“シルク・ドゥ・ソレイユ”出身のニンジャ・マックが語る、プロレスとの意外な共通点とは? サーカスでの下積み時代は「ショーの“モルモット”だった」!?【インタビュー後編

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【新日本プロレスリング株式会社】

NOAHからの刺客として、『BEST OF THE SUPER Jr.31』Bブロックにエントリー。その破天荒でスピーディーな空中殺法の数々で衝撃を与えているニンジャ・マックのルーツに迫った直撃インタビュー!(後編)

撮影/タイコウクニヨシ

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■俺のことを応援してくれたら嬉しいし、よそ者とみなされてブーイングをされたとしても、それはそれで構わないよ。

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――前回は『BEST OF THE SUPER Jr. 31』でこれから戦う相手選手たちへの感想をうかがってきましたが、今回はあなたのこれまでの歩みについて、少し時間をとって聞いてみたいと思います。

ニンジャ いいだろう。

――まず、あなたはプロレスリング・ノアの代表として新日本プロレスの大会に参戦していますが、日本のどの団体に参戦するかによって、プロレスリング・ノアと新日本プロレスのファンがクロスオーバーする場合もあれば、そうならない場合もあります。違う団体に参戦するたびに、毎回新しいスタートを切らなければならないと感じたりするものなのでしょうか?

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ニンジャ 俺にとっては、常にやっていることは変わらないんだ。試合に勝っても負けても、俺のトレーニングのプロセスは変わらない。それと同じなんだ。毎日朝起きて、同じようにトレーニングし、同じように準備をする。俺は非常に負けず嫌いなんだが、トレーニングのやり方、その一貫性、そしてあらゆることへの適応力が俺のことを際立たせていると考えている。

――前回も触れましたが、今大会を通じて、ご自身の多様性を示したいと?

ニンジャ その通りさ。俺は今までに様々な場所で試合をしてきた。ジョシュ・バーネットの『BLOOD SPORTS』、昨年のROH、東京ドームでのムトウ(武藤敬司)の引退記念の大会、『ALL TOGETHER』、プロレスリング・ノアの両国大会……どれも大きな舞台で、そのときそのときに感じたこともまったく違うんだが、俺はどこに行っても同じプロセスを保つことができているんだ。観客の感情にも左右されない。俺のことを応援してくれたら嬉しいし、よそ者とみなされてブーイングをされたとしても、それはそれで構わないよ。

■最終的にはシルク・ドゥ・ソレイユのマイケル・ジャクソン・ワークショップでも働くことができたんだ。

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――もともとニンジャ選手はサーカス出身なんですよね。

ニンジャ ああ、その通りだ。

――サーカスの一員になった、その経緯を教えていただけますか?

ニンジャ いいだろう。高校を卒業して、大学には1年間通ったんだが、俺に大学は合わなかったんだ。

――大学が合わなかったというのは?

ニンジャ もちろん勉強はしていたし、成績も悪くはなかったんだが……正直に言うと、大学がとても退屈だったんだよ。あまりハッピーでもなかったし、満足感を得ることもなかった。俺は子どもの頃からレスリングをやっていたし、体操やトランポリンもよくやっていた。だから、外に出て自分の運動能力を活かそうとすることが、自分のスタイルには合っていたんだ。

――どのような過程を経てサーカスに入ることになったのでしょうか?

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ニンジャ あのシルク・ドゥ・ソレイユに応募したんだ。シルク・ドゥ・ソレイユに応募すると、応募者としてメンバー登録されるんだが、同時に他の場所での別の仕事もやらなければ生活していけないんだ。結局、サム・トレゴ・プロダクションという場所で働くことになったんだけれども、そこはシルク・ドゥ・ソレイユに比べるとインディーズのサーカスみたいなところだった。

――なんとなくですが、プロレスのビジネスとそれほど違いはなさそうな感じですね。

ニンジャ ああ。サム・トレゴと一緒にカリフォルニア中を何回もツアーして回り、ワシントンまで行った。それからメキシコに3か月、ベネズエラに3か月行ってきたよ。

――まるでヤングライオンが行うことになる海外遠征みたいな感じで。

ニンジャ そこからベルギーにも少し行って、最終的にはシルク・ドゥ・ソレイユのマイケル・ジャクソン・ワークショップでも働くことができたんだ。

――そうなんですね!

ニンジャ だが、基本的に俺はそのショーの“モルモット”だったのさ。彼らのサーカスで行う新しいアイデアを実験するときに、俺は大砲に座らせられたり、空中ブランコに乗せられたりしていたんだ……。実際、いろいろととひどい目に合わされてきたよ。

――クレイジーな環境で、出し物の実験台にされてしまったと。

ニンジャ ああ、そうすれば、大スターが怪我をすることもないからな(笑)。

――そのような経験の中で怪我をしたことはありませんか?

