湘南ベルマーレ連載 Jリーグ加盟30周年企画「共に歩んだ30年」【中】
存続危機からJ1昇格まで10年の時を費やした 【(C)SHONAN BELLMARE】
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「あのベルマーレを取り戻します」
クラブの新たな船出に際し、眞壁は記者会見でそう宣言した。「あの」という2文字には、90年代を鮮やかに彩ったベルマーレ平塚と、その礎を築いたフジタの意味を込めていた。
2000年、湘南ベルマーレとして再出発 【(C)SHONAN BELLMARE】
とてもアナログな、いま思えばびっくりするようなやり方をしたもんだと、振り返るたびに眞壁は思う。だが当時もっと驚かされたのは、地域の人々の反応だった。チラシを配ったその日から申し込みが続々とクラブのファックスに届いたのだ。
ひとつの希望として考えていた3千万円にまたたく間に達すると、5千万円もすぐに超え、やがて1億円に近づいた。
出資してくれた人々の年齢層は幅広く、ベルマーレが老若男女を問わず地元地域にどれほど愛されているかをあらためて実感した。
「Jリーグ百年構想」を具現化しようと奔走した眞壁潔 【(C)SHONAN BELLMARE】
Jリーグが掲げる「百年構想」を踏まえ、ドイツのスポーツシューレ(地域スポーツ振興の拠点となる複合機能施設)を見学するなど知見を得ると、2002年には「NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブ(SC)」を立ち上げ、スポーツを通じて地域の振興を目指すとともに、ジュニアユース以下の年代の運営をSCに移管して、クラブ本体の経営状況に関係なく子どもたちの育成に注力できる仕組みをつくり上げた。
さらに眞壁が大きく影響を受けたのが、育成に定評のあるスペイン1部CAオサスナとの出会いだった。オサスナのスタッフと会食した際、寮に何人受け入れているのか尋ねると、幹部は驚いた顔で答えた。
「なぜ寮が必要なんだ? 中学生は親元で育てるべきだ。子どもたちはみんな家から通ってるよ。外から呼んでくるのはレアルやバルサがやることさ」
なるほど、本場のビッグクラブのスタンダードにとらわれていたが、トップチームに引き上げられるだけの才能は、練習に通える距離からも生まれるものなのだ。
地元の子がJリーガーになったらいいな――。2004年、代表取締役に就いた眞壁は、育成を充実させるべくオサスナとの提携を決めた。
それから2年後の2006年、ベルマーレユースが名古屋グランパスU-18と対戦した高円宮杯全日本ユースサッカー選手権の光景が忘れられない。この年ユースの監督に就任した曺貴裁の指揮のもと、地元出身の選手たちは体格や技術でまさる相手に対して球際で怯まず、倒れてもすぐに起き上がり、90分間足を止めずに挑み続けた。結果は1-2も、かたずをのんで見守っていた観客は皆、チームの別なく立ち上がって彼らの戦いに拍手を送った。
「素晴らしかったです。湘南は絶対よくなりますよ」そう声をかけてくれたのは、名古屋U-18のGKコーチを務めていたベルマーレOBの伊藤裕二だった。
眞壁は原石たちの可能性を目に焼き付け、もっともっと育成に取り組もうと想いを強くした。ちなみに、この試合に出場していた猪狩佑貴と鎌田翔雅は、のちにトップチーム昇格を果たしている。
苦しい時代も常にサポーターに支えられた 【(C)SHONAN BELLMARE】
迎えたJ2初年度は、社長の小長谷と同様、給料度外視で監督を引き受けた加藤久のもとでリスタートを図った。
前園真聖や松原良香、GK伊藤ら経験豊富な選手も加わったが、8位にとどまり、以降も予算が限られる状況下で成績は振るわず、監督交代を繰り返した。
二度目の監督就任となった上田栄治がいまのベルマーレの土台をつくった 【(C)SHONAN BELLMARE】
前年途中より監督として2度目の指揮を執っていた上田栄治は、チームの土台となる戦う姿勢を選手たちに厳しく求め、2006年途中に上田からタクトを引き継いだ菅野将晃もハードワークやリバウンドメンタリティを育んだ。
結果は徐々に、しかし着実に表れ、2008年には最終節までJ1昇格争いに係わる5位まで順位を上げた。
11年ぶりのJ1昇格は反町康治が導いた 【(C)SHONAN BELLMARE】
反町は自身も選手としてその渦中に身を置いていた「湘南の暴れん坊」と称されるクラブのDNAを念頭に、欧州のトレンドも取り入れながら、攻撃的なサッカーを植え付けた。リスクを恐れず湧き上がるようにボールホルダーを追い越していくさまは痛快で、選手たちも個性を惜しみなく開放した。
開幕5連勝とスタートダッシュを切りながら夏場に失速し、昇格争いは最後までもつれたが、迎えた最終節、ベルマーレはアウェイで水戸ホーリーホックに逆転勝利を収め、悲願はついに果たされた。
存続危機を乗り越え、親会社のない市民クラブとして再出発したあの日から丸10年が経過していた。宙を舞う眞壁の瞳には、喜びとともに安堵の想いが絶え間なく押し寄せた。
※第3回に続く
文・隈元大吾
涙のJ1昇格。サポーターと喜びを分かち合った 【(C)SHONAN BELLMARE】
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