【浦和レッズ】「僕はショルツと同じ立場」「日々試されている」酒井宏樹と岩尾憲のルヴァン杯への強烈な欲【前編】

浦和レッドダイヤモンズ
チーム・協会

【©URAWA REDS】

 10月15日、横浜F・マリノスとのYBCルヴァンカップ準決勝第2戦のキックオフを数時間後に控えた、大原サッカー場のクラブハウス。

 チームミーティングの際にキャプテンの酒井宏樹が「憲さん、頼みます」と言って差し出した右手を、岩尾憲はがっちりと握り返した。

 時間にしてほんの1、2秒――。

 しかし、それだけで十分だった。

 第1戦の終盤にレッドカードを提示され、第2戦に出場できない酒井は、自身に代わってキャプテンマークを巻く岩尾に思いを託した。

 一方、岩尾にも思うところがあった。レッドカードのひとつ手前のシーンで相手のカウンターを止め切れず、カバーに入った酒井がファウルを犯さざるを得なくなったのだ。

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 あそこで自分がイエローカードをもらってでも止めていれば……。

 責任の一端は自分にあるという思いが、胸中に渦巻いていた。

「僕が止められなかったこともあって、宏樹が出られない状況になったので、キャプテンマークを巻いて次に進めるかどうかは、僕の人生において重要なことだと位置付けていました」

 もっとも、岩尾がこの第2戦に懸けていたのは、そうした責任感だけが理由ではない。

 第1戦で負った1点のビハインドをひっくり返してファイナルに進む――。

 そのミッションに、岩尾は浦和レッズにおける自身の存在意義を懸けていたのだ。

「この日のために僕は浦和に来たんだ、と感じていました。このシチュエーションを乗り越えられなければ、浦和は変わらない。僕は未来を作っていかなきゃいけないと思っていました。そこに、自分がこのチームに来た意味がある、と――」

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 埼玉スタジアムで行われた横浜FMとの第2戦、スコアは0-0のまま後半に突入した。

 じりじりする試合展開をスタンドから眺めていた酒井は、チームメイトの戦いぶりに手応えを感じていた。


「みんなのパフォーマンスは良かったし、マリノスは少し良くなかった。これは(2試合合計で)逆転できるなって。ただ、(早川)隼平のゴールが取り消されたように、勝負事には運も絡んでくる。僕としては、このパフォーマンスで勝てないのならしょうがない。そんな気持ちでみんなを信じ、勝利を祈るだけでした」

 スコアが動くのは63分だった。早川が倒されてPKを獲得すると、アレクサンダー ショルツがゴール右に決めて2試合トータル1-1の同点に追いついた。レッズサポーターの声量も増していく押せ押せムードのなか、後半アディショナルタイムに再びPKを獲得し、ショルツが今度は左隅に決める。

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 土壇場での逆転勝利に、酒井は「プロの集団になってきたな」という誇らしさを胸にロッカールームへと駆けつけ、チームメイトを労った。

「こういうゲームでしっかり勝てるっていうことは、僕たちは持っているのかなって。今シーズンは大崩れすることなく、粘り強く戦えるようになったと感じています。リーグ戦で勝ち切れない試合が多いのは課題ですけど、選手もスタッフも120%の力を出して戦ってきたことも事実。浦和ってなんで勝っているんだろう、なんで負けないんだろうっていうゲームが今シーズンは多いと思うんですけど、それこそが浦和が強くなってきた証かなって」


 そこで酒井が持ち出したのは、レアル・マドリーだった。歴代最多となる14度の欧州制覇を誇る“スペインの巨人”は、試合内容がいつも良いわけではないが、それでもラ・リーガを制し、欧州チャンピオンズリーグでも上位に進出する。

 そういうチームに浦和もなりつつある、と酒井は実感しているのだ。

「僕が加入した2年半前、浦和はプロ意識が少し足りないなって感じたんです。当時の浦和はスタイルにこだわる傾向があった。形から入るというか、綺麗に崩そうとするというか。もちろん、それも大事なんですけど、僕が9年間過ごしたヨーロッパでは、勝つか負けるか、それがすべて。

