W杯で輝けなかった伝説のストライカー ハリルホジッチの足跡をめぐる旅<後編>

宇都宮徹壱

ベレジュに初のタイトルをもたらしたヴァハ

ベレジュ・モスタルとユーゴスラビア代表で正GKだったマリッチ。「日本とヴァハの成功を心から祈っているよ」 【宇都宮徹壱】

 ヴァイッド・ハリルホジッチを追いかける旅を続けている。ヘルツェゴビナ最大の都市、モスタルを離れる日に、ベレジュ・モスタル時代のチームメートから話を聞くことができた。エンベル・マリッチ、67歳。ベレジュの最初の黄金時代と言われる1967年から74年まで正GKとして貢献し、旧ユーゴスラビア代表としても74年のワールドカップ(W杯)と76年のユーロ(欧州選手権)に出場している。

「74年のW杯はよく覚えている。監督のミリヤン・ミリャニッチは、指導者としても人間としても、非常に尊敬できる人物だった。選手もあの時は、素晴らしいタレントがそろっていたね。キャプテンのドラガン・ジャイッチ、ヨシップ・カタリンスキー、それからベレジュで一緒だったドゥシャン・バイェビッチもいた。(結局、2次リーグ敗退となったが)あの大会は、私のサッカー人生の王冠のようなものだったよ」

 そんなマリッチにとり、4歳年下のヴァハ(ハリルホジッチの愛称)はベレジュの後輩であり、76年のユーロではチームメートでもあった。ユーゴスラビアで行われたこの大会では2人とも控え選手だったが、ヴァハはオランダとの3位決定戦に後半から出場。これが国際大会でのデビュー戦となる。しかし、ベレジュに来たばかりのころは「それほど鮮明な印象がなかった」という。

「というのも、彼はベレジュに加入してすぐに、FKネレトヴァにレンタルされたからね。理由かい? 当時のベレジュには、バイェビッチがいたし、彼の兄のサレム(故人)もいて、FWの選手層が厚かったからさ。ベレジュに戻ってきてからのヴァハは、非常に戦闘的なストライカーに成長したね。常にハートを込めてプレーしていたし、チームリーダーでもあり、大志をもって諦めることはなかった。指導者になっても、きっと成功すると思っていたよ」

 マリッチにとって、最も美しいヴァハとの思い出。それは、81年6月24日にベオグラードのマラカナ・スタジアムで行われた、イビチャ・オシム率いるジェレズニチャル・サラエボとのユーゴカップ決勝である。史上初めて、ボスニア・ヘルツェゴビナ勢同士が顔を合わせたファイナルでは、マリッチがゴールマウスを守り、ヴァハはFWとしてスタメン出場していた。試合は追いつ追われつの展開となったが、ベレジュが3−2で勝利して初のタイトルを獲得。2ゴールを挙げたヴァハは、タイトルを置き土産にフランスへと旅立つことになる。マリッチは、僚友への感謝の気持ちをこのように表現してくれた。

「当時のユーゴスラビアのレベルで、ベレジュのような地方クラブがタイトルを獲得するのは、並大抵のことではなかった。われわれがカップを掲げることができたのは、間違いなくヴァハのおかげさ。日本をW杯に導いたら、ぜひとも(14年ブラジル大会での)アルジェリアのような旋風を起こしてほしいね」

生まれ故郷のヤブラニツァにて

ヴァハの甥っ子、エサド(左)とデニのハリルホジッチ兄弟。ヤブラニツァにはハリルホジッチ姓の人々が多く暮らす 【宇都宮徹壱】

 ヘルツェゴビナ地方の北に位置するヤブラニツァは、モスタルとサラエボを結ぶ幹線道路の途中にある、人口1万人ほどの小さな街である。第二次世界大戦中の43年、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国連合部隊がチトー率いるパルチザンの掃討作戦を展開した『ネレトヴァ川の戦い』の舞台としても有名だが、チトーが破壊した橋のレプリカ(69年の映画化の際に造られたもの)がある以外、特にこれといった観光資源はない。われわれがこの街を訪れる理由は、ただひとつ。ここがハリルホジッチの故郷だからだ。52年、6人兄弟の4番目として生まれたヴァハは、ベレジュ・モスタルに加入する71年までの19年間をこの街で過ごしている。

 今回の取材に同行してくれた、コーディネーター兼通訳のジェキチ美穂によれば、ヴァハの弟の息子(つまり甥)がヤブラニツァでタクシー会社を経営しているという。「バスターミナルで、すぐに見つかると思いますよ」というので行ってみると、なるほど確かに「TAXI HALILHODZIC」と書かれた車両が客待ちしていた。しかもリアシートには、香川真司の日本代表ユニホームが敷いてあるではないか。「これだ、間違いない!」と小躍りしているわれわれに気づいて、運転席と助手席からヴァハの甥っ子たちが姿を表す。兄のエサドはドライバーで、弟のデニは英語が堪能。まるで日本からの来客を待ち構えていたかのように、彼らはわれわれを後部座席に招き入れてくれた。

 最初に案内されたのは、彼らの叔父のひとりが経営している『ナント』というカフェである。ナントとは、ヴァハがフランスにわたって最初に所属したFCナントのこと。ヴァハはこのクラブで2度の得点王(83、85年)、そして2度の最優秀外国人選手賞(84、85年)を獲得している。あいにく、店主であるヴァハの兄弟には会えなかったが、ナント時代のヴァハの写真は確認できた。その後はハリルホジッチ家の人々が通った小学校、さらにはヴァハの生家(今はエサドとデニの家族が暮らしている)を案内してくれた。紺碧(こんぺき)の空と呼応するかのような白亜の壁、そしてフットサルコートくらいありそうな芝生の庭。若き日のヴァハは、この庭でボールを蹴ったり、趣味のギターを爪弾いたりしていたのであろうか。私が夢想している間も、デニのおしゃべりは続く。

「ヤブラニツァは小さな街だけれど、多くのアスリートを輩出してきた歴史があるんだ。セナド・ルリッチ、ハサン・サリハミジッチ、それからNBAプレーヤーのミーザ・テレトヴィッチも、シーズンを終えてこっちに帰ってきているよ。ヴァハもこの間、墓参りでここに立ち寄ってくれたけれど、日本での仕事にものすごく意欲的な様子だった。ヴァハが日本代表の監督になってからは、あなた方のような日本からのお客さんが増えている。このヤブラニツァをもっと知ってほしいので、帰国したらぜひ僕らのタクシー会社を宣伝してね!」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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