横浜F・マリノスが国立競技場で試合をする意味

横浜F・マリノス
チーム・協会
 横浜F・マリノスにはクラブフィロソフィーがある。それは、たとえば社長が誰になろうと、どのポジションに誰が就こうとも、変わらないクラブの哲学だ。

 その中に「VALUE」=「行動・判断基準」として「CHALLENGING」とある。また、「CULTURE」=「クラブ文化」として「勇敢(Brave)」とある。

【横浜F・マリノス】

「私たちは常に今より良くなることを目指して挑戦し続ける」、または「変化やリスクを恐れない勇猛果敢な集団であろう」とするために、間もなく一つの勇敢なチャレンジが行われようとしている。

 それは8月24日に行われる明治安田J1リーグ 第28節 セレッソ大阪戦。実に16年ぶりとなる国立競技場でのホームゲーム開催だ。

 F・マリノスは前身である横浜マリノス時代から、国立競技場は特別な場所だった。

 1995年には2試合とも国立競技場で行われたJリーグチャンピオンシップでヴェルディ川崎に2勝し、初のJリーグタイトルを獲得。2001年にはヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)を優勝し、2014年1月1日には旧国立競技場での最後の開催となった天皇杯を制した。

 そして忘れてはならないのは、1993年5月15日、Jリーグ初の公式戦を戦ったのが、横浜マリノスだった。そして横浜マリノスはJリーグ史上初めての勝利チームとして日本サッカーの歴史に名を刻んでいる。

【©J.LEAGUE】

 そのJリーグ開幕戦に出場するなど、選手として国立競技場での歴史的な試合の数々を経験し、GKコーチを務めて18年目になる松永成立は言う。

「国立という名前がついていますし、国を代表して試合ができるという高揚感がありました。自分にとっては特別なスタジアムです。選手からコーチに立場が変わってもその思いは変わりませんし、(スタジアムが)新しく生まれ変わっても変わらない、かけがえのないものです。コーチとして選手たちが国立でプレーしている姿を見る特別感は変わりません」

 また、2001年のJリーグヤマザキナビスコカップ優勝を経験した波戸康広アンバサダーが「みんなで喜びを分かち合ったのはすごく記憶に残っているし、その国立でホームゲームができるのは、また違った喜びや感動があると思う」と言えば、2013年の天皇杯優勝を経験した栗原勇蔵クラブシップ・キャプテンも「サッカーでいう聖地だと思っているし、そこで元日にやるというのは昔の夢であり目標だった。国立をホームゲームで使えるのは感慨深い」と同調する。

【©J.LEAGUE】

 一方、横浜F・マリノスには、サッカーを開催する上では国立競技場をも上回る日本一のキャパシティーを誇る日産スタジアムというホームスタジアムがある。さらに、現在も年に数試合、Jリーグを戦うニッパツ三ツ沢球技場もキャパシティーの面では小さいが、ピッチとスタンドの距離が近い専用球技場であり、観戦面では日本屈指と評価する人も多い素晴らしいホームスタジアムだ。

 それなのになぜ、前回開催から16年経った今、国立競技場でホームゲームを行うのか。

「国立競技場は横浜F・マリノスの前身、横浜マリノスがJリーグの第一歩を記した場所ですし、数々のタイトルを獲った場所です。クラブの歴史を紡ぎ出してきた場所でもあるので、あらためて我々がホームゲームを行うことに意義を感じています」

 そう話したのは、横浜F・マリノスでホームゲーム運営やチケッティング、ファンクラブ、商品事業部など多岐にわたるビジネスセクションを統括する、マーケティング&コミュニケーション部で本部長を務める永井紘だ。

永井紘マーケティング&コミュニケーション部本部長 【横浜F・マリノス】

「F・マリノスは日本のリーディングクラブとなり、アジアや世界でも知られるようなクラブになっていきたいと考えています」

 その過程として、国立競技場でホームゲームを行うことが意味を持つと永井本部長は考えている。

「F・マリノスにとってのホームタウンである横浜市、横須賀市、大和市が大事であることは間違いありません。ただ、ホームタウンの外にF・マリノスというクラブを示す、轟かせることが今回の大きなチャレンジになると思っています。F・マリノスの試合、もしかするとサッカー自体を初めて観る方に対して、F・マリノスというフットボールクラブを知ってもらい、興味を持っていただいた方に、また我々のホームゲームに足を運んでいただく。まずは国立競技場で試合を観て面白いと思ってもらえたら、次は横浜に、というストーリーを描けると思っています」

 横浜F・マリノスは昨年もアウェイゲームとして国立競技場で戦った。その際に永井本部長があらためて感じたのは、アクセスの良さだった。JRで千駄ケ谷駅と信濃町駅、都営大江戸線で国立競技場駅、東京メトロ銀座線で外苑前駅、青山一丁目駅が徒歩圏内。これだけの駅からアクセスできるスタジアムは他にない。だからだろう、「普段はそれほどサッカーを観ていらっしゃらないのではないかという方も含めて、人が集まりやすい場所だ」と感じた。