 負ければ、自分のポジションに新しい選手がやってきて、自分の立場が危うくなる。そうやって日々、勝利に執着して戦うのがプロの集団だと思っていて。そういう意味で、今の浦和はプロ意識が強くなってきたと感じます」

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 チームのメンタリティが変わったのは、マチェイ スコルジャ監督に依るところが少なくない、と酒井は言う。

「ACL(AFC チャンピオンズリーグ)決勝が4月にあったから、そういうチーム作りにせざるを得ない部分もあったのかもしれませんが、監督の方向性や方針にブレがないので、チームとして勝利を目指して前に進みやすいのかなって思います。ただ、僕や他のベテラン選手も、プロとしての姿勢を示してきたつもりです」


 まさに横浜FMとの第2戦は、そうした浦和の成長を表すゲームだったのだ。

 一方、試合終了後にピッチで咆哮した岩尾に込み上げてきたのは、安堵だった。

「浦和の未来を作るうえで何が必要なのか、何をしないといけないのか、自分の中ですごく大事に捉えていましたし、同時にプレッシャーも感じていました。自分がここでプレーする意義というか、価値のある選手なのかどうかが問われる試合だと思っていたので、みんなの頑張りのおかげですけど、良い結果で終われて良かったです。延命できたというか(笑)」

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 徳島ヴォルティスから浦和に加入して1年半、岩尾は常にこのビッグクラブにおける自身の存在意義と向き合ってきた。

 自分は浦和レッズから必要とされる選手なのか。

 自分は浦和レッズに何を残せるのか。

 例えば、酒井や興梠慎三、西川周作はJ1リーグや日本代表、欧州での実績と、実績が証明する実力が評価され、三顧の礼で迎えられた選手たちだろう。

 だが、自分はそうではない、と岩尾自身は捉えている。

「これは僕の感覚ですけど、おそらく浦和が僕を獲ってくれた理由は、あまりないと思うんです。エビデンスもあったかもしれないですが、どちらかと言うと、監督がリカルド(ロドリゲス)だからという文脈で獲って、『あなたに何ができるんですか?』と試されている。そこで結果を出せなければ、アウト。また新しい選手を獲ってタイトルに向かって戦う。


 ここって、そういうクラブじゃないですか。だから、僕は日々テストされているという感覚です。自分に何ができるか証明しないといけない。証明し続けないといけない。それができなければ、僕の浦和でのキャリアは終わってしまう。これは自分との戦いです」

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 今年5月に掴み取ったアジア王者の称号も、岩尾にとって自身の存在証明になっていない。

「そもそもACLの出場権自体(21年天皇杯優勝)、自分で掴んだものではないし、厳密に言うと、あれは2022年の大会なので。2023年で言えば、天皇杯は負けてしまったし、リーグ戦はまだ可能性があるものの他力に頼らなければならない。ACL(2023/24)のグループステージも厳しい状況にある。

 そのなかで、このルヴァンカップが唯一、自分たちが残せた希望というか、目の前の相手を倒せば掴めるタイトル。もしこれを逃して、リーグ優勝にも届かなければ、『23年に何も獲れなかった人ですね』っていうことになる。それはすごく嫌なんです。『じゃあ、お前じゃなくていいよね』って。だからこそ、ここでルヴァンカップのタイトルをしっかり掴みたい。そんな欲求に強烈に駆られています」

 チームにおける自身の存在意義――。

 それはもちろん、選手によってさまざまだろう。岩尾とは異なる形で、酒井もしっかりと認識している。


「周作くんや慎三さん、阿部(勇樹)さんもそうですけど、彼らはクラブにとってレジェンド的な存在ですよね。でも、僕はそういう存在になりたいとは考えてなくて。どちらかと言うと、僕はショルツやマリウス(ホイブラーテン)、ホセ(カンテ)と同じ立場だと思っている。つまり、助っ人というか。その覚悟で来ているし、そうじゃないといけないと思って常にプレーしているので、居心地が良くなるようにはしていないんです――」

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(取材・文/飯尾篤史)

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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