【順天堂大学】走れ、パリの舞台へ~陸上競技中長距離のオリンピアンが見据えるもの~(前編)
【JUNTENDO UNIVERSITY】
大学2年生でオリンピアンにそれぞれのオリンピックとは
塩尻 僕はリオデジャネイロオリンピックの時点で、海外でのトラックのレース自体にまだ2回くらいしか出場していませんでした。オリンピックの選考でも参加標準を突破できていなかったので、今の自分にとって世界の壁は高いんだなと思いました。ところが、3000m障害レースの日から2週間くらい前、現地に入った日本代表のスタッフの方から、「他国出場枠の選手が辞退したので、あなたが出られるかもしれない」という連絡があったんです。「時間がないから5分で決めてほしい」と言われて(笑)、5分の間にいろいろ考えて出場することを決めました。そこから急ピッチで調整に入って、気がついたらスタートラインに立ってレースが始まっていた、という感じでしたね。
準備期間も少なかったですし、そもそも参加標準を突破できていないこともあって、周りの選手とのレベル差も感じていました。自分の実力を出せたとしても厳しい展開だったと思いますが、それでも思っていた以上に自分の走りができませんでした。せっかく出場できたのに、いいところが出せずに終わってしまった走りだったのでとても悔しかったですね。
三浦 東京オリンピックは本来なら僕が1年生の時に開催される予定だったのですが、コロナ禍で開催が1年延期になってしまって。それまでのタイムは8分19秒台だったので、オリンピック出場は難しいかなと思っていたのですが、1年延期になったおかげで練習時間が増えてタイムも上げることができました。自分にはまだ遠い存在だと思っていたオリンピックが現実味を帯びてきて、無事に出場を果たすことができました。
東京オリンピックは無観客だったので、あまりオリンピック感がないというか、会場の雰囲気に飲まれるようなことはなかったです。とはいえ、僕もこの時はまだ世界大会の出場経験もなくて、世界から選ばれた選手たちと肩を並べて走ること自体がはじめてのことでした。やはりオリンピックの場は、それまでに経験してきたどのレースとも違う独特の雰囲気と緊張感があって、それを肌で感じながら走っていましたね。
塩尻和也選手(リオデジャネイロオリンピック),三浦龍司選手(東京オリンピック) 【PHOTO KISHIMOTO/共同通信社】
塩尻 自分ではプレッシャーを感じていないつもりだったんですけど、オリンピックという誰もが知る国際的な大会ということで気づかないうちに体が固くなっていたのかもしれません。そのくらいオリンピックは大きな存在なんだとあらためて思い知らされました。そして、またこの舞台に戻って来てリベンジしたいという気持ちでした。
オリンピック自体は慌ただしく終わってしまったのですが、オリンピックに出場したことで周りからの注目度が上がったことは確かです。どのレースでもオリンピアンとして見られることで、「負けられない」という気持ちが以前よりも増しました。それが自分の成長につながった部分もあるんじゃないかなと思います。
三浦 やっぱりオリンピックは選手にとって大きな目標とすべき特別な場所だなと思います。東京オリンピックの時は大会開催時点から逆算してトレーニングをしていましたし、次のパリオリンピックも、常にそこを意識した練習の仕方になってくると思います。パリの会場の雰囲気というのはその時にしか味わえないし、実際に行ってみないとわからない部分もあります。でも、これまでに世界大会もいくつか経験してきているので、東京オリンピックの時よりは耐性がついているんじゃないかなと思いますね。
長門 やはりオリンピックは指導者にとっても特別な大会です。塩尻選手は急遽呼ばれての出場で、三浦選手の時は通常開催ではなかったので、パリ出場が決まれば、そこで本来の意味での世界的なイベントとしてのオリンピックを初めて経験することになります。パリでは陸上競技の客席が満席になると思うので、その熱気を2人にはぜひトラックで味わってほしいですね。
オリンピックの陸上競技でメダルを取るのは至難の業ですし、とてもハードルの高いものです。三浦選手に関してはそこに近づいてきているので、メダルに向けてしっかり準備をしてもらいたい。オリンピック出場のチャンスは限られたものだと思いますので、ぜひパリの舞台でそのチャンスをものにしてほしいなと思います。
長門俊介男子駅伝監督 【JUNTENDO UNIVERSITY】
塩尻和也 選手 【JUNTENDO UNIVERSITY】
三浦龍司 選手 【JUNTENDO UNIVERSITY】
