【インタビュー】佐々木憂流迦が“プロレスにどっぷり浸かる"宣言、巡業も「全部出たい」

プロレスリング・ノア
チーム・協会

【PRO-WRESTLING NOAH】

※2024年1月2日有明アリーナ大会以前の記事になります。

 1・2有明アリーナ大会でいよいよ正式にプロレスデビューを果たす元UFCファイター、佐々木憂流迦。

 もともとはプロレス少年。武藤敬司が大好きだった。世界で活躍する日本屈指のMMAファイターの運命を大きく変えたのが、元日武道館大会で行われた「グレート・ムタvs中邑真輔」。親交のある中邑と大好きだったムタの芸術的な一戦に心を揺さぶられ、人生を変える決断をした。

 それから約1年間に渡ってNOAH道場に通い続け、60kg台だった体重も今では90kg近くに。“摩天楼の天狗"と呼ばれるMMA界の大物だが、イチからプロレスを学んで準備を続けてきた。

 11月のプレデビューを経て、年初ビッグマッチでの正式デビューが決定。相手は海千山千の杉浦貴。いよいよ“プロレスラー"としての第一歩を踏み出す憂流迦に、その心境を聞いた。


【佐々木憂流迦インタビュー】

――いよいよプロレス正式デビューとなる有明アリーナ大会が近づいてきました



▼憂流迦「どんどん近づいてきたな…って、ひしひしと感じてます」



――改めてプロレスに触れたきっかけというのは?



▼憂流迦「もともと小学生の時、叔父がプロレスが大好きで、よくスカパーでプロレスを見ていたんですけど、その影響で兄がプロレスを好きになって。僕はお兄ちゃんの真似っ子だったんで、構ってくれるし、『お兄ちゃん! 俺もプロレスやりたい!』って言って、プロレスごっこを凄くやってたんですよ。そこから好きになって。ただ、兄がPRIDEとかK-1が出てきたあたりから総合(格闘技)のほうに流れていって、僕も流れたんですけど、“入り"はプロレスだったんで、ずっと心にはプロレスがあって」



――最初に好きになったレスラーというのは?



▼憂流迦「武藤(敬司)さんが大好きで。なぜ好きになったのかはハッキリとしたものはないんですけど、子どもだったんでね、当時はいろいろ分析とかはできなかったと思うんで…ただただ華やかな佇まいだとか、立ちふるまいだとか、そういうところに惹かれたんだと思います」



――会場にも観に行ったり…



▼憂流迦「両国(国技館)に行ったのを覚えてます。そんなに多くは行けなかったですけどね。僕、静岡(在住)だったので」



――改めてUFCやRIZINで活躍しながらも、プロレスに挑戦してみようと心変わりしたきっかけというのは?



▼憂流迦「完全に1・1(元日のNOAH日本武道館大会)ですね」



――グレート・ムタvs中邑真輔…



▼憂流迦「はい。(衝撃を)食らいに食らいましたね。ホント、心が動いたというか」



――武藤さんに憧れていて、中邑選手とも親交が深いだけに…



▼憂流迦「そうですね。真輔さんとはアメリカでも一緒に練習したりもしていますが、それこそ和術慧舟會の先輩・後輩で。『(プロレスを)やれよ』ってずっと言われてて(笑) ただ、僕は40歳ぐらい総合をやって、そこからジムを開いて…って自分で考えていたんで(そのつもりはなかった) でも(ムタvs中邑を見て)食らいに食らい過ぎちゃって、いてもたってもいられず…」



――なぜそしてNOAHのリングに?



▼憂流迦「もともとご縁をいただいていたのがNOAHさんで、プロレスやるならNOAHでやろうって決めてたんで。それこそ真輔さんとムタの試合を見たのもNOAHでしたし、『この空間を創れるって素晴らしい』って思いましたし、すべてを含めて“タイミング"だったんだと思います」



――そしてすぐNOAH道場に通い始めた



▼憂流迦「そうですね。まだまだヘタクソですけど(笑) 今年の最初の頃から週2~3回通うようになって。あとはウエイト(トレーニング)をやったり」



――受け身やロープワークを練習し始めて感じたことは?



