黄金世代のライバル、萩野と瀬戸の素敵な関係=ハギトモコラム
ハイレベルなレースを繰り広げ、そろって代表内定
ゴールデンエージの良きライバル、萩野(左)と瀬戸。400メートル個人メドレーでそろって世界選手権代表に内定した 【写真は共同】
最近では、1994年生まれのアスリートたちに注目が集まっている。プロ野球の大谷翔平選手(北海道日本ハム)や藤浪晋太郎投手(阪神)、フィギュアスケートの村上佳菜子選手(中京大)や羽生結弦選手(トロントクリケットクラブ)が挙げられる。水泳界では、ロンドン五輪銅メダリストの萩野公介選手(東洋大)、200メートル平泳ぎ世界記録保持者の山口観弘選手(志布志DC)、短水路世界選手権金メダリストの瀬戸大也選手(JSS毛呂山)が名を連ねる。彼らの実績を見ても、「大谷世代」「萩野世代」とも言えるくらい、高レベルで世代を代表するアスリートたちが集中している。まさに、ゴールデンエージだ。
競泳日本選手権初日から、そのゴールデンエージが躍動した。男子400メートル個人メドレーの萩野公介選手、瀬戸大也選手が予告通りハイレベルなレースを繰り広げ、世界選手権の代表にそろって内定した(萩野選手はロンドン五輪メダリストのため自動内定)。
萩野選手は4分07秒61と、自身の持つ日本記録を更新。しかし「目標は6秒台だった」と悔しさをのぞかせた。心身ともに切り替えが難しい五輪の翌年であるにもかかわらず、彼は3年後のリオデジャネイロ五輪に向けて、すでに戦闘モードに入っている。一方、瀬戸選手は、自己ベスト更新はかなわなかったが、世界を見据え、積極的なレース展開ができたことが大きな収穫となったようだ。レベルの高い記録を持ちながらも、なかなか日本代表入りすることができなかった瀬戸選手は、今回が初めての日本代表内定。大舞台への切符を手にしたと同時に大きな自信もつかんだようだ。
レースを振り返ると、萩野選手の存在感が際立っており、一人だけ別次元で泳いでいた感がある。スタート後の泳ぎを見て、驚いたほどだ。落ち着いて、大きな泳ぎをしているにもかかわらず、スピードに乗っており、体が水面によく浮いていた。水面を滑るアメンボのように優雅だった。最後の自由形は「バテバテでした」と反省を口にしていたが、苦しいながらも、必死に泳ぎ切れる底力があった。相当な体幹トレーニングと水中練習を積んできたのだろうと感じる、圧巻の泳ぎだった。
萩野は6種目、瀬戸は5種目にチャレンジ
専門種目が個人メドレーの選手は当然、4種目のレベルアップを図らなければならない。実際、私も個人メドレーの選手として、他種目で積極的にチャレンジしていた。複数種目に出場し、それぞれの種目でトップレベルへ持っていくことで、個人メドレーへの可能性が広がってくると考えたからだ。練習中に4種目を泳ぐだけではなく、レースに出場することで、それぞれの種目の泳ぎやターン、浮き上がりなどの細かい技術や感覚を磨き、何よりもタフさを培っていた。その地道な取り組みが、パズルのように組み合わさり、個人メドレーにも生きてくるのだ。同時に、個人メドレーにかかわらず、他種目での可能性も探ることができた。
このように、複数種目にチャレンジすることは、さまざまなプラス要素がある。しかし同時に、大きな代償を払う場合もある。私はさまざまな種目を泳ぎ、日本選手権4冠を達成したこともあるが、体作りとメンテナンスが追いつかず、故障することもあった。萩選手、瀬戸選手はしっかりと体幹を鍛え、メンテナンスにも力を入れているため、その心配は少ないとは思う。しかし、彼らは自分自身のリミットを外し、極限まで追い込める力を持っているだけに、時には周りがストップをかけることも重要になってくるだろう。
世界を見てみると、米国のマイケル・フェルプス選手が北京五輪で8冠の偉業を成し遂げたのは記憶に新しい。萩野選手や瀬戸選手は、フェルプス選手が大活躍した姿を見て育った世代。だからこそ、世界で勝つためには、何をしなければならないのかを明確にできたとも言える。何種目にも出場し、結果を残すバイタリティーとタフさに刺激を受け、何よりも個人メドレー専門選手が個人メドレーだけに出場していては、世界とは戦えないのだ、と彼らの心に火がついた。
日本では、それぞれの専門種目に絞ってレースに出場することが多い。たとえ複数種目に出場していても、なかなか結果につながることが少なく、チャレンジする選手は少ない。そんな中、ゴールデンエージの萩野選手、瀬戸選手はそろって複数種目に出場し、結果を残せをる立場にある。同じ志持って、共通した種目で世界を目指すスイマーが、同じ日本で、しかも同年代に2人。この現実は、世界を目指す彼らにとって、大きな意味を持つ。