【浦和レッズ】点取り屋として刺激になった元ブラジル代表の存在…ホセ カンテは今日も照れながら挨拶に向かう

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

 気温30度に迫る8月のナイトゲームで3戦連続ゴール。J1リーグ2連勝の立役者となった湘南ベルマーレ戦の3日後、ホセ カンテは練習前に汗を拭いながら苦笑していた。

「日本の夏はギニアよりプレーするのが大変かもしれない」。赤道に近い祖国よりも蒸し暑く、ピッチの体感温度が高いという。

 ただ、それよりも最近まで苦悩していたのは、自らの置かれた立場。今年3月、浦和レッズに加入したばかりのストライカーは、ひとり暮らしの自宅のソファーにゆっくり腰を沈めると、考えずにはいられなかった。

「チームにとって、僕は重要な存在なのだろうか……」

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 7月までは自問自答を繰り返した。途中出場を含めてリーグ戦13試合でピッチに立っていたが、スタメンで起用されたのは3試合のみ。プロフットボーラーとして5カ国を渡り歩き、生き馬の目を抜く世界で長く生きてきた32歳。厳しい現実があることも分かっている。疑心暗鬼になりそうな思いをかき消し、自らに言い聞かせた。

「チャンスは自分でつかみ取らないと。僕は与えられた機会を生かせていない」

 頭の中を一度リセットし、昨季、中国スーパーリーグで14ゴールを挙げた映像を見返した。もともとボックス内でプレーするセンターフォワードタイプでもなければ、ゴール前で相手を背負うポストプレーもさほど得意ではない。機動力のあるFWとして、評価されてきた。

 少し下がってボールも引き出し、スペースに流れてパスを受ける。相手ゴールに背を向けるよりも、前を向いたときに持ち味が生きる。

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 冷静に自らを見つめ直せたのは、ファミリーが来訪したことも大きかった。サッカーを始めたばかりだという7歳の息子の話をすれば、自然と頬も緩む。

「同じ空間に一緒にいるだけで、心が安らぎました」

 そして迎えた8月13日、先発出場したアウェイのサンフレッチェ広島戦で4試合ぶりにゴール。ミドルエリアでパスを呼び込んでドリブルから豪快なミドルシュートを叩き込んだ。

 かつての感覚を取り戻すと、5日後の名古屋グランパス戦でもゴールネットを揺らす。ペナルティーアーク付近でパスを受け、反転して右足を振り抜いた瞬間、埼玉スタジアムのスタンドで観戦していた息子も大興奮。いずれの形も、これまでのチームで決めてきたようなゴールである。

「ストライカーとしては、ノーマルなシュートだと思っています。決して特別なものではない。ワイルドなゴールは若い頃から決めてきました。練習でもトライしている形なので」

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 それでも、湘南戦で見せた左足のコントロールショットだけは違う。持ち前のパワーでねじ込んだものではない。キャリアを積み重ねる過程で身につけた技術が凝縮されていた。

 スペインの下積み時代は元コートジボワール代表ディディエ・ドログバのパワフルなプレーをお手本としていたが、24歳のときに力技だけでは限界がくることに気づかされた。初めての海外移籍となったキプロスのAEKラルナカでの出会いが、カンテを変えたのだ。

 経験豊富なスペイン人の技巧派からサッカーの真髄を学んだという。ラ・リーガのセルタ、ビジャレアルなどでプレーした先輩の助言には含蓄があった。

「それまでの僕はあまり聞く耳を持っていなかったのですが、チームの10番を背負っていたジョアン トマスは丁寧にいろいろ教えてくれました。力を抜いてうまく点を取る術は、その頃から徐々に覚えていきました」

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 仲間から学ぶ姿勢を持った男は、ポーランド、スペイン、カザフスタンと移籍するたびにチームメイトたちから良いものを吸収した。なかでも点取り屋として、大きな刺激を受けたのは、カザフスタンのカイラト・アルマトイで2トップを組んだ元ブラジル代表のヴァグネル ラブだ。

「当時、36歳という年齢だったので、体の衰えはありましたが、インテリジェンスあふれるプレーで得点を重ねていました。チームのリーダーでもあり、有意義なアドバイスをくれました。彼とともにプレーしたことで、FWとしてさらに成長できたと思っています」

 年齢を重ねても一線で活躍しているプレーヤーには、ずっと敬意を払ってきた。

 現在、レッズでは、37歳を迎えた興梠慎三の動きを目で追っている。ペナルティーエリア内での駆け引きには一目を置き、舌を巻く。AFCチャンピオンズリーグのプレーオフでのゴールは、その典型だったという。

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「言葉の壁もあって、まだ深い話はできていないですが、学ぶべき点は多いです。日本人の若い選手たちは、彼とプレーすることを誇りに思い、もっと話を聞いたほうがいいと思います」

 チーム最多のリーグ戦6ゴールを挙げ、レッズの新しいエースになりつつあるが、謙虚な気持ちは忘れていない。地に足をつけて、現実だけを見ている。

 9月2日のアルビレックス新潟戦に向けて、4試合連続ゴールを期待する言葉を掛けても、控えめに笑っていなすばかり。

「あまり考えないようにしています。2、3試合続けて点を取れることもあれば、ゴールから見放されることもあります。常に得点は狙っていますが、僕はリオネル メッシではないので。

 チームを助けること、勝たせること、それが一番の仕事だと思っています。自信を持ってプレーし、数多くのチャンスをつくっていきたい。その中でひとつでもゴールにつながれば、うれしいです」

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 もちろん、埼玉スタジアム、レモンガススタジアム平塚で響き渡った『ホセ カンテ』コールは、心に響いている。長いサッカー人生のなかでも、あれほど熱のこもった声援を受けたのは初めて。

「プロフットボーラーを夢見た少年時代には、想像もできなかったことです」

 ただ、ヒーローインタビューを受けた後、ひとりでスタンドに向かって挨拶するのは少し苦手なようだ。照れ笑いを浮かべながら、ぽつりとつぶやいた。

「シャイな性格なので、ちょっと恥ずかしくて」

 また大きなコールを聞きたいと思いつつも、正直な気持ちを口にする。

「僕がゴールを挙げたから『ホセ カンテ』コールが起きたかもしれないですが、本当は全員の名前を呼んであげてほしい。サッカーはときにアンフェアです。ボランチの(岩尾)憲がどれだけ全体のバランスを取っているか、センターバックのショレ(アレクサンダー ショルツ)がどれだけ体を張って守ってくれているか、ゴールマウスを守る(西川)周作のセービングにどれだけ助けられているか。点を取ったFW以上に勝利に大きく貢献している試合もありますから」

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 どうにも独り占めは、カンテの性に合わないのだろう。今、何よりも欲しているのは、クラブの仲間、そしてファン・サポーターとともに喜びを分かち合える17年ぶりのリーグタイトルである。
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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