▼憂流迦「いや、メチャクチャ難しい…っていうのと、プロレスラーの凄さっていうのは、実際に練習してみて凄い実感しました」



――見るのとやるのでは…



▼憂流迦「全っ然違いますね! 思ってたより動けないですね。MMAとは全然違うところもあるんですけど、“強さ"っていう部分では似てるところもあるし」



――最も苦労したことは?



▼憂流迦「全部…。全部苦労してるんですよ(笑)」

――もともとレスリングはやっていたそうですが

▼憂流迦「はい、15歳の頃からレスリングをやってて、もう19年格闘技をやってるんですけど、それでも全然(プロレスは)難しいなって思いますね」



――体重もかなり増やしたようですが



▼憂流迦「そうですね。まぁでも、自分ではまだ(プロレスラーの)体ができてないと思ってるんで」



――MMAでは体重を“絞る"ことはあっても、“増やす"ということはなかったと思います



▼憂流迦「凄い絞ってましたね(笑) なんなら僕、海外ではフライ級(56.7kg以下)で試合してましたからね。で、今、90kgぐらいありますよ。そんな増えんの!?って思って(笑)」



――40kg近く増えたことになりますね。やはりたくさん食べて…



▼憂流迦「食べたりもそうですけど、やっぱりウエイトの頻度増やして。でも脂肪がつきすぎるんで、ミット(打ち)で有酸素(トレーニング)したりとか。走ったりするのは嫌いで…(笑) ミットが一番有酸素ができるんで」



――改めてNOAHという団体の印象は?



▼憂流迦「やっぱり“メジャー"という見方を僕はしていて、日本の団体のなかで。そしてNOAHには凄く良い選手が多いので、触ってみたいな…って思う人が凄くたくさんいます」



――デビュー戦の相手は杉浦選手になりました



▼憂流迦「ハイ…一発目からか!?って思いましたね。(格闘技経験のある)杉浦さんは似てるところもあるとは思うんですけど、そんなことを抜きにしてもキャリアも大先輩で、引き出せんのかな?って自分のなかで心配なところはあって…。僕は100\%、120\%でぶつかりますけど、どんなことになるのか、まったく想像がついてないですね。まったく」



――当然、勝つための道筋は…



▼憂流迦「そこはハイ、間違いないですね。やっぱりその対策はしてます」



――杉浦さんは『バッチ来い』と



▼憂流迦「言ってましたね(笑) だからバッチリ行きますけど(笑)」



――MMAファイターがプロレスをするのも珍しいことではなくなりましたが、1年間も基本から練習して体も変えてデビューする…というのは超異例です。どんなファイトスタイルで闘うのかイメージはありますか?



▼憂流迦「それは…見てからのお楽しみです」



――プレデビューの時はフランケンシュタイナーにトライしていましたが…



▼憂流迦「ハイ…武藤さんが大好きなので(笑) あとは見てのお楽しみで」



――ほかにも多彩なカードがそろう有明アリーナ大会について思うことは?



▼憂流迦「凄いカードがそろいましたね。本当は第1試合が良かったな…って思いましたけど(笑) でも第6試合って決まったので。この試合は総合のファンの人たちも観ると思うんで、良い意味で裏切りたいって気持ちはありますね」



――Tシャツにも『Fight is Art』と書いてありますが、やはり入場から世界観を表現していきたい?



▼憂流迦「そうですね。ホント、試合も含めてそれ(入場から表現していくこと)が僕のやりたいことなので。大事に、大切にいきたいですね」



――先ほど『NOAHには触ってみたい選手が大勢いる』と話していましたが、具体的に闘ってみたい選手は?



