「満点をつけてあげたい」。父に見せた遠回りの甲子園/関東学院大・竹内祐太【後編】
準硬式甲子園2024。
関東学院大・竹内祐太選手(4年=三浦学苑)は、大学最後の舞台で、念願の「甲子園の土を踏む」という夢を叶えた。
高校時代、三浦学苑の3年生だった彼は、コロナ禍によって甲子園出場のチャンスを奪われる。それでも諦めずに準硬式野球を続け、大学2年の秋には網膜剥離という試練を受けながら、奇跡の復活を果たした。そして大学4年の秋、全国約1万人の選手の中から東日本選抜の25人に選ばれた。
遠回りして、ようやく辿り着いた場所。
それが、甲子園だった。
「打撃結果は2三振。でも、ボールはしっかり見えていました!(笑)」
試合は途中出場。結果を残せたとは言い難いかもしれない。それでも、外野守備でオーバーフェンス確実の打球を背走し、野球人生最高のスーパープレーを見せた。
「足が勝手に前に進んで、落下点まで過去一番速く走れました。外野の守備がこんなに気持ちいいと感じたのは初めてでした」
甲子園のスタンドには、神奈川から見に来てくれた父がいた。中学時代「野球をやめたい」と言えなかった厳格な父が、うれしそうな微笑みで応援してくれた。野球を続けてきてよかったと、心から思った。
竹内選手が野球を始めたのは、小学校1年生のとき。
中学では全国大会出場の名門クラブチームに所属し、父はそのコーチだった。とにかく厳しい指導だった。弟もいたのに、自分だけに厳しく接することが納得できなかった。母親には弱音を吐き、野球を辞めたいと漏らしたこともある。そんな中で、なぜ最後まで辞めずに続けられたのかは自分でもよくわからない。とにかく無我夢中だったからだろう。しかしこの経験が、その後の高校野球、そして目の病気を乗り越える糧となった。
「満点をつけてあげたい」
スタンドで観戦した父は、息子に極上の言葉をかけた。
「子供のころから“緊張しい”だったので、2三振は息子らしいなと思いました。でも、守備でスーパープレーがあったので、そこは満点をつけてあげたい。この話をつまみに、一緒に美味しい酒が飲みたいですね」
この言葉を聞くと竹内選手は「親孝行ができましたかね」と安堵の笑みを浮かべた。
初任給の目標は年収600万。「ゾス」を選んだ理由
卒業後の就職先は「グローバルパートナーズ株式会社」に決まった。人材紹介やベンチャー企業支援を手掛ける会社だ。数カ月前、「就活サバイバルネオ」というYouTube番組に出演し、企業のトップに希望年収や業種をプレゼンした。その中で同社の山本康二社長に気に入られ、入社が決まった。
魅力を感じたのは「ゾス」という独特の社風だったと言う。
「ゾス」——もともとは挨拶を略した造語で、どんなことに対しても「やります!」と即答して動く体育会系の精神を大切にした意思表明の言葉と言われている。同社は気持ちの強さで結果を出す人材の集まりで、挑戦する人間を育む環境に強く惹かれたという。竹内選手が打ち出した初任給の達成目標は年収600万円。プレゼンでは、その目標設定で売り込んだ。
「日本の大手企業は年功序列がほとんどで、長く働いた人ほどお給料をいただけるのが一般的。でもこの会社は年齢関係なく、結果で評価される。体力のある20代、30代の間に、寝る間がないほど忙しく働くことになると思いますが、やると決めています。厳しさを自ら取りに行くことで、絶対に得るものはあると思っているので」
自分には武器がある。野球で培った「忍耐力」と「気持ちの強さ」だ。それが、この会社なら生かせると考えた。竹内選手は、数々の困難を乗り越え、今度は社会人として自らの「強さ」を証明しようとしている。
「父は『俺が歩んできた世界とは違う世界だから、不安もあるが、とにかく頑張れよ』と応援してくれています。父が教えてくれた厳しさを糧に、頑張りぬきたいと思います」
次の「祝杯」は一人前の社会人になったと認めてもらったときだろうか。
また「美味い酒」を、親子二人で交わすのだろう。
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