早大競走部 箱根事後特集『蕾(つぼみ)』 第10回 菅野雄太

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】取材 草間日陽里、編集 會川実佑

 3度目の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で3回目となる10区を任された菅野雄太(教4=埼玉・西武学園文理)。最終学年として最後の箱根を終えた菅野。チームのレベルが上がり、「悔しい」4位となった今年の箱根について、そして今後の去就について伺った。

※この取材は1月25日に行われたものです。

3回目の10区出走

対談中の菅野 【早稲田スポーツ新聞会】

ーー解散期間はどのように過ごされていましたか

 卒論の提出が迫っていたのでずっとパソコンに向かっていました。

ーー卒論は終わりましたか

 ギリギリで終わりました。

ーーそれではここから箱根について伺います。まず、事前対談から当日にかけてコンディションの変化や調子の変化はありましたか

 事前対談の時点では結構疲労とかが出ていて体の重さがありましたが、当日に向けてテーパリングがうまくいって、調子はかなり上がってきました。

ーー箱根前の練習の消化率はいかがでしたか

 わりと個別でやることが多かったですが、最低限の練習ができていたので100パーセントに近いかなと思います。

ーー箱根当日について伺います。往路3位という成績を1月2日にご覧になった時の心境はいかがでしたか

 出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)とどこかしらうまくはまらない区間があったので、往路はしっかり全員がまとめてくれて、やっと100パーセントに近い早稲田の実力を出し切り、悔いなく往路を終えられたのではないかと思いました。また、それ以上に目標を3位としていた中で、往路が3位で戻ってきてくれて、その分勢いもついたと思います。そこは非常にありがたく感じていました。

ーー10区の出走が決まったタイミングは12月21日だったと当日におっしゃられていたと思いますが、10区出走はご自身でも予想されていましたか

 10区か9区か、復路の単独走の流れかなと思っていました。

ーー3年連続で10区に出走されたと思いますが、昨年までの経験を生かした部分があったら教えてください


 昨年までで2回走っていて、やはり16キロ、17キロ前後、田町辺りからきつくなるということもわかっているので、新八ツ山橋を過ぎた辺りから力足りる走りを意識して、今年は後半の失速を昨年までよりは防げたと思います。

3強の背中が見えた

箱根10区を走る菅野 【早稲田スポーツ新聞会】

ーー菅野選手にタスキが回ってきた時に3位争いをしているという展開でしたが、この展開は箱根前に予想されていましたか

 もしかしたらあるかもしれないとは思っていました。ただ、3位や4位ぐらいになると、わりと前後の差もあるのではないかという思いもあり、実際に回ってきた時は緊張しました。

ーーアンカーで走られたと思いますが、1区から9区の選手の走りをどのようにご覧になっていましたか

 うまくいった部分もうまくいかなかった部分もあるとは思いますが、全員がしっかり今できる最大限のことをできた結果だと思います。

ーー石塚選手(陽士、教4=東京・早実)とタスキリレーをされたと思いますが、声かけなどはありましたか

 勝負に徹していたので、正直あまり覚えていません。

ーータスキが回ってきた時点で、昨年とは違い最初から国学院大の選手と並走するかたちになったと思いますが、難しさはありましたか

 やはり自分より実力のある選手を相手にしていたので、まず引っ張る展開は非常にプレッシャーが大きかったです。また、吉田選手(蔵之介、国学院大)の特性などもいろいろその場で考えていくことが状況的に難しかったです。頭を使いました。

ーー花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)から走っている最中に声かけされて印象に残っている言葉はありますか

 3位争いに集中しすぎて、正直最初の方しか聞こえなかったです。昨年と同じ感じで良いリードができているというのは聞こえてきました。あとは区間2位争いをしているというのが少し聞こえてきて、それが走っている中で精神的支柱になっていました。

ーー給水はどなたにお願いしましたか。また、印象に残っていることがあれば教えてください

 10キロ地点では1年の瀬間(元輔、スポ1=群馬・東農大二)が給水してくれて、15キロ地点では 2年の安江(悠登、法2=埼玉・西武学園文理)が昨年に引き続きやってくれました。15キロ地点の安江は多分「仕かける時は思い切って」のような声かけをしてくれました。やはり高校からの後輩でもあるので、15キロの時点で多少きつさも感じていましたが、もう一度ギアを入れ直すことができました。

ーー区間5位という成績についてはどのようにお考えですか

 タイム自体は69分30秒を切ることができれば良いかなと思っていたので及第点ではありますが、やはり区間5位となると3位を狙うチームとしては少し足りなかったと思います。今年の10区は例年よりレベルが高かったというのもありますが、やはりもう少し区間順位は必要だと全体的に見て思いました。

ーー20年ぶりに早大記録を更新されたと思いますが、周囲からの反応などはいかがでしたか

 そんなに反応はなかったです。

ーーご自身は記録の更新をどのように捉えていますか

 総合3位を狙うチームの10区を務めるのであれば、(早大記録を)更新することはマストかなと事前に捉えていたので、まずは更新できて一安心という感じではあります。ただ一方で、思ったよりも大幅に更新することはできなかったので来年以降総合優勝を狙うのであれば来年にでも更新してほしいなと思っています。

