U-18今季ラストのU等々力開催、「“フロンターレらしさ”を出し切る」
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そのため、今季ラストのU等々力開催となる、12月1日(日)の昌平高校戦は、多くの人にスタジアムに足を運んでもらい、彼らにエールを送り、躍動する姿を目に焼きつけてほしい。
11月27日(水)、U等々力開催に向けてトレーニングに励むなか、長橋監督とキャプテン、副キャプテンに話を聞いた。
ラスト2試合に向けた監督の想い
試合終了後に長橋康弘監督は、選手たちに語りかけた。
「よし。あと2試合。大切に戦おう。ひとつでも上に行こう」
振り返れば、フロンターレU-18は真夏のクラブユース(日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会)で、クラブ史上初の決勝へ進出した。
悪天候に翻弄され、初戦の敗戦から勝利を信じて奇跡的とも言える勝ち上がり方でグループステージを突破し、準決勝では後半アディショナルタイムに同点に追いつき、9人全員がPKを決めた。そして、決勝は悪天候による40分一本勝負という異例の方式のなか、惜しくも敗れ、準優勝で幕を閉じた。
その後、あらためて高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2024 EAST優勝、その先のファイナルでの勝利を目標とするなか、なかなか思うように勝ち星を積み重ねられず苦しい後半戦を過ごしていた。
それだけに、青森山田戦での勝利は、内容含めて大きな1勝になったという。
U-18を率いて5年目となる長橋康弘監督。現役時代は右サイドのスペシャリストとして活躍した 【(c)KAWASAKI FRONTALE】
毎年のことではあるが、アカデミー最終学年の高校3年生は、最終戦が終わると卒団式をもって卒団することになる。最も長い選手は小学3年生でフロンターレに入り10年間、U-18から加入の選手もこの3年間をフロンターレのエンブレムを胸にトレーニングに励み、誇りを持って戦ってきた。
「毎年ではありますが、この時期になると選手たちは、このメンバーでやるのは最後なんだという気持ちが強いと思います。私としては、悔いが残る状況で卒団してほしくないという想いが強いです。最後の2週間で何かが大きく変わるわけではありませんが、自分たちがやってきたことを悔いなく全力で出し切ってほしいです。勝たなきゃいけないというプレッシャーを過度に感じてプレーが小さくなったり、ミスを気にしたりせず、とにかくやってきたことを思い切り出してほしい。うん、それだけかな、と思います」
「これまでやってきたことを、ただただ思いっきりやってほしい」ということを、長橋監督が繰り返し言っていたのが印象的だった。
支えてくれた3年生をいい形で送り出したい
ピッチに立てば、センターバックとして大事な「声」を武器にリーダーシップを発揮できる選手で、試合では常に彼の声がピッチに響き渡っている。声を出すことの重要性は、副キャプテンになり、より意識するようになった。
「そうですね。今年はチームの雰囲気を考えたり、いろんな人の意見もあるなかで、うまくまとめていく難しさも感じながら成長できた1年でした」
夏のクラブユースのグループステージ初戦での敗戦をキッカケに、シーズン中に長橋監督と話すなかで、取り組んだこともあったという。
「ブラウブリッツ(秋田U-18)に負けた後、何が足りていなかったのか考えて、そのなかのひとつが自分の特徴でもある声かけだと感じました。その後も、長橋さんと話したなかで、例えば雰囲気を大事にするなかでも、してはいけないミスをしたときには“大丈夫だ”というポジティブな声かけではなく、時にはダメなことはダメだと要求していくことが大事。そこの基準や質を下げてはいけないと言われて、そこは副キャプテンになってチームを考えるなかで見つけられたことかなと思います。でも、簡単なことではなくて、性格によってあまり言われたくない人もいるだろうし、言ったほうがいい人もいる。クラブユースの後は、個人としても思うようなプレーができていない難しい時期もありましたが、長橋さんから話を聞くなかで、個人もチームも敗戦したからといって基準を下げてはいけないし、むしろ上げていかないといけないということは意識していました」
2年生で唯一1桁の背番号4を背負う林駿佑。今年はU-17日本代表にも選出された 【(c)KAWASAKI FRONTALE】
「小学5年生で入ったときから、佐原(秀樹)さん(当時 U-12コーチ/現 U-18コーチ)から声は武器になると教えてもらいました。やっぱりセンターバックは声が大事だし、戦うところで周りにも魅せられるような選手になりたいと思います」
