【オリックス】野間卓也トレーナーの歩み 選手の「準備」のサポート42年 「ケガを防いで長く活躍してほしい」
【オリックス・バファローズ】
写真:選手の身体をケアする野間トレーナー 【オリックス・バファローズ】
◆昭和のプロ野球の現場
その年の阪急の開幕オーダーを見ると山田久志投手、福本豊選手、加藤英司選手をはじめとする日本シリーズ3連覇を支えたそうそうたるメンバーが名を連ねている。チームを率いるのは名将上田利治監督。弱冠23歳の青年、野間トレーナーを襲ったすさまじい緊張感は想像に難くない。
野間トレーナーは言う。「昭和のプロ野球選手ですからね。中にはパンチパーマのこわもての選手もいました。皆年上ですし、現場は常にピリピリしてるし、本当に気を使いました」
特にベテラン選手を担当する時のプレッシャーは大きかった。一切の会話もなく選手の表情の変化だけを頼りに行うケアは、若き日の野間トレーナーにとっては果てしない時間に感じられた。
「連絡一つとってもすごく大変でしたね。携帯もメールも無いので、監督やコーチのご自宅にかけないといけないんです」。選手の診察結果を上田監督に報告する時には特に気を張ったという。
「でもね、緊張してたのは僕だけじゃない。若い選手たちも大変でした」。土足厳禁のトレーナールーム。若手選手はそっとドアを開け、背番号が書かれたスリッパを見て誰が中にいるかを確認した。自分より年上の選手がケアを受けているとわかると「目薬をさしにきました」「爪切りを借りに来ました」。要件を切り替え、すぐに出て行った。誰もが最適なタイミングで必要なケアを受けられるわけではなかった。トレーナールームをそそくさと後にする若手選手を忸怩たる思いで見ていた野間トレーナー。だが、当時のわずか4人のトレーナー陣では限界があった。
写真:比嘉投手に手を引かれる野間トレーナー(杉本商事BS) 【オリックス・バファローズ】
写真:平野佳寿投手と小田裕也選手から花束を贈られる野間トレーナー(杉本商事BS) 【オリックス・バファローズ】
◆きめ細かくケアできる体制に
選手寮「青濤館」のトレーナールームは、トレーニングルームに隣接している。トレーニングの前後に選手がケアを受けに来やすいよう、ガラス張りのドアはいつも開かれている。かつては敷居が高かったトレーナールームに、今は気兼ねなく選手がやって来る。
「一番良かったと思っているのは、身体に違和感があった時にためらわず相談してくれる選手が増えたことです」と野間トレーナー。
ほとんどの選手が身体の張りや古傷を抱えている。事前に打ち明けてもらえれば、グループ内で連携し、専門知識を基に大きなケガを防ぐ手助けができる。治療や練習メニューの変更、病院での検査の提案など、できることはいくつもある。「ケガの重症化を防ぎ、身体を大切にしてもらうことで、選手に長く活躍してもらいたい。それが僕らにとって一番嬉しいことなんです」。ケガをきっかけに志半ばで球団を去る選手を数多く見てきた。年を重ねるにつれ、その思いは強くなった。
写真:京セラドーム大阪で選手に感謝の気持ちを伝える野間トレーナー 【オリックス・バファローズ】
◆準備は全てを制する
テーピング用に使うテープ一つとっても、伸縮性や幅、固さが異なり、様々な種類がある。ケガの状態によって最適なテープを選び、最適な巻き方を事前に考えておく必要があるという。「特に難しい位置のケガは巻き方も複雑になります。腫れが引いた場合や悪化した場合など何通りか前日から考えていました。選手の前で落ち着いてケアできるように心がけていました」。試合中のケガにも迅速に適切な処置ができるよう、日ごろから専門書に目を通し、頭の中でシミュレーションして準備していた。
本屋敷俊介コンディショニンググループ長は、野間トレーナーについてこう語る。「治療に関する技術は日々進歩しますし、器具や機材もどんどん最先端のものが生まれます。その中で野間さんは若いトレーナーに負けじとたくさん勉強してくれていました」
トレーナー陣で最年長となっても自身の経験を過信しなかった。「温故知新ですね」。身につけた手技療法や鍼灸技術を軸に、新しい知識も貪欲に学び、選手たちの準備をサポートし続けた。
写真:選手たちから特製ユニフォームをプレゼントされ、にっこり微笑む野間トレーナー 【オリックス・バファローズ】
◆「ケガ無く試合を」
退職後は「全国球場巡りです」。シーズン中は仕事一筋。これまで行楽シーズンに一度も旅行をしたことがなかった。奥様と一緒に観光がてらビジター球場を訪れ、ファンと同じ目線で試合を観たいのだという。
「でも、やっぱりこの仕事をずっとしてきたからね」。クロスプレー後の表情、デッドボールが当たった時の仕草。選手の一挙手一投足を注視し、何かあれば身を乗り出して案じる自分の姿を想像してしまう。「皆ケガ無く、無事に試合をしてくれますように」。42年間変わらなかった祈りを、これからはスタンドから送り続ける。(西田光)
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