【浦和レッズ】レジェンドとも生え抜きとも違う…岩尾憲と酒井宏樹が向き合う「浦和レッズで闘う」ということ【後編】
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中学生時代から柏レイソルの育成組織に在籍し、2009シーズンにトップチーム昇格を果たした酒井宏樹が海を渡ったのは、12年夏だった。
柏で定位置を掴んだのは11シーズンだから、主力としてプレーしたのは1年半。その後、ドイツのハノーファーで4シーズン、フランスのマルセイユで5シーズンを戦った。安住の地を求めず、激しい生存競争を勝ち抜いてきたからこそ今の自分がいる、との思いが酒井にはある。
「僕は日本人として、日本のチームにいると、自分がマンネリ化してしまいそうで怖いんです。ヨーロッパでは契約期間に自分のやるべきことを全うし、その結果として、契約延長や他クラブからのオファーを勝ち取ってきた。そのやり方を最後までやり抜くだけだと思っています。だから浦和レッズでも将来のことは考えず、パッと来て、パッと仕事をして、去るタイミングが来たらパッと去る。そういう助っ人の感覚で2年半やってきました」
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「実際、この夏にもオファーが来ました。ただ、僕は浦和でやり遂げたいと思ったので、断りました。もちろん、ここを我が家だと感じ、少しでも長くここにいたいという考え方を否定するつもりはありません。ただ、自分には自分のやり方がある。プレースタイルも同じでガッと行って、ガッとやる。そのエネルギーがなくなると僕は貢献できない。決して長くない契約期間で、自分がどれだけ貢献できるか、役割を全うできるか。それが僕のスタイルなんです」
酒井が自身のスタイルを貫く一方で、岩尾憲は自身のスタイルの変更を迫られてきた。
「世の中にはプロセスを認めてくれる人もいるじゃないですか。十分な結果が得られなかったとしても、正しい道を歩んでいると感じられたら、時間を与えてくれる。今まではどちらかと言うと、そっちのタイプの人たちと仕事をしてきましたし、特別な役割やタスクも与えてもらって、そこにやり甲斐を感じていました。
でも、浦和はそうじゃない。『4年も5年もプロセスに時間をかけませんよ』という状況の中でいかに結果を出すか。それが浦和の文化だと思うし、それができる人だけが求められる。今はまだ、ファン・サポーターも含めて認めてもらえているという感覚はありません。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)を獲ってもそうなんだから、結果を出し続けないと、これ以上の感覚を得られないんだろうなっていう危機感があります」
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だが、例えば、鹿島アントラーズ時代の興梠慎三はチャンスメーカーの色が濃かったが、浦和に来て、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に1トップで起用され、レッズのファン・サポーターからゴールを求められ、それに応えたいという思いが、“ストライカー・興梠慎三”を作っていった。
岩尾にとっても、環境によって余儀なくされた変化が、自身の成長を促している側面がある。
「慎三さんのように自分の想像を超えた自分が生まれる、みたいなことは起きると思うし、自分の中で少しずつそれが起きている感覚も得ています。良薬口に苦し、というか。本当に自分がもうひとつ、ふたつ物語を作っていくなら、ここで逃げたら終わりだなって。逃げなければ、何かを作れそうだという根拠のない確信みたいなものがあります」
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「決勝はただでさえ堅いゲームになりがちですが、相手が福岡ということで一層堅いゲームになるかもしれませんね。カップ戦のファイナルは、どっしりしているチームが勝つと思います。慌てず、普段どおりのプレーができる選手たち、それでいて局面で普段以上のパワーが出せる選手たちが勝つ。リーグとは違うので、スイッチを切り替えられるかどうかも大事になる」
酒井がゲームの流れを読む重要性を語れば、岩尾は相手が初タイトルを目指しているチームであることに警戒心を露わにした。
「並々ならぬ準備と気持ちで来るでしょうからね。簡単に勝てるような試合にはならないし、非常に緊張感の高い、テンションの高い試合になると思います。ただ、自分の人生の文脈のなかで、福岡には申し訳ないですけど、ここは絶対に落とせない」
長いシーズンを戦ってきて、酒井も岩尾も疲労が蓄積し、満身創痍になりながら、自身の体に鞭打ち、シーズンを駆け抜けようとしている。33歳の酒井は苦笑する。
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僕が浦和に加入した理由のひとつに、ACLで優勝したいという思いがありました。その目標を叶えられたのも、サポーターのおかげ。彼らなくして、ACL優勝はなかった。だから、ルヴァンカップで優勝することで、少しでも恩を返したい。それにルヴァンカップは自分が唯一手にしていないタイトルなので、絶対に獲りたいです」
35歳の岩尾も自身の存在価値を懸けて、ファイナルに臨む。
「やる以上は、歴史を動かすというか、岩尾がいたから浦和が変わったと思われたい。目に見えるものを作ろうとするのが人生だと思うし、それくらいの気概でやらないと、観ている人も、世の中も驚かないし、喜ばないと思うので、だからこそ、獲りたいですね。それが、仕事をした、っていうことだと思います」
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関根貴大や伊藤敦樹、荻原拓也といった育成組織出身の生え抜きとも違う。
ふたりのベテランが「浦和で闘う」ことの意味と向き合いながら、それぞれの思いを胸に国立競技場に乗り込む――。
(取材・文/飯尾篤史)
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