【スポーツマンシップを考える】 たかが、スポーツ。されど、スポーツ。

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スポーツよりも、野球よりも、大切なこと

 2024年1月1日、能登半島を襲った大きな地震と津波によって甚大な被害がもたらされ、元日早々、私たちは大きく心を痛めることになった。ここにあらためて、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表するとともに、被災されたみなさまに心よりお見舞いを申し上げたく思う。

 インフラ復旧は徐々に進み、2次避難や仮設住宅建設など支援の動きは加速しているとも報じられる一方、いまなお多くの方々が被災した影響を受け続けているのも事実である。

 いまから13年前。2011年3月11日に発生した東日本大震災の際には、プロ野球やJリーグなどプロスポーツの開幕が延期された。当時は、原発事故による電力供給の問題も併発したことで、節電が最優先されナイターゲームの開催が見送られるという措置がとられたことを覚えている方も多いことだろう。

 また、2020年から約3年間、私たちが大いに苦しめられたのが「新型コロナウイルス感染症拡大」であり、その影響で多くのスポーツ大会も中止に追い込まれた。2020年に開催予定だった東京2020オリンピック・パラリンピックも1年延期となった。2021年、1年遅れで開催された際も無観客での実施を余儀なくされたことは記憶に新しい。ただ当時、緊急事態宣言が発令されていた東京で、さまざまな業界が我慢を強いられていた中で、無観客とはいえどもこのスポーツイベントだけが優先的に行われることについて反感や違和感を覚える人も少なくなかったはずだ。しかもそのイベントの招致にあたって、後に不正の疑いが発覚したことも、多くの人々にスポーツに対するふ嫌悪感をもたらす原因となったところは否めないのも事実である。

 このような天災や疾病、あるいは戦争や紛争なども含めた有事の際には、スポーツイベントの開催は真っ先に見送られることになる。その事実は、私たちが生きていく上でスポーツの優先順位が決して高くないことを示す。あらためて、平穏無事な日々があってこそのスポーツであることを痛感させられる。

 前記事でも述べたように、スポーツの語源は「遊び」や「気晴らし」という意味をもつ「deportare」というラテン語であるといわれる。スポーツの本質は「遊び」にあり、私たちにとって絶対不可欠なものというわけではない。実際に、オリンピック・パラリンピックといえども、人類が何よりも優先すべきものではない。私たちは何よりも重要なことだと信じてスポーツに打ち込み、真剣に勝利をめざす。オリンピックやパラリンピックを始めとする大きなスポーツ大会に人生を賭けるつもりで挑んでいるアスリートもいるだろうが、所詮は社会全体で考えれば、とるに足りない些細な「遊び」にすぎないのであり、多くの方々の人生にとっては特別必要とはいえないものであることも忘れてはいけない。

 まさに、「たかが、スポーツ」というわけである。

【撮影 野呂美帆】

「勝ち」より重要なスポーツの教育的「価値」

 一方で、東日本大震災後の2011年7月、日本中に希望の光を照らしたのが、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」がワールドカップを初制覇だった。大谷翔平選手の一挙手一投足に注目が集まり、そこに大きな市場価値がもたらされていることも、ドジャースと彼の契約が証明している通りである。スポーツには人々に興奮や感動を与え、生きる勇気をもたらすことも少なくない。スポーツの歓喜は、ときに私たちに大きな活力を与えてくれるのである。

 また、勝敗を超えてスポーツの本質を理解し真剣に取り組むことで自己研鑽を実現できることもスポーツの大きな魅力だといえよう。全力で勝利をめざして努力しながら、尊重・勇気・覚悟の精神をもってGood Gameを実現しようとするプロセスには、私たちの人生に豊かさと成長をもたらす重要な価値があることを認識しなければならない。

 真剣に取り組み、自らを鍛えて磨き上げ、その上で全力かつフェアに相手に対峙しなければならないが、単なる遊びでしかない。それがスポーツである。スポーツに大きな価値があると認めながら、人生の中ではさほど重要なことではない。スポーツはこのような遊び心と真剣さの間の微妙なバランスで成り立っているのである。

