ロッテ国吉 22試合連続無失点で球団新記録を樹立するなど大活躍。古巣ベイスターズの日本一を刺激に「来年は自分たちの番」
千葉ロッテマリーンズ国吉佑樹投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】
あれは21年6月13日。国吉佑樹投手はベイスターズからマリーンズへのトレード移籍が決まった時の事を鮮明に覚えている。飛行機が羽田空港に到着し、機内から出るとマネージャーに呼び止められた。
「明日、球団事務所にいってくれ」。
この日までは交流戦。札幌ドームでのファイターズとのデーゲームを終えて空路、移動しリーグ戦再開に向けて気持ちを入れ直していた中で球団から呼び出された。時期的にもトレードであるとすぐに察した。
「その場ではなにも言われなかったけど、トレードだなとはわかりました。どことかは、わからなかったけど、自分の中で、ああそういうことだろうなあと思った。翌日、事務所に行くとマリーンズの有吉(優樹)さんとトレードが決まったからと言われて、すぐに発表になりました」
09年育成ドラフト1位でベイスターズに入団。11年に支配下登録され先発、中継ぎと活躍。当時、トレードが発表となった際に国吉は次のようなコメントを発表している。
「育成で入団をして様々な経験をさせていただき感謝の気持ちです。突然のことで正直、寂しい気持ち。まだ実感が湧かないです。リーグは違いますが野球をすることに関しては変わらないので移籍してもしっかり自分らしいパフォーマンスを発揮できるように頑張ります。同じ関東のチームなので試合を見に来ていただけると嬉しいです。約12年間お世話になりました」
そのシーズンはそれまで18試合に登板をして1勝1敗の防御率5・16。「主に先発が早い回に降板した時に試合を立て直す役割を担っていた」と振り返る。決して本人も満足いく成績ではなかった中でこのトレードは気持ちを一新するよい機会と捉えることができた。そして同じ関東に本拠地を置くチームということで引っ越しなどの家族の問題が伴わないことも嬉しかった。ただ一つ、不思議に思うことがあった。この年の交流戦で国吉はマリーンズ相手に交流戦2試合に登板をしていずれも打たれているということだった。
「とにかく打たれた記憶」と振り返る。
横浜スタジアムでの6月4日、初戦は1回3分の1を投げて2安打、2失点で負け投手。翌5日も1回を投げて2安打、3失点をしていた。それでもZOZOマリンスタジアムに初めて足を運ぶと「勝ちパターンで使う。その気持ちで準備をして欲しい」と球団からハッキリと明言された。高い角度から繰り出される威力十分のストレートを評価されての移籍。このシーズン、満足いく成績を出すことが出来ていたとは言えない中で、いきなり勝ちパターンを任されるほどの期待をかけてもらえたことを粋に感じた。
「寂しかったけど、選手としてはいい機会と。七回の勝ちパターンでと言ってくれたことで役割が自分の中で明確になった。これまでは先発が崩れた時とか、どこで投げるか試合展開次第で分からなかった。勝ちパターンで投げる機会もなかなかなかった。それだけにありがたかった」と国吉。また「元々、変化球でかわすタイプではなくストレートで押していくタイプだったこともパ・リーグに向いていたかも」と自己分析する。
トレード後、25試合に登板して2セーブ17ホールドで防御率1・44。最後の最後までバファローズと優勝争いを繰り広げ、最終的には2位となったチームの快進撃をブルペンで支えた。そして迎えた24年シーズン。国吉は球団記録を更新する。9月5日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)。2点リードで七回にマウンドに上がると1回を無失点。3アウト目を浅いサードフライに打ち取るとグラブに右手を荒々しく叩いて喜びを表現した。クールな大男にしては珍しいガッツポーズだった。それもそのはず。これで球団新記録となる22試合連続無失点を達成したのだ。
「19試合無失点くらいの時、球場から帰りのタクシーを待っている時に記者に言われて初めて球団記録を知った。その後、20試合連続無失点で勝ち投手になってヒーローインタビューで言われて、意識したくはなかったので、そこはあえて『全く知りませんでした』と言った。それからはもうヒーローインタビューでも話題になっているので周りの人みんな知っている。意識はしたくなくてもする。これで新記録となる日はカイケルの来日初勝利もかかっていた。色々と考えてしまったけど、抑えてホッとした。あのガッツポーズは安堵から出た感情。自然と出た」と国吉。
翌日、球場に姿を現した国吉は「記録を達成して本当に色々な人から連絡がきた。同級生、先輩、後輩。ベイスターズの人。昔からの友達。こうやって連絡をもらって改めて色々な人がボクのピッチングを見てくれていることを実感した。自分のピッチングに凄いリアクションがある。応援してくれる人がいる。本当に幸せだと思った」と嬉しそうにしみじみと口にした。
今年は最終的に41試合に登板をして防御率1・51。ブルペン陣の中心的な役割を担う選手の一人としてマリーンズの勝利に貢献した。そして古巣ベイスターズが98年以来の日本一になった事については「応援をしてみていた。すごい刺激になった。次は俺たちだという想いが強くなった。胴上げのシーンとかビールかけは自分たちがやっていることをイメージしながら見ていた。来年は自分たちの番」と気合を入れる。
ファンは親しみをこめて「国様」と呼ぶ。身長1メートル96センチ。マリーンズの誇る巨人が2025年もブルペンを支える。その先にハッキリとリーグ優勝、そして日本一を見据えている。
