小山台よ、夏、都立初の1勝を目ざせ!「僕たちの野球が終わったわけじゃない」

楊順行

9回1死まで無安打無得点

センバツ甲子園初の都立高出場を果たした小山台だったが、1勝は遠かった 【写真は共同】

 ようやくヒットが出た。ようやく、だ。

 履正社の右腕・溝田悠人の前に、小山台打線は初回の攻撃でエラーのランナーを一人出しただけ。キレのいいスライダーと、130キロ中盤のストレートに手こずり、9回一死まで25のアウトを積み重ねた。つまり04年のダルビッシュ有(当時東北)以来の、無安打無得点という大記録まであと2人だ。

 打席には、左の代打・竹下直輝が入った。初球、チームで狙いを徹底していた高めのスライダーは見送ってしまったが、4球目をとらえた打球はどん詰まりのハーフライナーでショートの前へ。だが、これが幸いした。履正社のショート・吉田有輝が懸命にダッシュするがダイレクトでは捕れず、かせいだ滞空時間は竹下を一塁キャンバスに近づける。送球との競争は、竹下が一瞬早い。スコアボードにHのランプがともり、小山台のヒット数が0から1に変わった。

 86回を数える長いセンバツの歴史で、都立校の出場は小山台が初めてだ。つまり大記録を逃れたこの1本は、都立校にとっても初安打ということになる。竹下はいう。
「相手投手のスライダーのキレは、ベンチで見るのとまるで違いました。ショートバウンドするスライダーを見極める練習をしてきたのに、みんな思わず手が出ていたのは、打席に立って初めてわかりました。僕もいいかたちではなかったですが、なんとか内野安打になったのはよかったです。この冬に、バットを振り込んできた成果かもしれません」

エース伊藤、立ち上がりは順調も……

 東京からは初めての21世紀枠で選ばれた小山台。学校は、都心部の私鉄駅前にある。「日本一短い練習で、日本一いいチームを作る」という福嶋正信監督のもと、短い練習時間、他部と共用の狭いグラウンドながら、昨秋の東京で8強入りした実績が評価された。
 部員は毎日野球日誌を綴るが、代々の選手が読み継いでいるのが、06年に集合住宅のエレベーター事故で亡くなった市川大輔さんの日誌だ。エースで、主将も務める伊藤優輔が胸に刻んでいるのは、市川さんがメールアドレスに使っていた「everyday my last」。

「毎日を一生懸命に生きる、という意味に解釈しています」(伊藤)

 立ち上がりは、順調だった。履正社・岡田龍生監督が「地元のウチよりすごい」というほど満員になったアルプスの応援を受け、伊藤は初回、辻心薫に二塁打を許したものの、後続を連続三振で無失点。昨秋の公式戦で、出場32校の主戦のうち奪三振率1位の片鱗を見せつける。だが、陥穽は2回。一死二塁から「ていねいに行きすぎて」(伊藤)下位打線に3連続四球でまず押し出しの1点を与えると、二死としたあと二番の辻に今度は右翼ポールを巻くホームランを浴びた。133キロのストレートをとらえたグランドスラム――。

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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