早大ア式蹴球部男子 GK王国サンフレッチェ広島へ ヒル袈依廉のサッカー人生とは

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】記事 永田怜 写真 髙田凜太郎

 194センチ86キロ。早大イレブンの中で一際目立つ長身GKヒル袈依廉(スポ4=鹿児島城西)は、入学直後から試合に出続け、幾度となくチームの危機を救ってきた。創部100周年を迎えるア式蹴球部にとって言わずもがなの欠かせない存在であり、彼にかかる期待は計り知れない。そんなヒルは大学卒業後J1の強豪・サンフレッチェ広島への加入が決まった。内定をつかみ取るまでどのようなサッカー人生を歩んできたのか、どのようなGKを目指しているのか。ヒルのこれまでとこれからに迫る。

昨季天皇杯予選日体大戦でPKを止め、雄たけびを上げるヒル 【早稲田スポーツ新聞会】

 ヒルがサッカーというスポーツに出会ったのは小学4年生の頃だった。バレーボールチームに所属していた当時は練習場所の都合上、サッカー場を通らないと帰れなかった。小学校を卒業する頃には172センチもあったというヒルはサッカー場を通って帰宅するうちに、キーパーコーチから目をつけられた。最初は断っていたものの、新人戦だけでいいからと頼まれ、参加した。「この大会だけなら」と軽い気持ちだったが、初練習から才能は開花。バレーボールをやっていたことが功を奏し、ボールに対しての反射神経が抜群だったのだ。初めて会ったとは思えないほど暖かいチームメイトにも恵まれ、サッカーが楽しいなと率直に感じたという。小学校高学年になると、全国常連チームの指導経験がある監督から指導を受けられたこともあり、中学校へ進学するタイミングではサッカーに力を入れようと決心していた。

 家族の中では中学進学を機にオーストラリアに移住するという計画もあった中で、日本でサッカーを続けることを選んだヒル。進学先として選んだのは、鹿児島城西高校と中高一貫の育英館中学校だった。この中学で経験した中体連の全国大会決勝はヒルにとって大きなターニングポイントとなる。初めての全国大会、決勝の相手は強豪で有名な青森山田中。テレビ中継もあり、いつもとは違う環境下で全国の基準を体感した。そして、プロになりたいというなんとなくの夢が明確な目標へと変わった。

 また、中体連での決勝は、ヒルへの注目度が一気に上がった試合でもあった。現在広島でGKコーチを務める菊池新吉氏もこの試合を見ていたという。Jのユースクラブからも声がかかり、初めて県外でサッカーをするという選択肢が現れた。しかし、お世話になった育英館中に恩返しをしたいという思いや、鹿児島県の人から応援されるような選手になりたいという気持ちがあったため、県内に留まることを決意した。

デンソーカップに参加するヒル 【早稲田スポーツ新聞会】

 鹿児島県には神村学園高や鹿児島実業高など、ヒルが進学した鹿児島城西高以外にもサッカー強豪校があり、3年間を通して、全国高校サッカー選手権への出場はかなわなかった。高校1年生のシーズンは負け続け、「ずっと暗闇にいた」ような感覚だったという。毎試合ボコボコにやられ、一勝もできなかった。それでも、このシーズンがあったからこそ、高みを目指したいと思いが芽生えたというヒル。その思いが原動力となり、世代別代表への招集を経験するなど、マイナスなことばかりではなかった。

 高卒プロを目指していたものの、高校3年時のコロナ禍が大きな影響を及ぼし、プロを断念せざるを得なくなり、大学進学を決断。数ある大学の中から、早大を選んだ決め手は、練習参加だったという。当時の上級生だったGK山田晃士(令3社卒=現FC大阪)やGK上川琢(令4スポ卒=現横河武蔵野FC)らがつくり出す周囲をも巻き込む熱い雰囲気に感銘を受け、ここでプレーしたいと感じた。「試合に出られるのは先になるだろう」という予想とは裏腹に、入部した週には関東大学サッカーリーグデビュー戦を果たす。その後もコンスタントに出場機会を得ることはできた。しかし、2年時にはチームは結果を残すことができず、2部降格を経験した。そのような状況の中、「声」の部分への意識に変化があったというヒル。当時は4年生に任せきりで自発的に声を出すことができていなかった。もっとコミュニケーションを取っていれば、チームの成績向上に繋がったかもしれないと振り返る。加えて、3年目が始まる前に参加したデンソーチャレンジカップで一緒になった上林豪(明大)の積極的な声出しを目の当たりにし、追い越されたと実感した。また、プロの練習に参加していたことも、声出しの部分をもっと意識するきっかけになったという。練習に参加させてもらった全てのチームのキーパーが明るく、練習外で普段から行っていた活気のある雰囲気づくりが、コート内での信頼に繋がっていたと気付かされたのだ。「自分もそういうキーパーにならないといけない」と意識が変化したヒルは、「影響力のあるキーパー」への道を日々模索している。

 そして、大学3年目には兵藤慎剛監督(平20スポ卒=長崎・国見)が新しく就任し、足元の技術へのチャレンジを求められた。今のキーパーには足元が求められていると小学生の頃から言われていた中、フィールドプレイヤーからキーパーに転向する同級生が多く、キーパーしか経験してないことにビハインドを感じることも。しかし、監督に「失敗してもいいから自信持ってやってくれ」と言われたことで、恐れることなく挑戦でき、足元の技術に磨きがかかった。シュートストップだけでなく、攻撃の起点となることも求められる現代のGK。足元の精度が上がったことで、より一層驚異的な選手へと成長できた。

3月末に行われた天皇杯予選の駒大戦(◯2-0)で好セーブを見せるヒル。チームの完封勝利に貢献した 【早稲田スポーツ新聞会】

 理想とするGK像は総合力に優れた選手。広島への加入を決めた理由の一つもアベレージの高い、オールマイティな大迫敬介選手がいたことが挙げられる。現役の日本代表と一緒に練習できる環境は願ってもないものだ。大卒としてすぐに試合に出場する難しさを考え、チャンスが来た時のためにどれだけ準備できるか、成長していけるかを重要視した。また、同郷の大迫選手は、地元のニュースでも度々取り上げられていた憧れの存在。しかし、これからは憧れているだけではいられない。日本代表の座を争うために、追い越すべき選手の一人だ。ライバル視している鈴木彩艶選手(現シントトロイデン)や野澤大志ブランドン選手(現FC東京)ら同世代の選手もプロデビューを果たし、代表へと駆け上がっている。大卒だからといってこのまま置いていかれるつもりはない。

 今後は、サンフレッチェ広島への加入内定者としてプロの基準を示さなくてはならない。早稲田大学ア式蹴球部は100周年を迎えるメモリアルイヤー。そんな節目の年に、最上級生として1部昇格への舵取りは必須だ。プロでの練習参加で得たものを早大に持ち帰り、大学全体のレベルを底上げしながら、「影響力」のあるGKとなり、チームを引っ張る時が来た。ここの成長がいずれ広島の、日本のゴールマウスに立つキーパーへの道を切り拓くだろう。

【早稲田スポーツ新聞会】

◆ヒル袈依廉(ひる・かいれん)
2002(平14)年7月9日生まれ。194センチ86キロ。鹿児島城西高出身。スポーツ科学部4年。関東大学サッカーリーグ1部通算23試合出場。2部通算18試合出場。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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