 そんないわゆるライト層が多い場所で試合をすることは、クラブにとってはチャンスでもあると永井本部長は言う。

「すでにF・マリノスに関心を持っていただいている方に、さらに好きになっていただいたり、スタジアムに足を運んでもらう回数を増やしていただけるような努力を、クラブとしては当然していかなければいけません。それと同時に、新しくF・マリノス、あるいはサッカーやスポーツに興味を持っていただける方をどのように増やしていくのか。その両輪だと思っているので、ここはすごく大事な部分だと思っています」

 近年はコロナ禍が明け、新規のファンや関心を持つ人たちが増えていることを実感している。過去にはアウェイゲームであっても国立競技場開催の試合の前後で、Jリーグの各種サービスで利用できる共通の会員サービス、JリーグIDのクラブ登録数が増えた。また、実際に再来場しているかどうかは別の話になるが、新たな来場者の再来場意向の割合が90パーセントを超えていることもデータとして出ている。

 チームとしてもこの5年で2度、Jリーグを制し、アジアの頂点を決めるAFCチャンピオンズリーグ2023/24(ACL)で決勝まで勝ち進んだ。

 ホームゲームを国立競技場で開催するに至るまで、さまざまな事情も絡んでいる。ACLを戦い、勝ち抜くことを見越して通常よりも多くの日程でスタジアムの使用を確保しなければならなかった。実際に今回の8月24日がそうなのだが、コンサート等のイベント使用も日産スタジアムの年間計画に入ってくる。

 それでも、いや、だからこそ、日本のリーディングクラブになり、世界に名を知らしめるため、その一因であるファン・サポーターを増やすため、その予備軍ともいえる新たな関心層を増やすため、今、国立競技場でホームゲームを行う。

マンC幹部「マンチェスターに持って帰りたい」

 そして今回のホームゲーム国立開催の合言葉は“SHOW THE TRICOLORE”。トリコロールを魅せつけろ。この合言葉が発表された際、SNSでは「マリノスファミリーが一体となり、その絆の強さ、フットボールの素晴らしさを、全国に示そう!」とメッセージを送った。

 クラブは国立競技場でホームゲーム開催を成功させるべく、これからさまざまな施策を考え、実行していく。ただもう一つ、事業や自分たちの力とは違った方向から、国立競技場でホームゲームを開催する意義がある。

 それは、横浜F・マリノスのファン・サポーターの力だ。

 今年1月に行われた新体制発表会、代表取締役社長を務める中山昭宏はこんな話をしていた。

「昨年7月、Jリーグの企画でマンチェスター・シティFCと国立競技場で戦いました。その際にシティの幹部と一緒にいましたが、彼らがF・マリノスのファン・サポーターの方々を指して、『マンチェスターに持って帰りたい。マンチェスターにあれが必要だ』と話しかけてきました。あのシティがうらやむような我々の財産、みなさんの応援は世界に誇れるものだと思いました」

【横浜F・マリノス】

 永井本部長も「事業面での目線ではない」と前置きしながらも、ファン・サポーターの力が、また新たなファン・サポーターを生むことに寄与していると考えている。

「お子さんだと試合より応援に目がいくということも実際に聞きます。今まではゴール裏は『サポーターズシート』として一つの席種でしたが、サポーターズシートを少し狭めてもらい、その横に隣接していた別の席種を拡大し、且つ一番お手頃な価格設定にしました。最初にチケットを買われる方は値段で決めることも多いので、その席を買っていただくと、隣で応援しています。応援がよく聞こえるわけですよね。目にも入るので、『あそこに行ってみたい』ということでサポーターズシートに移る、ということもあると聞いています。そこは観に来たお客さまがもう一度来たいと思える一つの要因には間違いなくなっていると捉えています」

 もちろん、F・マリノスにとって国立競技場でホームゲームを開催することがゴールではなく、「ただ大事なのは来て終わりじゃなくて、もう一度継続的に来ていただくか。そこからはもう完全にクラブの仕事」(永井本部長)でもある。

 そのためにもまず8月24日、国立競技場で戦う意義、マリノスファミリーの力、トリコロールを魅せつける。

Text by:菊地正典(Masanori Kikuchi)
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著者プロフィール

日産自動車サッカー部として1972年に創部。横浜マリノスに改称し、1993年にオリジナルメンバーとしてJリーグ開幕を迎えました。1999年には横浜フリューゲルスと合併し、現在の横浜F・マリノスの名称となりました。マリノスとは、スペイン語で「船乗り」を意味し、世界を目指す姿とホームタウンである国際的港町、横浜のイメージをオーバーラップさせています。勝者のシンボルである月桂樹に囲まれたエンブレムの盾には、錨とカモメが表現されています。こちらでは、チーム、試合やイベントなどさまざまなニュースをお届けします。

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