「大会新」に留まらない、野口の強さ=東京国際女子マラソン レース回顧
予想外の序盤 向かい風に自重
競技場内の1キロを3分24秒で通過した後も、ペースは思ったほど上がらない。5キロ通過は16分38秒。1999年の山口衛里の大会記録時の16分24秒どころか、昨年の土佐礼子の16分30秒をも下回る入りになった。
野口は「本当はガンガン行こうかと思っていたけど、向かい風があったので慎重にいこうと思って」と言う。強い時には4〜5メートルになる向かい風が集団のペースを抑えた。
15キロを過ぎて大南博美(トヨタ車体)と2004年優勝のブルーナ・ジェノベーゼ(イタリア)が遅れ、トップ集団は野口と渋井、サリナ・コスゲイ(ケニア)の3人になるが、20キロまでの5キロは17分13秒に落ち込み、中間点通過も1時間11分18秒。冷たい雨の中のレースだった昨年より34秒も遅れ、記録への期待が薄れてきた。「五輪の切符もかかっているし、みんなも調子が良いというから不安でした」と野口は言う。彼女にとっては2年ぶりのマラソン。豊富な練習量と順調な調整には自信があっても、精神的には自重せざるを得ない状況だったのだ。並走する渋井も、どこかリズムに乗り切れない走りだった。
テレビCMの間にスパート
「30キロまでにはスパートしたいと思っていたから、あの辺で仕掛けないとヤバイなと思って。周りを見たというより、自分の体の感覚でしたね。何かが『出ろ!』って降りてきたんですよ(笑)」と話した野口に後で確かめると、「3分10秒までいってなかったけど、10秒台にはなっていたと思います」と言う。
追い風になった5キロを16分39秒に上げた野口の走りは、前半とは違う伸びやかなものになった。30キロ過ぎも1キロ3分10秒台のペースを維持して5キロを16分26秒とペースを上げ、34キロ過ぎにはコスゲイも離し始めたのだ。一時は10メートル近く離されたコスゲイは意地を見せて35キロから追いかけ始め、35.4キロ地点ではいったん野口に並んだ。だが、彼女の頑張りもそこまでだった。上り勾配になったコースを野口が3分20秒前後のペースで押すと力尽き、徐々に離されていく。野口が、急勾配の四谷見附の上り坂を3分23秒、3分29秒でカバーすると、そこで完全に勝負は決まった。
予感させた「2時間18分台の力」
「大会記録は目標にしていたけど、前半が向かい風だったからレース中はあまり意識しませんでした。でも、ラスト5キロくらいで行けるかなと思って」
野口は大会記録を35秒上回る2時間21分37秒でゴールして北京五輪代表を確実にしたのだ。「野口も渋井さんを意識してたから、彼女がズルズル落ちて行ってからは気持ちが楽になったのでしょうね。上り坂に来たらコスゲイは落ちるだろうと思っていましたから。ああいうレースでもうまくまとめられたというのは、練習を積み上げてきたという自信があったからだと思います」と、指導する藤田信之監督は評価する。
レーススタート時に18度だった気温は、最高22.5度まで上がった。これがレース前の天気予報どおりに曇りで最高気温16度程度で、なおかつ風がなければ彼女は2時間20分ソコソコの記録で走っていたのは確実だろう。日本陸上競技連盟の河野匡男子マラソン部長はこう言う。「昆明の40キロを2時間22分で走るのはすごいことなんです。北京マラソンに出場した男子選手でも2時間20分でしたからね。彼女は今、2時間18分台で走る力を持っているはずですよ。今回も条件さえ良ければ、日本新は確実だと思っていましたよ」
今年の東京は、期待した「渋井とのハイレベルな競り合い」こそ見られなかったものの、あらためて野口の強さと、アテネ五輪以降の、29歳になっても進化する彼女のすごさを見せつけられたレースだった。
<了>
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