【特別コラム】記憶に残しておきたい『ラグビーヘリテージカップ2023』(1/2)

チーム・協会

【前編】 1. 大会創設の思い

2023年8月30日~9月9日、フランスのポンルヴォワにて開催された「ラグビーヘリテージカップ2023」の主催者に取材した特別コラムを2回に渡りお届けいたします。

大会発案者のひとり、ティエリー・シュネさん 【撮影/松本かおり(撮影協力:Le Dôme Montparnasse)】

世界中の人たちを興奮させたラグビーワールドカップ2023。
1987年の第1回大会からちょうど10回目の開催だった楕円球の祭典が終わり、1か月が経った。

フランス各地を熱狂させた日々は、この先も大会が歴史を積み重ね、ラグビーがさらに世界中に広まることを確信させた。
オーストラリアで開催される2027年大会からは、現在の出場チームが20から24に増える。

ラグビーワールドカップが回を重ねるごとに規模と価値を大きくする一方で、新たに生まれた素敵な大会があった。

9月1日から7日にかけて、同じくフランスで開催された『ラグビーヘリテージカップ2023』だ。パリ市内から電車で2時間半ほどのところにあるポンルヴォア という村が舞台だった。

大会の舞台となったのは1034年にできた修道院 【撮影/松本かおり】

ラグビーワールドカップが世界一の技術を披露し、頂点を競い合う大会なら、ラグビーヘリテージカップは、ラグビーをきっかけに世界中の若者たちがつながり、一人ひとりの可能性を引き出す。そして、お互いを認め合う場だった。

世界の5大陸、19か国から中学生たち、39チームが参加した。
ラグビー(セブンズ)とラグビーシェフ部門(料理)、ラグビーショート(映像)と3つのジャンルに取り組むから、参加者の全員にそれぞれの個性を発揮できる分野があった。

男女チームが参加したこの大会には、日本からは公募で集まった中学2年生、3年生の女子12名で構成された『JAPAN RUGBY ACADEMY』がエントリーした。
普段暮らす場所からから遠く離れた地で、自分たちらしさを発信した。

若者たちの記憶に素敵な日々を刻み、小さな村の住民たちの胸にも忘れられない思い出を残した大会は、ラグビーを愛する数人の情熱が源流だった。

ラグビーの誕生から200年。若者たちの成長に影響を与えるような大会をやろうと立ち上がった発起人のうちのひとり、ティエリー・シュネさんと、パリ市内のモンパルナスで会った。

12歳以下の子どもたちのコーチでもあるティエリーさん。熱い思いがあふれ出た。 【撮影/松本かおり】

ティエリーさんは、フランス代表FLシャルル・オリヴォンがお気に入りと、柔らかな表情でラグビー愛を語り始めた。
「私も、オリヴォンと同じポジションでプレーしていましたから」

大会発案の原点は2023年にフランスでワールドカップが開催されると決まる前だった。
ティエリーさんは親戚らとの食事会に参加した時、義理の兄弟にあたるフランソワ・ロシュ=バイヤールさんと話した。子どもたちに夢を与える大会をやりたいね、と。

ティエリーさんは12歳以下の子どもたちのコーチ。フランソワさんは、中学校でラグビーを教えている。
その経験から、若者たちの秘める可能性を知り、ラグビーに教育的価値があることを深く理解していた。

ラグビーワールドカップ2023のフランスでの開催が決まったのは2018年だった。ティエリーさんらは、同大会の組織委員会へ足を運んだ。
頭の中にあったプランを話すと、「ラグビー生誕200年の年に、ラグビーの教育的価値を伝えるいい機会になりますね」との反応が返ってきた。

7人制ラグビーだけでなく、フランスの食文化を知ってもらうきっかけにもなる料理部門、若者が得意な映像制作部門も採り入れるプランも、多くの人たちから賛同を得た。

しかし、順風満帆な道のりではなかった。
組織委員会内の人事で支持者が変わることがあった。フランス協会でも同じことが起こる。
2020年になるとコロナ禍が世界規模でいろんなことにストップをかけた。

支援者が現れては消え、消えては現れ、また消える。そんな状況が続いた。
それでも夢のような大会が夢のままで終わらなかったのは、頼り切りにならず、挫けても立ち止まらず、自力で、前に進み続ける意志を持ち続けたからだ。