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ニンジャ ないよ。それが一度もないんだ。彼らはとても安全には配慮してくれてはいたんだ。というのも、シルク・ドゥ・ソレイユは非常にプロ意識の高い組織なんだよ。ショーのアイデアを考える裏方たちの間では、たくさんの議論が交わされるんだ。「空中ブランコに人を乗せて、それを大砲から60フィート(約18m)上空に打ち上げ、ネットの上に着地させて怪我をさせないようにする」みたいなことを平気でやらされるがな(笑)。

――その新しいアイデアに関する話し合いでは、意見の交換などはあるのでしょうか? まるでタッグチームのレスラーたち、野心的な技に挑戦したい若手と、それを導こうとするベテランの在り方と同じような感じがするのですが……。

ニンジャ シルク・ドゥ・ソレイユのワークショップにいると、スタッフたちはよく意見を聞きに来るよ。「時速20マイル(時速およそ30km)の速さで大砲を撃ってもいいか?」とか言われて、「じゃあ、5マイル(時速およそ8km)から始めて、10マイル(時速およそ16km)にしよう」とかね(笑)。ちゃんと監督とメンバーたちの間でそのような話し合いがあって、本番になると、それがさらに高いレベルでプロデュースされるんだよ。

――とても興味深い話です。

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ニンジャ でも、君が言うように、シルク・ドゥ・ソレイユとプロレスには似ている部分も多いと思うよ。例えばプロレスでは1つの大会に8つの試合があったりするが、サーカスでは1つのショーに8つの演目があるんだ、途中で休憩も入るしね。サーカスでは1つの全体のテーマを各演目によって組み立てていくものなのだが、プロレスではメインイベントが頂点であることをファンは望んでいるよな。

――だから、あなたは試合に勝つことを意識しながらも、同時にその日のカードにおける自分の位置を意識されているのですね。

ニンジャ そして、自分自身を最も際立たせることができる場所にすると同時に、すべてのファンがその夜をハッピーに終えることができるために、自分が最高のポジションにいること。そのためにはすべてに対して情熱と存在理由がなければならないんだ。

■幼い頃から俺はプロレスが大好きだったんだが、どうやってプロレス界に入ればいいのかはわからなかったんだ。

【新日本プロレスリング株式会社】

――では、あなたがサーカスを辞めて、プロレスの世界に入ろうと思うことになったきっかけは何だったのでしょうか?

ニンジャ サーカスで活躍していたときから、この状況がずっと続くわけではないことはわかっていた。だから、学位を取るために大学に入った。22、23歳の頃、大学の授業が夏休みに入ったとき、俺はまたサム・トレゴに行ったんだ。シルク・ドゥ・ソレイユとはずっと契約していたかった、そのタイミングで大学を離れるつもりはなかったんだが、インディペンデント・サーカスは大学を卒業するチャンスをくれたんだよ。

――なるほど。

ニンジャ あるツアーに、プロレスからサーカスに転向してきた選手がいたんだ。ベネズエラでのツアー中、俺は時間があるときにはプロレス技をやり、その撮影をして楽しんでいたんだ。すると彼は俺にこう言ったんだ。「君はトランポリンではクレイジーなことをやっているし、マットの上でのレスリングもうまい」とね。幼い頃から俺はプロレスが大好きだったんだが、どうやってプロレス界に入ればいいのかはわからなかったんだ。

――それで彼があなたをプロレス界につないでくれたのですね。

【新日本プロレスリング株式会社】

ニンジャ ああ、彼は「君にはフロリダでも、カリフォルニアでも、テキサスのヒューストンでも、使ってもらえそうな団体があるよ」と言ってくれたんだ。俺はヒューストン出身なんだが、彼は「ブッカーTがやっているリアリティ・オブ・レスリングはどうだい?」と勧めてくれたんだ。たまたま直近の日曜日にリアリティ・オブ・レスリングがキャンプをやっていたから、金曜日に現地に行き、日曜日にはそのキャンプに参加してみたんだ。そしてその後、俺はもうサーカスには戻らなかった(笑)。

――それでは、ニンジャ選手、今後ますますのご活躍をお祈りしています。最後に新日本プロレスのファンのみなさまにメッセージをお願いします。

【新日本プロレスリング株式会社】

ニンジャ 俺はニンジャ・マックをもっともっとみんなに知ってもらいたいがためにここにいる。もちろん勝つために戦っているし、同時に一人でも多くの人に俺のことを知ってもらいたいと考えている。俺に関するたくさんの話題でみんなに盛り上がってもらい、一人でも多くの視聴者に俺のことを知ってもらうために戦っているんだ。俺の試合でインターネット上がプロレスでもっともっと盛り上がるようになることを願っているよ。(了)
【大会日程】
『レック Presents BEST OF THE SUPER Jr.31』

■5月26日(日) 17:00開場 18:00開始
東京・国立代々木競技場 第二体育館

■5月28日(火) 17:30開場 18:30開始
静岡・キラメッセぬまづ

■5月30日(木) 17:30開場 18:30開始
東京・後楽園ホール <Aブロック最終公式戦>

■5月31日(金) 17:30開場 18:30開始
東京・後楽園ホール <Bブロック最終公式戦>

■6月3日(月) 17:30開場 18:30開始
東京・後楽園ホール <BEST OF THE SUPER Jr.31準決勝>

『レック Presents DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL ~BEST OF THE SUPER Jr.31 決勝戦~』
■6月9日(日) 14:30開場16:00開始
大阪・大阪城ホール <BEST OF THE SUPER Jr.31決勝戦>
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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