野球場にインクルーシブな社会をつくる? 早稲田大学野球部OB会が「子どもの遊び場」づくりに取り組む理由
【photo by Yoshio Yoshida】
実はこのイベントのテーマは、野球場に「インクルーシブな社会を具現化」することだった。参加した112名の子どもたちの中には、車いすユーザーを始め障がいのある子どもたちの姿も。企画を主導した早大野球部OB会メンバーで、北海道日本ハムファイターズスカウト部長の大渕隆氏、東京農業大学教授の勝亦陽一氏のお二人に、開催を通して感じたことを伺った。
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「夢のような時間をありがとう」
コースを駆け抜ける木場さん選手(写真左)と小薗さん 【photo by Yoshio Yoshida】
このブースで行われていたのは、2チームに分かれての対戦ゲーム「かけぬけ鬼ごっこ」。1チームが10mほどのコースの両端に立ち、走り抜ける相手チームに向かって柔らかいボールを投げる。この攻守を「数イニング」繰り返し、最終的に当てられた数の合計が少ない方のチームが勝利となるシンプルなルールだ。
車いすユーザーの小薗陽広さんは、ユニフォームに身を包んだ野球部4年の木場源樹さんに押されて、コースを疾走。すると、たちまち左右からボールが飛び交った。
投げる側が持てるボールは2個。小薗さんのチームは車いすの大きさゆえに球が当たりやすいことを考慮した。彼が先陣を切って相手の投球を集めて球切れを引き起こし、その後味方が一気に走ってより多くの人が生還するという「作戦」だったようだ。大人であれば「ボールを当ててもいいの?」とためらいを持ちそうなものだが、子どもたちは障がいのあるなしの違いを自然に捉え、それを踏まえた上でこのゲームにどうやって勝つかを真剣に考え、一緒になって楽しんでいた。
走った後は攻守交替。ボールを自力で投げることが難しい小薗さんのために、「自分で投げることができなくても、参加してもらえる方法を考えました」と木場さん。小薗さんと木場さんはボールを投げる前に相談をしてから本番へ。2人で考え抜いたタイミングで木場さんが一球を投じる、というスタイルをとった。
野球場は、みんなが自分のやり方で楽しめる場所になっていた。
終盤には、イベントを訪問した早稲田大学野球部OBで元プロ野球選手の谷沢健一さんが見守る中ティーバッティングにも挑戦。
中日ドラゴンズで活躍し、2000本安打を放った名選手・谷沢健一さん(写真右)と小薗さん。車いすに置いた台にバットをくくりつけ、車いすをくるっと回すと、見事にティーバッティングを楽しめた 【photo by Yoshio Yoshida】
スポーツをする権利は誰にでもある
イベントにはドラフトで指名を受けた部員も参加。その一人である、東北楽天ゴールデンイーグルスから指名を受けた吉納翼選手のバッティングを見つめる子どもたち 【photo by Yoshio Yoshida】
「『子どもの数が減ってチームを編成できない』とか『選手の取り合いになっている』というような状況を伺いました。自分でもデータを集め始めましたが、子どもの野球人口の減少は顕著でした」(大渕氏)
一方の勝亦氏も、研究を通して子どもがスポーツをできる環境を整備する必要性を感じていた。二人は話すと意気投合。OB会が軸となり、子どもたちに野球を指導する、野球に親しんでもらう場をつくることを決めた。
しかし、社会課題は野球だけにとどまるものではなかった。少子化と子どもの運動離れが進むことでスポーツをする子どもの数自体が大きく減少している。活動は、競技ごとでの子どもの奪い合いではなく、外遊びを通じて体を動かす楽しさを感じてもらい、スポーツ人口の分母を増やすことが目標になっていった。
そうしてイベントは「野球を指導する・野球に親しんでもらう」から向き合うべき社会の課題に合わせて少しずつその姿を変えていった。
子どもと選手が球場のダイヤモンドでかけっこ。憧れの大学野球部の部員の姿をキラキラとしたまなざしで見つめる子どもたちの表情が印象的だった 【photo by Yoshio Yoshida】
「イベントを始めた当初は、球場のある西東京市にチラシを撒いて宣伝していましたが、それでは限られた地域の人しか知ることができないので、参加できる子どももおのずと限定されていました。しかし、宣伝と募集方法にWEBを追加することで、球場周辺に住む人以外の参加も実現してきました」(勝亦氏)