ティエリーさんとフランソワさんの2人で話した夢は、少しずつみんなの希望になっていった。
仲間が5人に増え、その輪は広がっていく。大会が具体化していくと、自分たちが思っていたより壮大な規模のチャレンジだということが分かってきた。
チームを作り、力を合わせないと実現に漕ぎ着けられないと理解し、仲間を増やした。

2021年11月、『ラグビーヘリテージカップ2023』の開催を広くリリースした。
大会アンバサダーには、フランス代表最多キャップ保持者のフィリップ・セラ氏と、元フランス代表主将のダニエル・デュブロカ氏。
大会の価値を評価し、地方の行政や銀行、教育系企業、食品会社などがサポートしてくれることになる。
舞台は少しずつ整っていった。

5大陸、19か国から39チーム、 15歳以下男女約500人が集まった。 【撮影/松本かおり】

世界各地から15歳以下の男女39チーム、約500人の若者とコーチたちが小さな村に集まり、1034年にできた修道院を拠点に1週間を過ごす大会。
現在ヨーロッパ最古の教育機関(中高)のひとつと言われる施設に、様々なカルチャーが持ち寄られた。

準備期間に同校の卒業生ら250人がポランティアとして大会をサポートすると手を挙げてくれた。
大会の規模が固まっていくと、その数では足りないと判明する。しかし、心配はなかった。
村の住人たちの多くが大会のサポートに力を貸してくれたからだ。

普段は千数百人の住人しかいない村が、賑やかになった。開会にあたって、選手たちがパレードで練り歩くと村に人々の笑顔が溢れた。
決してラグビーが盛んとは言えない地域に楕円球の種が蒔かれたようだった。

ティエリーさんは、そのパレードの時、『JAPAN RUGBY ACADEMY』の選手たちが大人しかったことを覚えている。
現地に着いたばかり。言葉にもなれていない。日本人はもともと一歩引いた姿勢が多いことも知っていた。最初からはしゃいでいるフランスやアルゼンチンの選手たちの陰に隠れているような感じだった。

「そんな始まりでしたが、私には、1週間のうちに日本の選手たちがもっとも大きく変化したように見えました」と言う。

最初は自分たちからボンジュールと挨拶していたのに、やがて彼女たちの方から声が出るようになった。
各晩、各チームが持ち回りで出し物を担当する時間に、日本の伝統的な踊りを披露した。

女子の 7人制ラグビーの決勝は、日本とニュージーランドのチームの間で争われた。
ティエリーさんが、相手チームのハカを見つめる日本の選手たちの写真を見せる。
「いい表情でしょう。プレーも、勇敢で素晴らしかった」
自分たちを余すところなく表現していた。

それは、日本チームに限ったことではなかった。参加した選手たちが、自分たちの国のことを知ってもらいたいと意志を示し、他の国のことも知ろうとする。
思い描いていたような光景が目の前で繰り広げられた。ティエリーさんは、大会を「信じられない 1 週間でした。喜びしかありません」と振り返る。

「参加した子どもたち全員が、自分のベストを出すことを楽しんでくれていました。海外からの参加者は、遠くフランスまでくるだけで大変だったと思います。しかしもう誰も、海外に出ることは怖くなくなったでしょう」
若者たちは無限の可能性を秘めている。

ラグビーワールドカップ2027、オーストラリア大会でも、この大会が開催されることを願っているけれど、先のことは分からない。
ただ2023年9月に、このような大会が開催されたことを一人でも多くの人が知ってくれたら、夢はまた夢でなくなるような気がしている。

【写真提供:日本ラグビーフットボール協会】

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著者プロフィール

(公財)日本ラグビーフットボール協会は、日本におけるラグビー競技の普及振興に関する事業を行い、その健全なる発達を図るとともに国民体力の向上と明朗なスポーツマンシップの涵養につとめ、もって社会文化の向上発展に寄与することを目的とした競技団体です。 1926年に日本ラグビー蹴球協会として設立されて以降、ラグビー競技の普及発展のための国内唯一の統括団体として活動を続け、2013年に公益財団に移行しました。詳細はこちら(https://www.rugby-japan.jp/jrfu)

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