ーーご自身の走りを全体的に改めて振り返っていかがですか

 変にけん制することもなく、ある程度攻めた走りもできました。また、17キロを過ぎたあたりで仕かけられてしまいましたが、そこで普段苦しかったことを思い出して、レースの後半には出せないようなラップタイムも出せましたし、最終的に10秒離されてしまいましたが、最後1キロでは結構詰めることができたことを考えると、やはり4年間の集大成となるレースにはなったと思います。

ーー3強の背中が見えてきたような駅伝だったと思いますが、箱根後にチーム内でどのような言葉を交わされましたか。印象に残っていることがあれば教えてください

 やはり悔しいという声は本当に多かったです。昨年は6位や7位で悔しいという言葉を(駅伝が)終わった後に聞かなかったのですが、今年はほぼ全員が悔しいという思いを口にしていました。駅伝が終わった後の慰労会でも走ったメンバーだけではなく、控えだったメンバーまで悔しさを感じていたので、その点は上位を狙えるようなチームになったのではないか思います。

これからは仕事と競技の両立へ

箱根前合同取材にて撮影に応じる伊福と菅野(写真右) 【早稲田スポーツ新聞会】

ーーここからはこれまでの4年間についてお伺いします。最後の駅伝である箱根駅伝が終わったということで、ご自身の早大での4年間を振り返っていかがですか

 予想以上にうまくいったと思います。高校時代の実績もなくて、入試のブランクもあって、1年生の前半では本当にチームでも下の方で何もかもうまくいきませんでした。正直、4年間で1回でも出走メンバーに絡むことができればいいかなくらいの気持ちでした。ですが、2年生から対校戦、関カレ(関東学生対校選手権)に始まり、いろいろな経験をすることができたので、やはりそういった経験値が箱根で3回走って崩れなかったことにつながっていると思っています。そのあたりは予想以上にうまくいったと思っています。

ーー予想以上にうまくいった要因は、ご自身としてはどのように考えていますか

 やはり一番は環境の変化というところが大きいと思います。高校までは、勉強などで走行距離もあまり稼げなかったり、あとは練習自体もわりと自分がチーム内で上の方だったので、全部自分が引っ張ったりみたいな感じでした。大学に入ってからは練習量が増えたことに加えて、ポイント練習とかも自分より強い人の後ろについて、より追い込める環境になったので、そこは伸びるようになったと思っています。加えて、大きな故障離脱がなかったというのは大きいと思います。

ーー4年間を振り返って、ベストレースはこれだったというレースがあったら教えてください

 4年生の箱根かなと思います。それか、1年生の3月に走った立川の学生ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)だと思います。

ーー4年間を共に過ごした同期の方々はどのような存在でしたか

 今までのチームは割とキャプテンの4年生が引っ張っていくというイメージが強かったですが、今年のチームはもちろん大志(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)がキャプテンではあるんですけど、一人一人が、副キャプテンのような感じの雰囲気でチームを運営してきたので、そこはお互い不安定な時とかも支えになっていましたし、何より雰囲気として過去と比べてまとまりがあってよかったのかなと思っています。4年生は個人的な付き合いとしても本当に全員仲良くて、いい学年だと思います。

ーー今後についてお伺いします。民間企業に就職されるというお話を伺いましたが、その決め手はどのようなことでしたか

 決め手としては、自分の人生を振り返って自己分析をした時に、大学まではわりとチャレンジングな感じでやってきていましたが、やはり生計を立てていくとなると自分の競技力をかんがみて少し迷うようになりました。また、これまで自分の人生で何かと両立したことが多かったなと思っていて、陸上一本でやるよりもそちらの方が自分に合っているのかなと思いました。競技をやることにはなりますが、その舞台として実業団ではなく民間でもいいと思い、就活しました。

ーー先ほどもおっしゃられたように、競技との両立を考えられていると思いますが具体的にどのようなかたちで競技を続けていこうと考えていますか

 まだ研修などが始まっていないのでなんとも言えず、ぼんやりしているのですが、トラックを大学4年間で伸ばしきれなかったので、まず1、2年かけてトラックを伸ばしていけたらなと思っています。3年目からは自分の得意を生かしてロードレースをやっていければと思っています。

ーー春から新社会人になると思いますが、現在の心境はいかがですか

 正直、資格なども全然身が入らなかったので、勉強に気持ちを向けたいという感じです。

ーー早稲田の話に戻りますが、新チームで期待する選手はいますか

 やはり今年メンバー入りした宮岡(凜太、商3=神奈川・鎌倉学園)には非常に期待しています。練習自体は誰よりもでき、最近はスピードもついてきたので、あとは経験を重ねれば必ず箱根でも好走できると思っています。

ーー最後に、これまでお世話になった方や応援してくださった方に対してメッセージをお願いします

 皆さんのサポートのおかげというのもあって、競技に集中することができ、4年間悔いなく終えることができました。本当にありがとうございました。

ーー後輩へもメッセージをお願いします

 来年、多分サポートで箱根に行くと思うので、是非メダルをかけてほしいなと思います。

ーーありがとうございました!

【早稲田スポーツ新聞会】

◆菅野雄太(かんの・ゆうた)

2002(平14)年5月7日生まれ。165センチ。埼玉・西武学園文理高出身。教育学部4年。第101回箱根10区1時間9分36秒(区間5位)。同期と卒業旅行をすると事前対談でおっしゃっていた菅野選手。行き先は日本一星が綺麗だと言われる長野・阿智村に決定したそうです。楽しんできてください!

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【早稲田スポーツ新聞会】

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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