新しいヒロイン2025《97期生・山口 すず夏》
山口 すず夏 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
やまぐち・すずか=2000年8月2日、神奈川県相模原市出身
山口すず夏の名が最初に広まったのは、15年の全米女子オープン最終予選を14歳で突破した時だった。本戦での予選突破こそならなかったが、その当時、日本人として史上最年少での出場は紛れもない快挙だった。もっとも、前年のヨネックスレディスでは13歳で予選通過しているだけに、快挙を演じる素養は既に備わっていたのかもしれない。
高校進学後もプロのトーナメントでベストアマを獲得したり、全国高校ゴルフ選手権春季大会で2位以下に7打差をつけてのぶっちぎり優勝を飾るなど結果を残していた山口だが、幸運だったのは同じ学年にライバルが多かったことだ。長野未祈が日本女子オープンで最終日を単独首位で迎える活躍を見せれば、安田祐香や古江彩佳、西村優菜、吉田優利らの活躍にも刺激を受けた。「私、負けず嫌いなんですよ。もっと頑張らなければと、練習やトレーニングにも力が入りました」。才能に努力がプラスされると加速度的に成長するのだろうか。高3で挑戦した米女子ツアーのQスクールを見事突破。翌年のツアー出場権を獲得したときには再び大きな注目を浴びていた。
まさに順風満帆のゴルフ人生に思われたが、人間万事塞翁が馬。米女子ツアーでは思わぬ高い壁にぶつかってしまう。「最初の頃は予選も通過していたんですが、夏場からずっと予選落ちが続いてしまって…」。6月以降、一度も予選を通過することがなく、シーズン終了を迎えた。第1日のスコアがよくても、第2日にスコアを伸ばさなければという気持があせりにつながり、自分のゴルフを見失っていた。
その後もしばらく不調は続いたが、ようやく調子を取り戻して臨んだのが21年のプロテストだった。ところが、最終プロテストでは合格ラインに3打及ばず失敗に終わる。「まさか落ちるとは思っていなかったので、結構ショックでしたね」。ゴルフの場合、メンタル面がプレーに与える影響は小さくない。よかったはずの調子はどんどん下降線を描き、翌22年はドライバーショットがまともに当たる気さえしなかったという。そんな状態では試合に出たい気持ちにはなれず、むしろ出ることに恐怖すら感じていた。
ある意味、山口にとってゴルフ人生のどん底にいたのかもしれない。それでも、そこから這い上がることをあきらめはしなかった。まずはショットの自信を取り戻すために、23年2月から森守洋コーチとスイング改造に取り組む。さらには24年4月からメンタルコーチに師事し、ゴルフに対する考え方も変えていった。その両輪がバランスよく稼働することにより、ゴルフのレベルが向上。24年のプロテスト合格につながった。
山口 すず夏 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
今年のオフは2年前から取り組んでいるスイング改造を完成に近づけること、シーズンを戦えるだけの体力をつけると同時に飛距離アップにもつながる筋力をアップすること、そして本来得意だったはずのショートゲームをブラッシュアップすることが課題となる。
25年は米国と日本を行き来するスケジュールになりそうだが、どちらをメインにして戦うにしても26年につながるシーズンにしたい気持ちは強い。「日本でも米国でも優勝したいですし、将来的にはロレックス ランキング1位を目指したいです」。そのためにも今は土台を固める時期と考え、自分のゴルフを作り上げるつもりだ。(山西 英希)
山口 すず夏 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
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