いよいよ等々力の舞台を迎えるが、今シーズン取り組んできたこと、チャレンジしてきたことを思う存分発揮し、3年生に華を添えたいと穏やかながら力強い言葉で語ってくれた。
「もちろん等々力での試合は特別な想いもありますし、いろんな人に見てもらえると思うので、自分たちのサッカーができるようにしっかり準備したいです。あとは、自分は2年生で、3年生に支えてもらってきた部分も大きかったので、3年生が卒団することはまだ実感が湧かないし、寂しさもありますが、マイナスな気持ちで卒団してほしくないので、最後いい形で勝って終わりたいです」
フロンターレ10年間の集大成
「ポジションの変更はひとつのトライでしたが、自分の感覚としてもよくて序盤は得点を決められて、このままチームに貢献していきたいと考えていました。ただ、そこから決定力不足でなかなか得点を決められず、自分としてはクラブユースまでいいパフォーマンスを出せていませんでした。だからこそ、クラブユースが終わり、全力でやってやろうと意気込んでいたなかで練習でケガをしてしまいました。でも、最後ケガで離脱したまま終わっていいのかって自分に言い聞かせて、最後の2試合、等々力は難しそうな感じもありますが、生田での最終戦もある。今はBチームでやっていた高校1年の頃を思い出して、新鮮な気持ちでやっています。なんとか試合に出て、いい終わり方をして、ひとまず一回ですけどフロンターレ生活を終えたいです」
加治佐は、齊名優太(さいな・ゆうた)と共に2015シーズンに小学3年生でフロンターレアカデミーに入り、約10年を過ごしてきた。同級生のなかで最も長くフロンターレで過ごしてきたという意識もある。
「人生の半分以上フロンターレなので(笑)、そういう意識はあります。やっぱり10年間、いろいろなことがあったなかで、トップチームには昇格はできませんでしたが、このクラブを離れることは実感が湧かないし、必ず帰ってきたいと思っています」
もちろん、U等々力にも特別な想いがある。
「小学3年生からよく試合も観に来ていたし、当時は、レナト選手がいたり、大久保嘉人さんも小林悠さんも、(中村)憲剛さんも大好きでした。昨年、等々力で試合に出たときに、やっぱり自分が観ていた場所に立ってすごく気持ちよかったし、そこに立ちたい想いはあります」
大宮U18との開幕戦では1トップで起用された加治佐海。チームの今季ファーストゴールを決めて見せた 【(c)KAWASAKI FRONTALE】
副キャプテンとしての役割を考えるなかで、離脱している間も自分がチームにどう関わって貢献するかは、加治佐なりに考えて行動してきたこともあったという。
「ケガをするまでは、キャプテンの土屋(櫂大=つちや・かいと)がいない期間もあったので、まとめることは意識していました。中学3年の頃はそういう(まとめる)立場ではなかったので、そこも自分にとってはひとつのトライでした。ケガでリハビリ期間だったときは、メンバーから外れてしまった選手のメンタルケアを意識していました。メンバーから外れて辛そうにしている選手は、もしかしたら試合に出ている人から声をかけられたらうれしくないかもしれない。それならケガをしている自分からの声かけだったら納得できることもあるかなと思ったんです。『ここで腐ったら終わりだぞ。お前はこういう武器があって今までやってきたんだから』と伝えたりしました。やっぱり監督やコーチも外れた人へのメンタルケアをするのは大変だろうし、自分のようにケガをしている選手から言われるほうが心が動かされるのかなと思って、自分がその立場だったらかけてほしい言葉をかけるようにしていました。そういう部分では貢献できたと思いますが、後半戦で勝ち星を積み重ねられなかった時期に、もっとチームに対して自分が言えたこともあったんじゃないかなという後悔は少しあります」
ラスト2試合、もし試合に出るチャンスがあるとしたら、どんな姿を見せたいかをあらためて聞いてみた。
「自分の良さは、ボールを持ったときの迫力とか前への推進力とか守備を頑張るところだと思うので、とにかく見てくれる人には自分が戦っている姿を見せて元気を与えられたらと思います。今の後輩たちには泥臭いタイプがあまりいないので、そういう姿を見せることで来年、再来年につなげていってほしい気持ちもあります」
人生を変えてもらったクラブ
「もう今シーズンの残り時間が少なくなり、本来であれば優勝争いをしている姿を後輩に見せなきゃいけなかったなかで、しっかりやらなきゃいけない。そういう姿を見せたいという想いがありました。だから、試合に勝つことはもちろんですが、それを念頭に置きながら、そういう姿は見せられたのかな。最近では、いいゲームができたので、よかったです」
