異文化で確かな功績を残した落合英二 自費参加から「韓国一の投手コーチ」に

室井昌也

「しばらくはドラゴンズの試合を見る勇気がありませんでした」

サムスンの投手力をリーグトップに育て上げた落合英二氏 【ストライク・ゾーン】

「“韓国でコーチをやるなんて都落ちだ”と言われました」。
 2002年、日韓共催のサッカーワールドカップ開催で韓国中が真っ赤に染まっていた頃、韓国プロ野球でただ一人の日本人コーチだった清家政和(元埼玉西武コーチ)はそう話した。
 それから10年。日本と韓国、両球界の関係は大きく変化した。05年から始まったアジアシリーズ、08年の北京オリンピック、そして来年3回目を迎えるワールド・ベースボール・クラシック。これらの国際大会を通して交流と相互理解が増し、08年からの5年間で韓国の球団に所属した日本人コーチは26人に上った。彼らは「都落ち」と言われることなく、千葉ロッテの新監督に就任した伊東勤(斗山)を始め、伊勢孝夫(SK→東京ヤクルト)、杉本正(KIA→埼玉西武)、関川浩一(SK→東北楽天→阪神)ら12人の日本人が帰国後、日本球界で現場復帰している。

 その多くが日本での指導者経験を買われて韓国に渡った中、韓国でコーチ修行をスタートし、のちに「韓国一の投手コーチ」と評価されるまでになった人物がいる。現役時代、中日でセットアッパーとして活躍した落合英二(43=サムスン投手コーチ)だ。落合が所属するサムスンはリーグトップの投手力で昨季、今季と2年連続で公式戦1位を果たした。

「引退してしばらくはドラゴンズの試合を見る勇気がありませんでした。現役にまだ未練があったんですよね」
 06年、37歳で現役を引退した落合は、翌07年5月、日本を離れた。自分の気持ちに整理をつけるため。そして、ともに中日のリリーフ陣をけん引した宣銅烈が監督を務める韓国・サムスンで、自費参加のコーチ研修をするためだ。「観光ビザで滞在できる3カ月間のコーチ研修でした。宣さんから言われたのは、“韓国のピッチャーは細かいコントロールがない。力任せで投げているからそれを直してほしい”ということでした」

故障を防ぐための意識改革「このままだったら長持ちしない」

 その後、落合は日本での評論家生活を経て、10年のシーズンから宣の要請により1軍投手コーチに就任した。日本人コーチに求められるのは高い技術と、知識と経験に裏打ちされた方法論の伝授。また、選手への先入観がないことが長所となる。しかし落合は選手に技術を伝える以前に、韓国の投手にある問題を感じた。
「選手個々の意識を変えなければいけないと思いました。日本だったら先輩の姿を見て、自主的に考えて練習をします。例えばキャッチボール一つにしても確認するポイントがありますが、彼らの練習はメニュー通りにこなす、やらされる練習。ベテラン投手でさえそうですから、まず彼らの意識を変えることに苦労しました」

 落合が選手の意識に執着した理由、それは「このままだったら長持ちしない、故障する」と感じたからだった。落合自身、現役時代に右肘、右肩痛と故障と戦ってきた。選手に同じ思いを味わわせたくなかった。意識を変えるというと、押し付け型の指導になりがちだが、落合はそうはしなかった。「型にはめないこと、個性をつぶさないこと、そして、感性は教えられないので、自分で気がつくまで見守り続けました。そうすればきっと、目の色が変わる時が来るはずだと。そう信じてその時までこちらは答えを持って準備しました」。落合は1軍コーチでありながら、育成役も兼ねるような立場を担った。

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著者プロフィール

1972年東京生まれ。「韓国プロ野球の伝え手」として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。また編著書『沖縄の路線バス おでかけガイドブック』は2023年4月に「第9回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞」を受賞した。ストライク・ゾーン代表。

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