21歳の日本人大学生が挑むインドネシア女子サッカー代表コーチ!

びわこ成蹊スポーツ大学
チーム・協会

インドネシア女子サッカー代表コーチに就任した谷口拓海さん 【©びわこ成蹊スポーツ大学】

 2024年7月、滋賀県の大学に通う21歳の大学生谷口拓海さんがインドネシア女子サッカー代表コーチに就任するという異例のニュースが発表された。谷口拓海さんは東京都の修徳高校からびわこ成蹊スポーツ大学に進学し、数々の挑戦を経て今回のチャンスを掴んだ。現在、インドネシア女子サッカー代表の監督を務める同大学男子サッカー部望月聡総監督との出会いからオーストラリアでの語学留学、そして突然のオファーと決断まで、彼の歩んできた道のりを振り返りながら、異例の代表コーチ就任について取材した。

大学進学と運命の出会い

 東京都の修徳高校から滋賀県のびわこ成蹊スポーツ大学に進学した谷口さん。しかし、彼の第一志望は関東地方の大学だった。公式戦の日程と第一志望の大学に入学試験日が重なり、視野を広げて全国のスポーツ学を学べる大学を探したことで、びわこ成蹊スポーツ大学と初めて出会った。その次のアクションの早さが彼の長所である。すぐに大学に電話で問い合わせると、翌日には新幹線に乗って滋賀県へ。すると、「まさか前日に電話しただけの高校生に対して、サッカー部の監督と直接話せる機会を作ってもらえると思っていなかった。はじめてモチさん(望月監督)と出会い、話をさせてもらえたが、無理に誘うことはなく、一人の人として丁寧に接してくれたことが印象的だった」と、今回のコーチをオファーした恩師との出会いを振り返る。

順風満帆な大学生活ではなくても、自ら掴んだチャンス

 大学入学後は、『順風満帆な大学生活…』とはならず、コロナ禍の影響を受けた。サッカー部の活動が満足するほどできず、地元の大学に編入しようかと考えたほどだった。高校時代の友人に相談する中、自分が友人に話している内容を客観的に評価した時に「逃げてるだけじゃない!?」と感じたことで、大きく気持ちが変化したと大学1年次生の冬を振り返る。2年次生からは、選手から学生コーチとなったことで、さらに変化が生まれたという。学生コーチとして、同大学男子サッカー部社会人チーム『HIRA』のメインコーチとして選手を指導。さらに、日本サッカー協会(JFA)の補助学生としてライセンス講習に参加することでたくさんの指導者と出会い、多くの知識を吸収した。「興味のあることへの学びには欲が出る」と彼は話すが、その行動力と熱量が周りの多くの関係者を巻き込んでいることを感じさせられた。
 また、同大学男子サッカー部の石間寛人監督(当時コーチ)との出会いも大きかった。学生コーチとして活動していた2年次生の冬に石間監督から何気なく言われた『びわこのために』という言葉が、今の活力となっている。何か判断する時に、「この結果はびわこのために、チームのために、大学のためになっているのか?」と自問自答するようになったことで、より客観的に物事を考えることができるようになった。それがまた、彼の武器の一つとなっている。

びわこ成蹊スポーツ大学の学生コーチとして指導する谷口拓海さん 【©びわこ成蹊スポーツ大学】

オーストラリアでの価値観の変化

 卒業後のキャリアを考えることが多い中で、4年次生になる2024年春から『休学』を選択してオーストラリアへ語学留学にチャレンジした。「卒業後には海外へ」と漠然と考えていたが、在学中にチャレンジすることを決断し、4月から6月の3か月間オーストラリアの語学学校へ。語学を学ぶだけでなく、現地のサッカーチームにアプローチし、選手としてだけでなくU-18カテゴリーのコーチとしても活動。日本から飛び出し、海外にチャレンジしたことで価値観に変化があり、「日本のサッカー界で…」と考えていたが、「世界のサッカー界のため」へと目標は大きく進化した。

オーストラリアでコーチとして指導したU-18カテゴリーの選手との集合写真 【©びわこ成蹊スポーツ大学】

突然のオファーと決断

 オーストラリアには1年間の留学を予定していたが、5月下旬に望月監督から連絡があった。突然の「インドネシア女子サッカー代表コーチ」のオファーに戸惑い、不安もあり悩んだが、チャレンジすることを決意した。決意した背景には「びわこのために」が原点だったと話す。「在籍する大学のために、先輩や同期に後輩、これからの未来の後輩のためになるなら、他の人にはないチャンスだからチャレンジするしかない」と大学生ながら代表コーチのオファーにチャレンジすることを決断。今は、「最大限できることをやる!」と前向きになっている。また、「大学生の自分が無謀なチャレンジをする姿が誰かの原動力になれば」とも話す姿が印象的だ。

新たな責任と期待

 インドネシア国内のサッカー熱は非常に高く、「2035年W杯出場を目指すチームに貢献したい」と話す。楽しみが多いが、プロの指導者としてのキャリアが始まることへの責任も感じている。これまでもコーチとしての責任は感じていたが、プロの指導者、代表チームのコーチとしての責任はまた違ったもの。大学を卒業していない自分がチャレンジできるのは、世界中を探しても多くないと前向きに捉えている。
 「なぜ自分が?」と望月監督にオファーのタイミングで聞いたが、その回答は「情熱を持った若い指導者を探していた」だった。確かに「情熱をもった若い指導者」としては自信があったが、それでも「なぜ自分が?は消えないが、この答えはすぐに出るものでもないので、探し続けたい」と彼は話す。異国でのチャレンジを通して、その問いに対する答えを追求する。21歳の若き指導者のプロサッカーコーチとしてのキャリアがインドネシアからスタートする。この挑戦がどのように実を結ぶのか、今後の活躍に期待が高まる。
 世界中を探しても今回の異例の挑戦ができる人は少ない。彼の熱意と行動力があったからこそ得たチャンス。彼のこれからのチャレンジはきっと多くの人に影響を与えてくれるだろう。「びわこのために…」誰かのために行動することの「エネルギー」がまた誰かに伝わることに期待したい。
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著者プロフィール

2003年に開学した我が国初で唯一の「スポーツ」を大学名に冠したパイオニアが、その役割を全うすべく、「スポーツに本気の大学」を目指し「新たな日本のスポーツ文化を創造する大学」として進化します。スポーツを「する」「みる」「ささえる」ことを、あらゆる方向から捉え、スポーツで人生を豊かに。そんなワクワクするようなスポーツの未来を創造していきます。

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