【コベルコ神戸スティーラーズ/神戸から日本のラグビーを熱くする】 母国の友人と対戦し、嬉しい歴史的勝利。JAPAN XVとして途中出場のティエナン・コストリーが見据える未来
昨年11月に第1子が誕生。子供の存在も原動力だと話す。PAPAパワーで日本代表での活躍を誓う。(写真提供/平本芳臣) 【コベルコ神戸スティーラーズ】
試合に出たことも、結果も嬉しい!
「チャンスがあれば出たい」
オーストラリア人の母とニュージーランド人の父を持ち、4歳の時に父の仕事の関係でニュージーランドへ。ちなみに、ニックネームの「タマ」は、マオリ語で「男の子」という意味だ。
母国のチームとの対戦に意欲を見せたタマ。それもそのはず、マオリ・オールブラックスのPRベネット・クメロアは、中学時代に一緒にプレーした仲だ。クメロア以外にも仲の良い選手がいた。
彼らと対戦したい。リザーブではあるがメンバー入りがわかった時は、心から嬉しかったと話す。
チームは第1戦でディフェンス面の課題が出た。ディフェンスを担当するデイビット・キッドウェルアシスタントコーチのもとで、ラック周辺での役割など詳細を詰めて、第2戦に臨んだという。
観戦しているだけでも汗が噴き出る蒸し暑さの中でJAPAN XVがゲームの主導権を握り、前半は相手をノートライに抑えて、8-0で折り返した。
出番は、11-7で迎えた後半11分。グラウンドへ入ると、すぐに見せ場が来た。敵陣22m付近でボールをもらうと力強い走りで前進。PR竹内 柊平(浦安DR)のトライに繋がった。ディフェンスでも、鋭いタックルを繰り出し、26-14で対マオリ・オールブラックス戦初勝利という快挙に貢献。
「友人と対戦し、勝利もできて嬉しい!」と破顔し、試合後マオリ・オールブラックスのロッカールームへ足を運び、友人たちと旧交を温めた。
目標は代表キャプテンとしてラグビーワールドカップ出場
高校卒業後に目指すチームに入れず進路を悩んでいた時に、母校のコーチからIPU環太平洋大学への進学を勧められた。当時、父親が進行性の病気にかかっていたこともあり、躊躇したが、「このチャンスを手放したら、反対に父が悲しむ」と来日を決意。
ただ、それは簡単な決断ではなかった。母と一緒に日本に来て大学の施設見学や学長への挨拶をした後、ホテルで母と話し合い、涙を流しながら、愛する家族と離れてIPU環太平洋大学でプレーすることに決めた。
「大きな犠牲を払うんだから、絶対に将来は日本代表になる」
日本代表でプレーすることは、その時からの目標だ。
尊敬する父は大学1年の時にこの世を去った。また、大学2年の時はコロナ禍で帰国できず、クリスマスの時は寂しさで泣いたことも。その苦しい時期を支えてくれたのが、昨年結婚した奥様の存在だ。4年の時には、チーム史上初となる大学選手権に出場。東海・北陸・中国・四国代表決定戦vs朝日大学では自ら3トライを決め、30-28で勝利し、大学選手権初出場の原動力となった。
自他ともに認めるドラマティックな4年間を過ごした後、コベルコ神戸スティーラーズへ。「NTT リーグワン2022-23」第10節BL東京戦でデビューを飾ると、そのシーズン、アーリーエントリーとして5試合に出場を果たした。昨シーズンは全試合に出場し、持ち味であるスピードをいかした走りや激しいタックルで存在感を示した。そして、この夏、目標としていた日本代表入り。
チームメイトのHO松岡 賢太は、「タマは負けず嫌い」という。負けず嫌いの性格で、プレーも、日本語も上達させてきた。
日本代表入りという来日当初の目標を叶え、6月22日に行われたエディージャパンの初戦となるイングランド代表戦ではファーストキャップを獲得。今後のターゲットは「ラグビーワールドカップ2027オーストラリア大会」に出場することだ。
「オーストラリアには母方の親戚が大勢います。みんなの前で日本代表としてプレーしたいですね」
ワールドカップ出場時には、日本語が堪能なこともあり、外国籍の選手と日本人選手の橋渡し役として、リーチ マイケル(BL東京)のような日本代表キャプテンになってチームを牽引したいとも話す。
これからどのような道を歩むのか。
タマの日本代表としてのストーリーは、はじまったばかりだ。
取材・文/山本 暁子(チームライター)
●7月13日(土)19時05分キックオフ ※キャップ対象試合
日本代表vsジョージア代表(宮城・ユアテックスタジアム仙台)
●7月21日(日)14時05分キックオフ ※キャップ対象試合
日本代表vsイタリア代表(北海道・札幌ドーム)
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