文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章
「明日、球団事務所にいってくれ」。
この日までは交流戦。札幌ドームでのファイターズとのデーゲームを終えて空路、移動しリーグ戦再開に向けて気持ちを入れ直していた中で球団から呼び出された。時期的にもトレードであるとすぐに察した。
「その場ではなにも言われなかったけど、トレードだなとはわかりました。どことかは、わからなかったけど、自分の中で、ああそういうことだろうなあと思った。翌日、事務所に行くとマリーンズの有吉(優樹)さんとトレードが決まったからと言われて、すぐに発表になりました」
09年育成ドラフト1位でベイスターズに入団。11年に支配下登録され先発、中継ぎと活躍。当時、トレードが発表となった際に国吉は次のようなコメントを発表している。
「育成で入団をして様々な経験をさせていただき感謝の気持ちです。突然のことで正直、寂しい気持ち。まだ実感が湧かないです。リーグは違いますが野球をすることに関しては変わらないので移籍してもしっかり自分らしいパフォーマンスを発揮できるように頑張ります。同じ関東のチームなので試合を見に来ていただけると嬉しいです。約12年間お世話になりました」
そのシーズンはそれまで18試合に登板をして1勝1敗の防御率5・16。「主に先発が早い回に降板した時に試合を立て直す役割を担っていた」と振り返る。決して本人も満足いく成績ではなかった中でこのトレードは気持ちを一新するよい機会と捉えることができた。そして同じ関東に本拠地を置くチームということで引っ越しなどの家族の問題が伴わないことも嬉しかった。ただ一つ、不思議に思うことがあった。この年の交流戦で国吉はマリーンズ相手に交流戦2試合に登板をしていずれも打たれているということだった。
「とにかく打たれた記憶」と振り返る。
横浜スタジアムでの6月4日、初戦は1回3分の1を投げて2安打、2失点で負け投手。翌5日も1回を投げて2安打、3失点をしていた。それでもZOZOマリンスタジアムに初めて足を運ぶと「勝ちパターンで使う。その気持ちで準備をして欲しい」と球団からハッキリと明言された。高い角度から繰り出される威力十分のストレートを評価されての移籍。このシーズン、満足いく成績を出すことが出来ていたとは言えない中で、いきなり勝ちパターンを任されるほどの期待をかけてもらえたことを粋に感じた。
「寂しかったけど、選手としてはいい機会と。七回の勝ちパターンでと言ってくれたことで役割が自分の中で明確になった。これまでは先発が崩れた時とか、どこで投げるか試合展開次第で分からなかった。勝ちパターンで投げる機会もなかなかなかった。それだけにありがたかった」と国吉。また「元々、変化球でかわすタイプではなくストレートで押していくタイプだったこともパ・リーグに向いていたかも」と自己分析する。
トレード後、25試合に登板して2セーブ17ホールドで防御率1・44。最後の最後までバファローズと優勝争いを繰り広げ、最終的には2位となったチームの快進撃をブルペンで支えた。そして迎えた24年シーズン。国吉は球団記録を更新する。9月5日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)。2点リードで七回にマウンドに上がると1回を無失点。3アウト目を浅いサードフライに打ち取るとグラブに右手を荒々しく叩いて喜びを表現した。クールな大男にしては珍しいガッツポーズだった。それもそのはず。これで球団新記録となる22試合連続無失点を達成したのだ。
「19試合無失点くらいの時、球場から帰りのタクシーを待っている時に記者に言われて初めて球団記録を知った。その後、20試合連続無失点で勝ち投手になってヒーローインタビューで言われて、意識したくはなかったので、そこはあえて『全く知りませんでした』と言った。それからはもうヒーローインタビューでも話題になっているので周りの人みんな知っている。意識はしたくなくてもする。これで新記録となる日はカイケルの来日初勝利もかかっていた。色々と考えてしまったけど、抑えてホッとした。あのガッツポーズは安堵から出た感情。自然と出た」と国吉。
翌日、球場に姿を現した国吉は「記録を達成して本当に色々な人から連絡がきた。同級生、先輩、後輩。ベイスターズの人。昔からの友達。こうやって連絡をもらって改めて色々な人がボクのピッチングを見てくれていることを実感した。自分のピッチングに凄いリアクションがある。応援してくれる人がいる。本当に幸せだと思った」と嬉しそうにしみじみと口にした。
今年は最終的に41試合に登板をして防御率1・51。ブルペン陣の中心的な役割を担う選手の一人としてマリーンズの勝利に貢献した。そして古巣ベイスターズが98年以来の日本一になった事については「応援をしてみていた。すごい刺激になった。次は俺たちだという想いが強くなった。胴上げのシーンとかビールかけは自分たちがやっていることをイメージしながら見ていた。来年は自分たちの番」と気合を入れる。
ファンは親しみをこめて「国様」と呼ぶ。身長1メートル96センチ。マリーンズの誇る巨人が2025年もブルペンを支える。その先にハッキリとリーグ優勝、そして日本一を見据えている。
文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章
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