▼憂流迦「誰っていうよりも、一人残らず試合で触りたい…って気持ちはホントにありますね。みんな一人ひとり色が違うし、素晴らしいところ、学べるところが凄いたくさんあるので、一人残らず触りたいですね」



――MMAの世界でUFCまで上り詰めたにも関わらず、“新人"としてイチからプロレスと向き合ってる姿勢をひしひしと感じます



▼憂流迦「うん、もう正直に。衝動に正直に。小さい頃から自分は変わらずそうだったと思うんですよね。心に正直に…というか。ホントに“食らったもの"“やりたい!と思ったこと"はトコトンやりたいと思うので。しっかり学びながら。この先、全然通用しなくて勝てないことも多々あるかと思うんですけど、しっかり真摯に向き合いたいなと思いますね」



――改めてどんなレスラーを目指す?



▼憂流迦「“自分"を見つけたいですね、ちゃんと。格闘家としての佐々木憂流迦じゃなくて、プロレスラーとしての佐々木憂流迦を見つけたい」



――自分にしか出せないもの、自分にしか出せない世界観、かつての武藤さんがそうだったように?



▼憂流迦「そうですね…見つけたいですね。自分にしかできないものが絶対あると思うんで。何年かかるか分からないですけど(笑) マジで」



――ちなみにここまで体を作り変えて、総合格闘技はどうするのかな?とも思うのですが



▼憂流迦「よう言われるっスね、それ(笑) それも“衝動"に従うのみですよ」



――では体を作り変えて1年間じっくり準備したからには、どっぷりプロレスに…



▼憂流迦「浸かろうと思ってます。(地方大会も含めて)全部出たいですもん。とことん学びたいです。良い選手ばっかりなので」



――地方巡業にも



▼憂流迦「行きたいです」



――プレデビューの時には『パワーに驚いた』『息が上がった』とも話していました



▼憂流迦「それこそ巡業回ってたら、そういう反省点がどんどん見つかってくると思うんで。そしたら、どんどん修正、修正もきいてくると思うから」



――憂流迦さんのYoutubeチャンネルで小学校時代のタイムカプセルを開ける動画を拝見しました。未来の自分に『プロレスラーですか?』『プロレス道を歩んでいますか?』と問いかけるものでした



▼憂流迦「今年、同級生から『小学生の頃のタイムカプセルがある』って聞いて開けにいったんですよ。そこには『武藤さんが引退してたら悲しいです』とも書いてあって。何があるか分からないですね。マジで」



――武藤さんが大好きだった佐々木佑太(憂流迦の本名)少年との“約束"を果たす時が来たようにも見えました。やはり小さい頃の自分の期待を裏切れない?



▼憂流迦「それは裏切れないですよ。小さい頃の僕に、(衝撃を)食らわせないと」



――今度は自分が少年に衝撃を食らわせる番だと



▼憂流迦「そうですね。常々それは思ってきました。ファイトの頃もそうでしたけど、子供たちが見ていて『こういう人になりたい』『すげーかっけーな』って思うように。そこはホントに大事にしてますね」



――分かりました。では最後に改めて有明アリーナへの意気込みをお願いします



▼憂流迦「1月2日・有明アリーナ。僕が1・1日本武道館で食らった衝撃から一年越しの大会。ホントにデビュー戦っていうのは人生で一度きりしかないので、僕のなかでも本当に大切にしたいし、観てる人にも何か届けばいいなって思っています。それこそ本当のデビュー、一回目ですから。でもそれが門出になるわけで。長い旅になると思いますけど、ぜひ佐々木憂流迦を“イチから"見ていってもらえるとうれしいですね」


佐々木憂流迦インタビュー動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=mmUGORjn524
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著者プロフィール

プロレスリング・ノアは、2000年8月5日に旗揚げしたプロレス団体。 創始者の三沢光晴は全日本プロレスから多くの選手&スタッフたちとともに独立、団体名が表すようにプロレス界の“方舟”となるべく航海を始めました。 旗揚げ以降日本プロレス、全日本プロレスと受け継がれてきた伝統を重んじながらも、旗印である「自由と信念」を投影した闘いで世代を超えて多くの人々を熱狂させてまいりました。 2020年、NOAHは新たにサイバーエージェントグループとなり、さらなる団体と業界の発展を発展を目指して、新たな試みを続けています。

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