『人』を大切に アランド・ソアカイのチーム愛が実るとき(後編)

チーム・協会

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

2023年5月20日16時22分。国立競技場のもう一つの時計は、オレンジアーミーの大合唱によるカウントダウンとともに、80分きっかりで止まった。

クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(以下、スピアーズ)の初優勝。スタンドで勝負の行方を見守っていたブーストの選手とスタッフが歓喜の輪に加わり、次々と握手を交わして列を成す。その流れをせき止めるように、強く抱き合って離れない集団がいる。中心にいるのは、アランド・ソアカイコーチだ。
スピアーズの代名詞の一つ『強いFW』。リーグワン屈指の大型FWの中でも、一際(ひときわ)恵まれた体躯(たいく)で対戦相手を苦しめてきた屈強な選手たちは、決勝でも身体を張って勝利に貢献した。彼らが天性の伸びやかさを保ったまま、高い腰を低く落として、規律を厳格に守り、緻密なシステムを徹底して、日本の速いラグビーに力強さを織り交ぜることができるように、公私で支え続けたナイスガイだ。
ソアカイコーチの顔も、ソアカイコーチを見つけて抱きついた選手たちの顔も、喜びに濡れてぐしゃぐしゃだ。

その絆は、いかにして築かれたか。
その一端を窺い知ることができる後編をお届けします。

(ソアカイコーチが来日してからスピアーズに心を寄せていくまでを感じられる前編はこちら)

『人』があってのラグビー

12.コーチになった経緯を教えてください
スピアーズへの入団が決まったときは、スピアーズで選手生活を終えたらニュージーランドへ帰国して教員になるつもりでした。体育学教諭の学位を持っているので、現役引退後は高校でラグビーを教えようと考えていたんです。そこへ、当時のコーチから、選手兼コーチとしてブレイクダウンのところを教えるスキルコーチになってくれ、と言われたのが最初のきっかけです。
スピアーズでコーチをする話は、本当にトントン拍子に進みましたね。
コーチングが大好きだし、未だに楽しんでいます。
―――タイミングが良かったということでしょうか。
そうですね、「チョットハヤイ」かな。
プレーヤーコーチは難しかったです。試合に出れば選手、出なければコーチというバランスをとるのが、「チョットムズカシイ」でした。

13.コーチになって、選手時代から変化したことはありますか?
たくさんありますね。
ラグビーや試合そのものの理解度が深まり、FWコーチとしてどんなことが大事なのか、真理を見いだすことが出来ました。
コーチを長く続けてきて、ラグビーで最も大切なのは、まずは人間だということが分かりました。今では、ラグビーというのは単なる成果物に過ぎないと考えるようになりました。
「選手の前に、良い人間、良い男であれ」というところをしっかりやって、まずは人間同士、人と人とのつながりを築き、その人となりを知ることで、ラグビーの局面でも良い判断ができるという考えの下でコーチングをしてきました。
選手時代は「ラグビー、ラグビー、ラグビー、・・・」とラグビーが全てでしたが、『人があってのラグビー』という文化が自分のラグビー哲学となり、どうやってその人を育て上げて良い選手にできるかへと(意識が)変わってきました。

14.スピアーズではどのような役割を担っていますか?
アシスタントコーチとして、FWを指導しています。試合中もいろいろな分野で責任を持っています。
トンガ系の選手も多く在籍しているので、彼らの面倒を見ることも、僕の役割の一つですね。プレーのパフォーマンスもそうですが、オフフィールドのところも、目をかけ手をかけ、盛り立てるようにしています。
Kubotaの代表としてどんな行動をしているのか。良いことをやっているのか良くないことをやっているのか。外国人選手や外国人コーチがチームやクラブハウスに対して何をもたらせるか。そこの世話をするのも僕の責務だと思っています。
スピアーズとしての価値というところは、チームの中で繰り返し話し合っている部分です。時に振り返りも交えて価値を確認することは重要です。そんなところも楽しめています。
僕の役割はそんなところです。良いラグビーをすることはもちろんですね。
ラグビーのところ、人間のところ、それが結果を生むと思っています。

15.コーチとして大切にしてきたことは何ですか?
その人の人となり、その人自身に価値があるというところ。
選手としてフィールド上での仕事に価値があるというところ。
それぞれがチームの文化にどれだけ貢献できるのかというところ。
ハル(立川理道選手)やクロッツ(ライアン・クロッティ選手)は、選手としてのパフォーマンスが良いだけではなく、チームの環境への貢献も大きいですね。リーダーシップがあります。
選手たちには、充分に準備した上で(練習に)来てほしいし、ハードワークして良い結果に繋げてほしい。まずは自分がやるべきことを明確に把握して、仕事を遂行してほしい。
選手が自分の役割を理解して取り組めるように、しっかりと重きを置いて指導しています。

強く連帯してスピアーズを強化したコーチ陣。左から、田邉淳コーチ、佐川聡コーチ(元)、フラン・ルディケ HC、高野彬夫コーチ、アランド・ソアカイコーチ 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

パワフルに染めて、僕らを成功へと導く存在

16.スピアーズが言語や文化などの壁を感じさせないカルチャーを築けた秘訣は?
(通訳に)respectは「ソンチョウ」だよね?
僕がスピアーズに来たときも、厳しい「センパイーコウハイ」の上下関係はなく、お互いにエンジョイしていて、僕のことも尊重して面倒を見てもらえました。コーチの中ではトンガ系の立場なので、トンガ人同士で助け合うことと日本人と交流することの両輪で繋がっていけるようにフォローしてきました。
南ア系やトンガ系の選手も、良い意味で日本の文化と協調してきたことが自分たちの強みだと思っています。日本に住む中で日本の文化に染まる部分もありますが、国籍の違いを尊重しながらスピアーズのラグビーに打ち込んできました。
みんな自分の役割を理解して、お互いが日本での生活を楽しめるように働きかけています。互いに尊重して築いた、強くて良い文化です。