柴田にとっては、今シーズンに懸ける思いが強い理由があった。
「昨年は序盤戦は出ていましたが、後半戦は出場機会を落としていたなかで、最後にワールドカップ(FIFA U-17ワールドカップ インドネシア 2023)に行き、そこで得たものが大きかったので、今シーズンに懸ける思いが個人的に強かったです。いつ(メンバーから)外れてもおかしくないと思って、先を見ずに1試合1試合、目の前のことに集中して、先のことを見る余裕まではなかったですが、全力でやってきたと言えます。やっぱり今年は90分通して試合に出られたことが大きかったです。90分あれば自分の良さは出せるし、やれる自信もありました。でも、前半戦は波があったので、そこは自分の実力不足でしたし、それでもヤスさん(長橋監督)が使い続けてくれたので、その期待に応えるために1試合1試合やってきました。ヤスさんには感謝しています」
「波があった」と自ら振り返った時期に、何を考えてどう過ごすべきかと自問自答したことで乗り越えられたと話す柴田には、晴れやかな笑顔が広がった。
「昨年までの自分は、落ちて上がってという感じで、それが波になっていました。今年は落ちてしまった時期もあったんですけど、その時に腐らずやることは大前提として、失った自信は練習でしか取り戻せないと思いました。自分の弱い部分はとくに質より量をこなして、『これぐらいやったから大丈夫だろう』というメンタルにすることが大事だと学んだんです。それが自分のなかでは大きくて、波があるのをどこかで克服しないと上にはいけないと思っていたので、とにかく量をやりました。そうやって、自分からアクションを起こせたし、これはいいかな、悪いかな、などその都度選びながらやれたことはよかったと思います」
残り2試合となり、いまどのような心境だろうか。
「2ヵ月を切ったぐらいからやっぱり意識していて、当たり前に毎日ここ(生田)に来て、家族よりも長い時間をみんなと過ごしてきたので、寂しいなという話もしました。試合で勝利をみんなで喜び合えることが何よりの幸せなので、次の等々力も絶対に勝ちたいです」
U-18日本代表の活動で欠場した1試合を除き、全19試合にフルタイム出場している柴田翔太郎 【(c)KAWASAKI FRONTALE】
「それは、燃えますよね! 高校1年のときに初めて等々力のピッチに立って、やっぱり格別なものがありました。中学1年の頃、等々力第1(グラウンド)で練習した後に、トップチームの試合がある日は自転車でみんなで観に行きました。いつも前半途中ぐらいに着くんですが、ゴールが決まると歓声が聞こえてくるので、『どっちに入った?』となり、チャントが聞こえてくるとフロンターレのゴールだとわかるんです。僕はドリブラーだったので、その頃(2019年)齋藤学選手、長谷川竜也選手が好きで、やっぱり小林悠選手が入るとスタジアムの空気が変わるし、(中村)憲剛さんも、みんな好きでした。とにかくチャントを歌うことが大好きで、みんなでサポーターとしてめちゃくちゃ歌ってました(笑)。選手たちが交代でピッチ外を歩いてベンチに戻るときは、目の前を通ったら名前を叫んでいました(笑)」
懐かしそうに当時を振り返ってくれたが、あらためてこの6年間はどんな時間だっただろうか。
「僕はフロンターレに拾ってもらったんです。(スカウトされたのではなく)一般のセレクションを受けたので、落ちたら地元の中学校のサッカー部でやるつもりでした。だから、もし受かっていなかったら、ここまでサッカーを続けていたかわからないし、人生を変えてもらったクラブなんです」
U等々力でどんな姿を見せたいか? そう質問したら、支えてくれた人たちへのあふれる気持ちを教えてくれた。
「家族はもちろん、サポーターにも観てほしいですし、僕たちアカデミーの試合を初めて観る人たちも楽しませる自信があるので、集まってほしいです。サポーターの皆さんには、チャントも作ってもらって、いつも力をもらっているので、サイドを駆けあがる姿を見せたいです。あとは、ヤスさんにはU-18の3年間で育ててもらいました。僕はヤスさん(の現役時代)と同じポジションですけど、ヤスさんのほうがうまいので、何をしているんだと思われることもあったかもしれません。これは勝手な自分の感覚なんですけど、人より厳しくしてくれたのは愛だと思っています。自分の武器、90分走り続けられる先にクロスやキックの精度があることは評価してもらったと思いますが、それだけではプロ選手になることはできないし、日本代表には到底及ばないと思います。何でもできる選手になれという期待を込めて、ビルドアップや守備、止めて蹴るの基準についても、トレーニングのなかで細かく何度も言ってくれました。そのときは『何で俺だけ』と思うこともありましたけど、やっぱりヤスさんには感謝しかないですし、成長できた3年間は、ヤスさんのおかげなので、ヤスさんが求める右サイドバックになって、その姿を見てもらいたいです」
