ジャンク5・島拓也 (前編) 侍ジャパンをも牽引する主将が感じたBaseball5の可能性「第一人者としてここから発展させていく」
【©白石怜平】
侍ジャパンBaseball5代表の主将を担ったのが島拓也選手(ジャンク5)である。
4月の「第2回 WBSC ASIA Baseball5 アジアカップ2024」でも日の丸を牽引するなど、世界をよく知る男の競技人生に迫った。
(写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)
チームとして挑戦するタイミングで競技に出会う
チームがジャンク野球団として社団法人化し、当時から野球の普及など社会貢献活動に力を入れていた。
そんな中、代表を務める若松健太・現侍ジャパンBaseball5代表監督が六角彩子(5STARs)と出会い、競技を知った。
同年12月にはジャンク野球団主催でBaseball5の体験会を開催し、チームの一員として参加したのが最初だった。
初めてやってみた時に感じたことを訊いた。
「ボールが柔らかいので手から滑り落ちたりもしたし、とにかく手が痛かったです(笑)。
野球との両立なので、その日のうちにボールが変わったりすると難しかったのですが、慣れないといけないのでとにかく練習あるのみでした」
地道に練習を重ねて技術を習得した 【©白石怜平】
他にも吉永健太朗(Hi5Tokyo)や小暮涼(5STARs)といった、甲子園の舞台に立った者でもBaseball5の違いや難しさを体感しており、島も例外ではなかった。
守りにおいても、「野球と一緒の投げ方だと難しいと感じていたので、その練習も必要でした」と攻守両面で競技の奥深さを感じていった。
大会開催という”目標”が一つの転機に
約一年ほど活動を続けた22年に一つ大きな目標ができた。それが7月に新宿で行われた日本代表決定戦。
翌8月にマレーシアで行われる「第1回 WBSC ASIA Baseball5アジアカップ2022(第1回アジアカップ)」の代表チームを選出する大会だった。
「ここから明確な目標ができたので、そこに向けてのスイッチが入りました」と、これまで以上に熱を入れて取り組むことになる。
「試行錯誤しながら例えば『誰が一塁をやるのか』や『どのくらいのスピードで投げるのがいいのか』などを覚えていきました。それで上達していくと、楽しいと思えましたね」
ジャンク5は準優勝となり代表には届かなかったが、以降国内外問わず大会が開催され、自然とBaseball5の魅力へ虜になっていく。
チームプレーでも試行錯誤を重ねながら競技の楽しさを知っていった(6月撮影) 【©白石怜平】
価値観を変えた第1回ワールドカップでの経験
現在に至るまで侍ジャパンBaseball5代表の精神的支柱の一人であるが、当時の意外な考えと共に日の丸への想いを語った。
「日本代表は全く考えてなかったです。『いいな海外に行けて』と思っていました(笑)。ただ、22年のワールドカップではセレクションを受けられる機会があったので、ここまで来たらなりたいと挑戦しました。急に舞い込んできたチャンスでした」
第1回そして第2回とワールドカップで日の丸を背負った(10月撮影) 【©白石怜平】
会場のメキシコシティで多くの観客が注目する中プレーした7日間は、自身の実力をさらに向上させるとともに、価値観を大きく変える期間になった。
「こんなところでやっていいんだと思いました。最初のワールドカップということで、会場にいるみんながBaseball5の第一人者であった。なので、ここから競技を発展させていくんだと思えました。
しかも、1週間は”Baseball5漬け”なんですよね。なのでどんどん上手くなっていったんです。本当に楽しい期間でもありました」
大学生も”戦力”として伝えた感謝
「戦術や守りなど経験したことを伝え、練習で実践を重ねました。数をこなして自分たちができると『こうしたら、あぁなる』と因果関係が分かってくるので、それを探しては課題を潰す。そうやってまだ確立されていなかった戦術をつくり出していったのがこの数年でしたね」
チームとしても力をつけていったジャンク5は、2月に行われた「侍ジャパンチャレンジカップ第1回Baseball5日本選手権」で初代王者に輝いた。「自信を持って臨めた」と語ったこの優勝についても振り返った。
「一番のキーポイントは5STARs戦と考えていて、(同じ侍ジャパンの)六角彩子選手と數田彩乃選手を始め、地盤がしっかりしているのでどう勝つかを考えていたらまさかの初戦に当たりました。
打ち勝つことを想像してたのですが、相手の守備が良くて点が取れず焦っていた部分もありました。ただ我々も女子選手、特に代表にも入った大嶋選手と唐木(恵惟子)選手がしっかり守ってくれて僅差での逆転勝ちでした。
優勝がグッと近づいた感覚を持てましたね。GIANTSが勝ち進んできて怖さも感じたのですが振り切れて、『元プロ野球選手が相手でも勝てる』ことを証明できたのも価値ある優勝と感じました」
ジャンク5は初代選手権王者に輝いた(チーム提供) 【©一般社団法人ジャンク野球団】
島は、それには一つ大きな要因があると語る。
「桜美林大学の学生が部活動でやりたいと入部してきてくれています」
自身の母校でもある同大学では、若松代表が准教授を務めている。
若松代表はBaseball5を教育の観点から普及を推進しており、日本で初めて授業への採用そして「Baseball5部」の発足を23年に実現させた。
ジャンク5は毎週土日の夜に、学生と切磋琢磨してチーム力を高めている。
「学生も授業が休みの土日に学校へ来て、その時間を目一杯つかってやってますので、ジャンク5のメンバーは刺激されています。私も学生たちに『みんながいるから、チームも代表も強くなることができている』と感謝を伝えています」
桜美林大の学生たちも日本の強化の戦力になっている 【©白石怜平】
Baseball5の技術は「基本に立ち返る」がカギ
「ルールのベースは一緒なので、守備の基礎は一緒だと思います。ただ、グローブをつけてるイメージで捕るので最初届かなかったんですよ。
それを体の近くで捕るという基本に立ち返ったら捕れるようになりました。
なので、グローブをつけたらもっと上手くなったイメージがありました。野球でもノックを受けてて捕りやすくなりましたね。
あとはリズム。捕ってから投げるまでがとにかく速いので、投げるまでの姿勢や入り方が野球にも活かせる部分があります。ランニングスローで速くアウトにするのがBaseball5なので、野球でもスピードが向上しました」
特にスローイングが野球にも活きているという 【©白石怜平】
「打つ方は野球と全く違うものとして捉えています。ただ、体の使い方は似ていると思い、ワールドカップが終わってからキューバを研究していた時、『安定して強い打球が打てること』が大事だと感じました。
キューバの持つしなやかさは真似できないですが、下半身を回すといった自分の体で力を伝えることは、道具でも手でも一緒なので、野球経験のある人は活かしやすいと思います」
4月のアジアカップそして10月のワールドカップで日本代表の主将を務め、世界も知る島。
だからこそ日本における更なる普及、そして強化について様々な考えを持っている。
(後編につづく)
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