17.オレンジアーミーはコーチ陣にとってどのような存在ですか?
オレンジアーミーのサポートは大事な存在です。
フランが名付けた頃は確たるものではなかった気がしますが、今では確実な存在になっています。オレンジはとってもパワフルな色ですから、スタンドが染まっていると目立つし際立ちます。熱心なファンも多くて、遠征先にも観に来てくれますよね。
僕らが成功している要因の1つだと思います。
僕にとっては、ファンだけではなく友人や家族も含めての『オレンジアーミー』という認識。全員が全員、スピアーズの一員だと思っています。

トンガに届いたKubotaのgreatな愛情

2022年のフンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ火山の大規模噴火の際には、チームの連帯感を示す大きなコンテナをトンガへ届けた。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

18.『トンガボックス(選手が不要になったラグビー用品をトンガへ寄付する取り組み)』についてお尋ねします。始めたきっかけは何ですか?
トンガボックスは現役を引退する前からやっています。
トンガには、ラグビーをやりたくても、スパイクもソックスも無くて裸足でラグビーをしている子どもたちがいっぱいいるんです。日本では不要なスパイクも、トンガではまだ履けるんじゃないかと考えました。
段ボールにマジックで『トンガボックス』と書いて、シーズン後に使い終えて要らなくなったスパイクなどを入れてもらい、ニュージーランドに帰国するときに持って帰りました。それを船便会社で働く友人に頼んでトンガ行きのフェリーに積んでもらい、トンガの友人が受け取って現地のクラブや学校に寄付してもらっています。

19.トンガボックスの運用で困っていることはありますか?
始めた頃から問題はずっと無かったのですが、今はコロナの影響で送料などの費用が嵩んで難しいですね。日本のトンガ大使館を通して、現地で対応してくれるトンガの友人へと送ってもらうようになりました。
ずっと手伝ってくれていたトゥパ フィナウが、自ら「続けたい」と言ってくれたので、運用を引き継ぐことにしました。大使館とのやりとりは新たなチャレンジですが、本人もやる気なので頑張ってくれると思います。
昨年、トンガが津波に遭った際には、チームがトンガボックスの積み荷を手伝ってくださいました。人手を当てがってくれて、段ボールではなく、大きなコンテナが用意されました。トンガのラグビー選手に使ってもらうために昔のスパイクやジャージも入れましたし、ラグビー以外にトンガの家族に送るものも入れてくださいました。
トンガのクラブチームがスピアーズのジャージを着ている姿を見られるのは嬉しいですね。トンガで助けられた人も大勢います。そこにプライドと喜びがあります。
トンガ系の選手たちは、クラブのサポートを得て母国を助けられることに感謝をしていると思います。

20.トンガボックスを始めて嬉しかったことはありますか?
コンテナには、チームや日本各地から送っていただいた救援物資等の寄付もたくさん詰め込みました。
津波が押し寄せた島の人たちは、元の家には帰宅できずに本島に移住せざるを得ず、何も無くなってしまったそうです。津波で何もかもを失った方々の手元にコンテナの中の物資が渡りました。その方々からKubotaやスピアーズに「ありがとう」というメッセージが届いて、クラブへ伝えました。
そういうところが良かったところですね。
実際に家を失くした方を、食べ物や衣類で助けることができ、チームの『ラブ・アンド・ケア』を示すことができました。
「good」どころか「great」と言って良いことですね!

スピアーズに在籍する、トンガに所縁のある選手とその家族を取りまとめ、彼らの活躍を支えた。左から、ソアカイコーチ、テアウパ シオネ選手、ヘル ウヴェ選手、ファウルア・マキシ選手、トゥパ フィナウ選手、オペティ・ヘル選手、バツベイ シオネさん(2022年退団)。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

インタビュー中、大事な言葉には日本語が使われていた。
チームの中心選手として来日した青年は、同期を核として確かな絆を築いてクラブ全体の信頼を獲得し、コーチとなってからも『人』を大切にすることを信条にして後進を育てた。
「才能のある選手が集まったというより、努力をして現在のレベルにたどり着いた選手が多いように見える」と形容して目を細める。本当に嬉しそうに。

2023年5月20日は、クボタスピアーズ船橋・東京ベイにとって特別な日になった。
下部降格を経験したチームが初めて栄冠を掴んだ日、国内リーグ最多入場者数の記録もまた、大きく更新された。
ソアカイコーチが手塩をかけて育てた選手たちが、一流のプレーと一流の振る舞いで、1人、また1人、とファンを増やしたからこその記録だ。

80分間を戦ったメンバーの誰もが、長きにわたってチームを支えてきた支柱の2人を、誇らしげにトロフィーの両隣へと手招く。
『人』としても日本一になった教え子たちへと贈られた鮮やかなオレンジ色の拍手は、風薫る国立競技場にいつまでも響いていた。

ソークス、12年間ありがとう。
これからも応援しています。



文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ オレンジリポーターHaru
写真:チームフォトグラファー 福島宏治

2023年5月20日 優勝トロフィーとともに、中心にはソアカイコーチと井上選手 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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