ミラノ・コルティナパラの注目選手! スノーボードの世界選手権金メダリスト・小須田潤太に10の質問!
--------------------------------------------------
小須田 潤太(こすだ・じゅんた)|スノーボード
1990年、埼玉県所沢市生まれ。21歳のとき交通事故で右足を切断。陸上競技を始め、東京パラリンピックに出場。その半年後にスノーボードで北京2022冬季パラリンピックに出場。ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会は、スノーボードの2種目(スノーボードクロス、バンクドスラローム)で表彰台を目指す。小学生時代の夢はサッカー選手。
※リンク先は外部サイトの場合があります
「いちばん好きな食べ物はラーメンです」
【Q2】試合当日はどんなものを食べていますか?
「試合は、日本国内ではなく、海外で行われます。日本から炊飯器とお米を持っていき、毎日、お米を食べています」
「1歳半になる娘がいるんですが、すごくかわいいんです。休みの日は1日中、娘を抱っこしています。もしかすると腕の筋肉をつけるのにいいかもしれないですね(笑)」
「初めてパラリンピックに出場したのは、2021年に開催された東京パラリンピックです。陸上競技の100mと走り幅跳びに出場したのですが、スタジアムにはお客さんが1人もいませんでした。それでも、すごく大きなスタジアムで競技をすることができ、入場しただけで鳥肌が立ちました。世界のトップ選手がたくさんいて、一緒に競技ができたんですけど、走り幅跳びの試合で自己ベストを2回更新できました。すごく楽しかったです」
【Q5】この世界選手権で金メダルを獲ったときの気持ちを教えてください。
「金メダルを獲ったとき、実はそんなに嬉しくはありませんでした。バンクドスラロームという種目は、タイムが速い人が勝ち上がるんですが、準決勝でいちばん速い選手が転んでしまったんです。僕はその選手に勝ったわけではないので、正直あまり1位になった気がしなかったんです」
「世界選手権は『本当の1位ではない』と思っています。だから、来年こそは、という思いがあります。2026年のパラリンピックで、『本当の1位の選手』になれるように頑張って練習しています」
「交通事故で足がなくなったことで、毎日落ち込んだり、すごく泣いたりはしませんでした。1年間ぐらい入院していたのですが、その間ずっとお医者さんとかから『何かスポーツをしよう』って言われていました。なかなかスポーツを始めなかったんですけど、義足で初めて走る人を対象にしたランニングクリニックというイベントがあって、なんとなく行ってみました。そして、今も僕が目標にしている山本篤さんに出会いました。それがスポーツを始めた最初のきっかけです」
「その山本さんがスノーボードをやっていて、義足でスノーボードができるという姿を見せてくれた。スノーボードなら僕の方が上達するのではないかと思い、本格的に始めました。山本さんのおかげでいろんなことに挑戦し、夢が持てるようになりました」
【Q9】スノーボード用義足の値段は?
「150万円です! 所属している企業に用具を購入してもらってスノーボードをしています」
「僕は走るのが嫌いでした。でも、足がなくなって初めて走る楽しさがわかりましたし、挑戦することで、走ることがどんなに楽しいか、わかるようになりました。ぜひいろんなことに挑戦してみて。嫌いなことこそ、挑戦してみてほしいです」
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda
※本記事はパラサポWEBに2025年3月に公開されたものです。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