 スポーツは社会との相似性を有するがゆえに、教育ソフトとして活用されてきた歴史的な背景がある。唯一無二の正解がない社会において、私たちが人生を歩む上で汎用的なさまざまな要素を学ぶことができる場がスポーツであることも知っておくべきだろう。

 真剣に勝利をめざす過程で得られる勇気や責任感、勝利を求める欲望の中で所詮は遊びであると理解し自らをコントロールする精神力、そして、真剣に勝敗を争った対戦相手やチームメイトとともに育むスポーツを愛する仲間との友情……。スポーツは、自己を成長させ、切磋琢磨できるよき仲間を創るのにふさわしい場でもある。私たちが、スポーツにおけるさまざまなシチュエーションでどのように振る舞うかを考える時、人生を「いかに生きるか」という根本的な視点で重ね合わせながら物事を考える習慣を身につけることが大切だ。私たちは、スポーツを通して勝利という結果以上に得られるたくさんのものに目を向ける冷静さを忘れてはならない。

 そう考えると、あらためて「されど、スポーツ」といえるだろう。

「スポーツはいいもの」から語り始めない

 レクリエーションとして、はたまた現実逃避の場として、スポーツを愉しむ人もいるだろう。現実社会では必ずしも成功か失敗か結果がはっきりしないものも多いが、勝敗を競うスポーツは、成功と失敗が明白で、原因と結果の因果関係が比較的わかりやすいソフトである。

 スポーツにとって最も大切な大前提が「勝利をめざして全力を尽くす」ことである。ただし、スポーツを愛する人ほど、それがなぜかと考えを巡らせることなく、目前の勝利ばかりにとらわれがちになるが、決して盲目的になってはならない。

 一方で、道徳・倫理などのモラルに関しても、唯一無二の正解という行動があるわけではない。これこそが正解だと一方的に教え込み、言われた通りの行動ができるように洗脳することが目的ではなく、経験を通して自ら考え、的確な判断力と行動力を養うことが重要だ。よき人格に基づいて的確に考える力を養うには、よき精神と優れた思考力が不可欠なのである。

 だからこそ、コーチなどとして後進を導く立場の人間は、プレーヤーたちに単純な従順さを求めるのではなく、自らよく考える習慣を身につけられるように導くことが求められることになる。スポーツが元々現実社会で役立つ人間を育てるために開発されたソフトであることを深く考えながら、スポーツと真摯に向き合えば、スポーツが現実社会と重なり合っていることを実感でき、人生に応用できるものとして活用できるはずだ。

 スポーツについて、スポーツマンについて、スポーツマンシップについて真剣に考えると、勝ち以上の大切な価値が見えてくる。勝敗という結果に熱くなりすぎて本質を見失っている人には「たかが、スポーツ。熱くなりすぎるな」と声をかけるべきだろう。逆に、スポーツを愉しむといいながら真剣に取り組んでいない人には「されど、スポーツ。真剣に取り組むことに意義がある」と伝えたほうがいい。

 真の意味でスポーツを愉しむためには、勝利至上主義にも快楽至上主義にも偏りすぎないバランス感覚が求められる。このように、複雑で難しいことに挑むのがスポーツの魅力であり、尊さでもある。スポーツの価値が社会的に問われる今だからこそ、「スポーツはいいもの」という前提で話し始めることを疑ってみよう。スポーツを、野球を愛するみなさんには、ぜひ「なぜスポーツがいいのか」「なぜ野球が素晴らしいのか」を自らの言葉で語れるようになることを願うのである。

中村聡宏(なかむら・あきひろ) 一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長 立教大学スポーツウエルネス学部 准教授 1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。 【©Homebase】

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著者プロフィール

「Homebase」は、全日本野球協会(BFJ)唯一の公認メディアとして、アマチュア野球に携わる選手・指導者・審判員に焦点を当て、スポーツ科学や野球科学の最新トレンド、進化し続けるスポーツテックの動向、導入事例などを包括的に網羅。独自の取材を通じて各領域で活躍するトップランナーや知識豊富な専門家の声をお届けし、「野球界のアップデート」をタイムリーに提供していきます。さらに、未来の野球を形成する情報発信基地として、野球コミュニティに最新の知見と洞察を提供していきます。

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