一致団結して、最後まで戦う
「シーズンの始めは、トップチームの昇格のことや大学進学のことなど自分の進路を気にする部分もありましたけど、やっぱりこの仲間とやれる最後の1年なので、プレミアリーグで結果を残したいと挑んだ1年でした。そういうなかで、自分自身のケガも多かったし、チームの役に100%立てたかというとそうではなかったので、悔いの残る部分もあったのかなと思います」
土屋にとって、キャプテンを経験するのは初めてだったという。
「昨年のキャプテンだった濱﨑(知康)さん(現・明治大)と仲がいいので、たまに話すんですけど、行動だったり背中で示せるのが一番だということを言われました。その言葉を信じて、まずはまとめるのもそうですけど、背中で見せることを意識してやっていました」
キャプテンになると、人前で話すことが増えるが、「僕は、ぶっつけ本番は無理なので(笑)、事前にカンペを作ったりして、とくに最初の頃はすごく考えました」という。
キャプテンにもその人なりの色があるように、チームも学年によって「色」は毎年変わる。キャプテン土屋から見た今年の3年生は、どういうカラーがあるのだろうか。
「とにかく個性が強くて、いろんな個性があるんです。グループとかもあんまりなくて、みんなが話をするし、わちゃわちゃしていて、ピッチでもそういう仲の良さは出ているし、一致団結しているチームかなと思います。とくに、夏のクラブユースではそういう面が強く出た印象があります。印象的な試合は、クラブユースの準決勝と決勝もそうですけど、でもひとつ挙げるとしたらグループステージ最後の鳥栖U-18戦です。あの試合がなかったら決勝トーナメントにも進出できていなかったので、後輩たちが点を決めてくれたのもそうだし、最後の最後まであきらめずに戦ったあの試合は一番印象深いです」
8月にトップチーム昇格内定が発表された土屋櫂大。柴田と共に昨年のU-17ワールドカップにも出場した 【(c)KAWASAKI FRONTALE】
6年間過ごしたアカデミー時代、土屋にとって転機は、いつだったのだろうか。
「それはコロナ禍なんです。中学生のとき、僕が(U-13に)入った頃は身長も低くて、走るのもビリを争うぐらいのスピードだったんです。それが悔しくて、コロナ禍に自分で走ったり追い込んでやったら、自分でも変わったことが実感できました。今でもたまにチームメイトから『やっぱりカイトはコロナ禍のあの頃に変わったな』と言われます」
そういう昔話が自然に出てくるぐらいに「仲がいい」学年だったのだろう。
次の試合は、U等々力での開催だが、最終戦も含めて残りの2試合、キャプテンとしてどんなふうに挑みたいと感じているだろうか。
「昨年、一昨年と違って、最終節まで優勝が懸かっているような試合を見せることはできなかったんですけど、それでも自分たちはフロンターレらしいサッカーをして、1試合1試合、目の前の試合に向けてトレーニングをしてきました。試合でファン、サポーターの皆さんと一緒に喜び合えるように努力しています。そして、その姿を見せて、皆さんが感動できるような試合を届けたいと思っています。だから、チーム全体としても、個人個人としても、戦っている姿を見せたいなと思います」
青森山田高校戦で勝利し、「それまで苦しい状況が続いていたので、勝ってホーム等々力を迎えられるのはよかった」とホッとした表情をしていた。
「前節までは降格のことも考えるなかで、後輩たちにそういう思いをさせることは絶対にできないと自分たち3年生一人ひとりが思っていたので、勝利して残留を決められたことはよかったです」
「まだ実感はないですけど、もう残り2週間を切ってしまったので、とにかく残された2試合をやり抜こう。そういう思いだけです」
ずっと一緒に過ごしてきた仲間たちと最後まで、走り切ってほしい。
12月1日(日)はホームU等々力へ
ぜひ、長橋監督が望んでいた「思いっきり出し切る」ことで、躍動するフロンターレのサッカーを魅せてほしい。
(取材・文:隠岐麻里奈)
試合情報
高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2024 EAST 第21節
川崎フロンターレU-18 vs 昌平高校
・開催日時:12月1日(日) 13:00キックオフ
・開門時間:11:30(キックオフ90分前)
・会場: Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu
・入場料:無料
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