グアルディオラとモリーニョ、哲学と信念の激突=玉乃淳のクラシコ分析
「長いシーズンの中の1試合」
両チームにとって「長いシーズンの中の1試合」では済まされない一戦となった 【Getty Images】
レアル・マドリー就任1年目のモリーニョの戦いは今シーズンのための布石だったと見て間違いないであろう。チームに戦うためのスピリットを植え付け、闘志をむき出しにしたプレーを要求した。エレガントなプレーを求めるマドリーファンからひんしゅくを買おうが、おかまいなしに「現在」の強いチームを作るために仕事を遂行してきた。
記者会見の言動を見ても、昨季は自分に非難が来るように仕向け、選手へのプレッシャーを軽減させていた。今季は自分のチームへと変ぼうすべく動いた。まずは意見の相違があったバルダーノGM(ゼネラルマネジャー)を解任へと追い込み、記者会見の様子も一変させた。これまでのような他者への攻撃的な発言は少なく、まるでもう一人の会長がいるかのようにすべてを静観している。まさに「チーム・モリーニョ」が完成しつつあるのだ。
一方、バルセロナも「長いシーズンの中の1試合」では済まされない。レアル・マドリー戦は今後のリーグ戦の行方を大きく左右する一戦という位置付けになった。1試合多く消化しているため、実質、勝ち点6離され、もしこれ以上差が開くようであれば、この時点ですでにタイトルが遠のいてしまう。
スペインで指導者のレベル低下が問題に
今期開幕前、「グアルディオラのサイクルは終わった」とささやかれたこともあったが、バルセロナは余りあるタレントをそろえる中盤にセスクを加え、同時に3−4−3システムを導入した。チームをさらに進化させ、もうワンランク上のチームを作り上げるための大いなる改革を試みている。
世紀の一戦、クラシコに4−3−3で挑むのか、あるいは3−4−3か。こう、システム論に執着していたわたしだったが、スペインの地で答え探しに奔走するうちに、ある見解を探し当てることができた。
「より優れた選手が試合に出場するべきである……」
そう言ってわたしのモヤモヤを解消しくれたのは、スペインサッカー界を長らく支えてきた男たちの共通した回答であった。クラブのGMや代理人、現場の指導者(元アトレティコ・マドリー最高責任者のアントニオ・セセーニャ、元バルセロナ監督のアンティッチ、元アトレティコ・マドリー監督のマノロ・ランヘル、元ラージョ・バジェカーノ監督のアントニオ・イリオンド)の話では、近年スペインは世界最高峰と称賛されながらも、指導者のレベルの低下が問題視されているという。
これはトップチームに限ったものではなく、育成年代の指導者たちにも突きつけられている問題だ。昔に比べると監督になるためのライセンス取得のハードルが下がったことで、勉強不足の指導者たちが闇雲にバルセロナのサッカーを目指すようになった。選手をシステムの型にはめ、まるでプレイステーションのゲームのような機械的な動きを選手に強要し始めたのである。
「サッカーとは人生そのものである」と比喩されるように、選手個々に違った性質があり、特徴がある。それにもかかわらず、いわば素人監督たちによって多くの優れた選手たちがゲーム上の駒にされている。世界チャンピオンのスペインで危惧(きぐ)されている驚きの事実を現地で知ることができた。優れた選手であっても活躍できるかどうかは、優秀な監督に出会えるか否か、運に左右されてしまうのが現在のスペインの実態のようだ。