実感もありました。でも試合で初めて衰えを感じ、これでは世界一を目指せないな、と。世界一を目指せなければ現役を続けられないと思ったので、ストップを決断しました。僕は丈夫さ、気持ちの強さ、根性でお客さんを魅せてきたので、それがなくなったのであれば、プロとして高いファイトマネーをもらう資格がないとも思いました。7月のK−1のトーナメント、そして中国の英雄伝説で決まっていたラムソンクラームとの防衛戦、試合に穴をあけてしまったことは関係者の方にお詫びしたいと思います。
1998年にプロデビューして17年弱。自分はこれまでのキックボクサーを見ても、稀なキック人生を送ってきたなと思います。NJKFでプロデビューして全日本キックに移籍し、そこで実力をつけて最強と言われるまでになり、違う競技のK−1に移籍しました。地上波という脚光を浴びるところで活躍を続けて、自分で偉いと思うのは『地上波が終わってあかんぞ』という時に、それからさらに5年間頑張ったこと。すごく尊い経験をしたと思います。
出来れば新しいK−1が盛り上がって、再度、日の目を浴びたかったなという悔しい気持ちもありますけど、今は新しいスターがどんどん出てきているので、何らかの形で彼らの魅力が伝わることをしていきたいと思います。今日で僕は現役を引退しますが、キックを愛していますし、キックに携わっていくことは変わりません。これからも何も変わらずお付き合いしていただけたらなと思います」
印象に残るブアカーオ戦と魔裟斗戦
1.18K−1のダルベック戦に続き、5.4Krushのピケオー戦でもKO負けを喫し、「世界一を目指せない」とグローブを置くことを決意した 【中原義史】
「(周囲の反応は?)僕は現役期間が長かったので、反応は人によってまちまちです。高校生でデビューしたころから僕のことを見てきた連中からは『よくここまで頑張った!』が大半でした。またK−1の地上波が終わったあとのここ5年で、僕を応援してくれるようになった人たちは『まだまだ見たい』と言ってくれています。そういう感じですね。
(印象に残っている試合は?)僕は80戦やってきて、あれだけパンチをもらっているにも関わらず試合のことはほとんど覚えていて、(その記憶で)物語を作れるくらい覚えています。試合をした年、月、対戦相手は全部言えるくらい意味のある試合をやってきたと思うし、今まで戦った相手とは一人ずつ海外も全部回って飯食いたいと思います。
印象に残っている試合を三つか四つ挙げるとすれば、キックルールの試合では2003年にガオラン・カウイチットというものすごい強い選手をWKA世界ムエタイウェルター級の防衛戦の挑戦者として迎え入れて勝った試合。そして2004年11月にイタリアのパドヴァで、WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級の防衛戦でイタリアの英雄イッティポーン・アカスリボーンと激アツの試合をしたのを覚えています。そしてK−1では2008年にブアカーオをKOした試合と魔裟斗戦。その二つがトップ2で記憶に残っています。
その後の試合ではいろいろな思い出があるのですが、健太に負けて日本人2敗目を喫した試合と、その後に3連敗中にヘンリー・オプスタルという選手に首相撲にハメてギリギリで勝った試合です。もっといっぱいあるんですけど…現役生活が長すぎました(笑)」