そして根底にあるスタンスは「スポーツをする権利は誰にでもある」。2024年は都立青鳥特別支援学校の野球部が、全国で初めて特別支援学校単独で甲子園大会の予選である西東京大会に出場したことが話題になった。社会課題に対する問いかけを常日頃から行ってきた大渕氏と勝亦氏も、さらに一歩踏み出し、障がいのあるなしに関わらず「あそび」を通じて子どもたちが得られる経験や楽しさを伝えていこうと、今回のイベントのテーマを「インクルーシブな社会の具現化」として行うことにした。
どんな人への準備も特別ではない
今回の「あそびパーク」ではパラリンピックの正式競技であるボッチャを楽しめるブースも開設された 【photo by Yoshio Yoshida】
「安全上の観点から『今回のはそう簡単じゃないのではないか』という声がありました。普段から組織化されている団体ならまだしも、我々は任意の団体ですからね」(大渕氏)
そうした声を受け、両氏は準備を重ねていった。勝亦氏は「今までやっていなかったことですが、球場に車いすがそもそも入れるのかとか、動けるのかといった導線のチェックを行いました。特別支援学校に伺うなど、障がいがある方からも事前に意見をいただいて、配慮が必要なことも把握していきました」と振り返る。
当日、笑顔で場内を見守っていた大渕氏 【photo by Yoshio Yoshida】
“違い”という壁を感じさせない社会を野球場に
野球のボールを転がしてピンに見立てたペットボトルを倒す遊びに、小薗さんも参加。ボッチャで使用する競技用具「ランプ」(画面中央)が子どもたちの注目の的となった 【photo by Yoshio Yoshida】
「繰り返しですが、今回のイベントの前に我々がしてきた準備を“特別な準備”とは思っていません」(勝亦氏)
このイベントで早稲田大学野球部が取り組んだ「インクルーシブな社会の具現化」。大渕氏も語るように、開催日までの行程がいつもと違う「特別なこと」という認識を捨てることからすでにアプローチは始まっていたようだ。
勝亦氏は「障がいのあるなしにかかわらず、一緒にイベントへ参加することが当たり前だという状況を最初から目指していました。案内にも障がいのある子が参加することは一切触れなかったですし、来られた方々も当日来てみて、『あ、いろんな方が参加するイベントなんだ』ということを実感したのではないでしょうか」と話す。
勝亦氏も会場にくまなく目を向けつつ、笑顔を見せていた 【photo by Yoshio Yoshida】
「かけぬけ鬼ごっこと別の会場でも、小薗くんが使っていた、自分でボールを投球することが難しい人が使用するボッチャの競技用具『ランプ』に興味を持った子どもがいました。『ボールを載せてみたい』とか『転がしてみたい』と子どもたちは思ったようで、小薗くんの指示にしたがって、みんながやりだして打ち解けていきましたね」(勝亦氏)
障がいのある子が輪の中に自然に溶け込めるように“いつもとは違う”という考えは持たない。そうしたスタッフサイドの意図に、子どもたちの意識の柔軟さが加わったことで、それぞれの“違い”をありのまま受け止める空間が作り上げられていった。
また、このイベントのもうひとつの意義は、運営として関わったそれぞれにも学びが得られるということだ。北海道日本ハムファイターズからドラフト指名を受け、来シーズンからプロ野球の世界に飛び込む山縣秀選手はこう語る。
イベントの最初の挨拶も務めた山縣秀選手(写真中央) 【photo by Yoshio Yoshida】
今回、OB会と現役野球部員とのつなぎ役として中心的に活躍した、野球部マネージャーの成瀬かおりさんも、今後もっと発展させたいという思いを語っていた。
マネージャーの成瀬かおりさん 【photo by Yoshio Yoshida】
勝亦氏は「社会課題に合わせてイベントは少しずつバージョンアップしてきました。10年前にはインクルーシブという言葉はここまで一般的ではなかったと思います。来年、再来年になればまた違う社会になっているかもしれないし、それに合わせたイベントを企画し、スタッフや子どもたちと野球場あそびパークを作り上げていきたいですね」と語った。
記事でも紹介した「かけぬけ鬼ごっこ」など、大人側が見ていてもハッとさせられるような瞬間があった今回のイベント。初めての試みだったが、参加した全員にこの先につながる気づきがあったことだろう。これから回数を重ねてそういった気づきが増えていくことで、野球場で形づくられた「インクルーシブな社会」が、グラウンドの外でも実現するのかもしれない。
text by Taro Nashida(Parasapo Lab)
photo by Yoshio Yoshida
※本記事はパラサポWEBに2025年1月に掲載されたものです。
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