三浦 僕は日本選手権までに標準タイムを切れれば内定ということになります。2023年の世界陸上ダイヤモンドリーグも、確実にいけるなという手応えがあって臨んだわけではなかったんです。その時のレース展開や自分のペースで走れたかどうかなど、いろいろな要素が絡み合ってきます。自分で掴めるレース展開やペース配分であればいいんですが、それに対してタイムを出せるかどうかは自分の引き出しの多さにも関わってきます。標準タイムを切ることを一つの区切りとすれば、それ以降は勝負の世界の中でどこまで順位を上げられるかが求められる。優先順位で言えば、選考の期間はタイムで、そこをクリアしてからは順位ということになるんじゃないですかね。
長門 三浦選手に関しては、自己記録としては参加標準記録を既に超えているのですが、定められた期間内に突破しなければならないので、早い段階で突破して内定をもらって準備期間に充ててほしいですね。塩尻選手も実力のある選手ですから、リオデジャネイロの時のように急ピッチで仕上げてオリンピックに行くのではなく、じっくり準備をすれば本来の実力が発揮できるはずです。2人とも、パリの舞台で活躍できることを期待しています。
順天堂大学の卒業生には彼ら以外にも活躍している選手がいますし、チャンスがある選手もいます。そうした卒業生たちが順天堂大学OBとして世界に出て行ってくれると学生たちも「あの先輩たちのようになりたい」と思って目標にするでしょう。ぜひ、後輩たちが憧れるような選手になってほしいですね。私もより一層、選手に寄り添いながら、1人でも多くオリンピックに出られるようなレベルの選手を育てていきたいと考えています。あまり言うとプレッシャーになってしまうかもしれませんが(笑)。
年齢も個性も違う2人のトップアスリート
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長門 塩尻選手には2年生の時にリオデジャネイロオリンピックを目指そうと言っていました。本人はそのあとの東京オリンピックの方が現実的では、と言っていたのですが、「いや、目指せるんだったら目指そう」と言って準備に入りました。その結果、インビテーションという形ではありますが、出場することができました。三浦選手には、高校時代にスカウトする際、その塩尻選手の事例も伝えながら、「今から東京オリンピックを目指すつもりでやったらどうか」という話をした覚えがあります。
三浦 僕は大学に入ってからも、高校時代から専門種目だった3000m障害で活躍したいと思っていました。既にその種目で結果を出してリオデジャネイロオリンピックに出場した塩尻選手の存在はやはり大きかったです。塩尻選手が練習していた順天堂大学の環境であれば、選手としてもっと成長できるんじゃないかなと思いました。
塩尻 半分お世辞だと思いますけど(笑)、高校時代から活躍していた三浦選手が自分の姿を見て入学してくれたというのは率直にうれしいですね。でも、今や三浦選手の存在に憧れて入学する高校生も多いと思いますよ。
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長門 私から見ると、三浦選手と塩尻選手は全くタイプが異なる選手なので、それぞれの個性を大事にしながら指導をしてきたつもりです。三浦選手に関しては、3000m障害でいうとスピードを維持しながらハードルを越える技術が非常に高い選手だと思います。塩尻選手は高校生の頃から3000m障害が強かったのですが、長い距離もこなせるスタミナがあるので、大学ではむしろ他の種目にも目を向けてほしいと提案しました。マルチに活躍できる選手だと思ったので、そこに向けた指導を中心にしていましたね。
塩尻 その頃は、長門先生の提案もあって、どれかに絞るというより、とにかく出ることのできる試合は種目を問わず積極的に出て行ってがんばりたいという気持ちでした。若かったのかな(笑)。直近では10000mの種目に出場していますが、3000m障害から始まり5000mなど、さまざまな種目に挑戦してきたことが、大学卒業後から今に至る自分の走りにつながっていると思っています。今、パリオリンピックを視野に入れることができるのも、これまでさまざまな種目にチャレンジしてきた成果かなと思います。
【後編につづく】
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Profile
順天堂大学陸上競技部長距離ブロック(駅伝)監督、順天堂大学スポーツ健康科学部特任准教授
塩尻和也
順天堂大学スポーツ健康科学部卒業、富士通株式会社陸上競技部所属
三浦龍司
順天堂大学スポーツ健康科学部卒業、2024年4月より株式会社SUBARU陸上競技部所属
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