「まだ投げ続ける」元巨人・門倉が都市対抗に出場=敗戦に流した涙…38歳の奮戦記

室井昌也

北海道のクラブチームに入団し、野球を続ける門倉。7月13日から始まる都市対抗に出場する 【ストライク・ゾーン】

 中日、近鉄、横浜、巨人でプレーし、2009年から昨年までの3年間、韓国でもプレーした投手、門倉健(38歳)が4月、北海道のクラブチーム・伊達聖ヶ丘病院に入団した。門倉は今年初め、東北楽天、北海道日本ハムの入団テストを受けたがいずれも不合格。現役続行の道として選んだのがクラブチーム入りだった。
 その伊達聖ヶ丘病院は、都市対抗出場を目指し北海道予選に臨んだが1次予選で敗退。しかし門倉は予選を制したJR北海道から補強選手に選ばれ、7月13日に開幕する都市対抗の舞台に立つことになった。
 かつて最多奪三振のタイトルを手にし、日韓で103勝(日本76勝、韓国27勝)を残した元プロが挑む都市対抗。門倉は今、何を思いボールを握っているのか。

北海道のチームに入団も「ホームシックになりました」

「空気が澄んでいて、時間がゆっくり流れています。10月末まで湖で毎晩花火が上がるんですよ」。2008年にサミットが開催された道南の地・洞爺湖。その近くに門倉の住まいはある。伊達聖ヶ丘病院野球部は洞爺湖に隣接する伊達市の聖ヶ丘病院が母体のチームだ。「日本ハムのテストがダメだった後、大学(東北福祉大)でバッテリーを組んでいた、監督の若松(敦治)が一緒にやろうと声をかけてきたんです」。13年ぶりに連絡を取り合った旧友の熱意に応え、門倉はクラブチーム入りを決めた。目標は都市対抗出場だ。

 羊蹄山の頂にまだ雪が残る4月。門倉は北海道に来た当初、こう思っていた。「何で来たのかとホームシックになりました」。クラブチームとしては異例の専用グラウンド2面を持つものの、芝の状態はひどく、サブグラウンドのマウンドは形をなしていなかった。門倉にとってこれまでの野球人生とはかけ離れた環境だ。
 チーム名が表すようにこのチームの選手はほとんどが病院関係に従事している。昼夜を問わない仕事柄、就業時間はバラバラで練習に全員がそろうことすら難しい。門倉自身も嘱託職員として介護老人施設などへ足を運んでいる。そんな中、野球に取り組むナインの姿を見て門倉の気持ちに変化が訪れた。「遅番や夜勤明けで試合に来る選手もいますが、みんな楽しそうに野球をしています。僕もこれまでそうしてきたように“楽しもう精神”でいこうと思ったら楽になりました」

かつての同僚・三浦大輔らから贈られた野球用具

 一方、元プロの門倉を迎える側はどう思っていたのか。20代半ばの選手が大半のチームで、44歳にして投げ続ける太田政直はこう話す。「ここは企業チームではないし、田舎でリフレッシュするような場所もない。門倉が来ると聞いた時には“こんなところで(プレーして)いいの?”と思いました」。
 しかし門倉はそんな心配をよそにチームに溶け込んでいく。荒れたグラウンドは地域の人々と共に芝を刈り、自ら土を盛ってマウンドを完成させた。不足する用具は三浦大輔(横浜DeNA)、高橋由伸、山口鉄也、坂本勇人(巨人)、吉見祐治(千葉ロッテ)、木佐貫洋(オリックス)ら、かつての同僚たちが贈ってくれた。チームの主将・高田直樹(25歳)が「これはクラブ選手権にとっておこう」と、『6 SAKAMOTO』と刻印されたバットを使い惜しむと、門倉が「折らないようなバッティングしろよ」と声をかける。そんなやり取りが続くチームの雰囲気はとても明るい。

 明るさだけではない。門倉は自身の調整以外に打撃投手やノッカーを務め、ひと回り以上年が離れたチームメートにハッパを掛ける。その姿にチーム最年長の太田は「プロの経験と知恵を惜しげもなく与えてくれて、若い選手たちの刺激になっている」という。内野手の高田偉之(24歳)は「門倉さんが入ったのにこれまでと同じ成績だったら周囲の人達に“おまえたち何やってるんだ”って言われてしまう。それは嫌です」と、門倉の加入はチーム内の意識を変えていった。

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著者プロフィール

1972年東京生まれ。「韓国プロ野球の伝え手」として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。また編著書『沖縄の路線バス おでかけガイドブック』は2023年4月に「第9回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞」を受賞した。ストライク・ゾーン代表。

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