『人』を大切に アランド・ソアカイのチーム愛が実るとき(前編)

チーム・協会

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

門をくぐると、元気な声が飛び込んできた。
工場内に鎮座しているであろう、世界を支えるインフラ製品を産み出す巨大な機械は、ほとんどの社員とともに休日なのか。広い構内は穏やかで、芝の上を駆けていく笑い声が、空高く和やかに伸びていく。案内されたクラブハウスの奥まで楽しげな残響が届き、選手もスタッフもほどよくリラックスしていることを伝えてくる。

それは、準決勝前日。
クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(以下、スピアーズ)が、約86分にも及ぶ激闘を制した、ちょうど24時間前だ。
さらには、昨季の王者から2006年以来となる公式戦勝利を果たし、1978年の創部以来初となる日本一の座に輝いた、ちょうど1週間前のことだ。

優勝カップを捧げてチームを去る1人に、選手時代から12年の歳月をかけて、2部降格の冬の時代に喘(あえ)ぐ集団から当代随一の温かくて強い家族へと、スピアーズを育て上げた功労者がいる。

アランド・ソアカイコーチ。
慣れ親しんだオレンジのジャージーのキャリアに区切りを付けるときを迎えた彼に、感謝の気持ちを込めて20の質問を投げかけた。

スピアーズが強くなった軌跡を感じられるインタビューを前後編でたっぷりとお届けします。

アランド・ソアカイ(ALANDO SOAKAI)/1983年5月11日生まれ(40歳)/ニュージーランド出身/オークランドグラマー高等学校⇒オタゴ大学⇒ハイランダーズ⇒クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2011年入団)/アシスタントコーチ/愛称は「ソークス」(左は同じく今季で退団するライアン・クロッティ選手) 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

開幕から好調の要因は

1.準決勝前日、現在のチームの様子はいかがですか?
元々スピアーズの選手やスタッフは良い人間が揃っていました。選手やコーチだけではなくミツル(石川充GM)やツメ(岩爪航広報)も含めて、全員が全員、とにかくみんなで良くしたい、向上したい、と取り組んできました。ラグビーのパフォーマンスはもちろん、オフフィールドの面でもそうです。
心を開いて、変わることをいとわずに12シーズンやってきて、かなり成長して伸びたと思います。
・・・いつまでも話せるような質問ですね(笑)。

2.今季は数年ぶりに各国の代表活動が活発化しました。開幕前の準備の遅れを気にするチームも多い中、スピアーズが好調にスタートできた要因は?
最初に、フラン(・ルディケ ヘッドコーチ(以下、HC))とマエカワ(前川泰慶ディレクター)、ウラ(浦山真吾S&Cコーチ)とで、そのシーズンのチームの方針を決めます。それを踏まえて、プレシーズンまでの流れと代表選手や負傷離脱している選手の合流時期を全て把握します。コーチの間で情報を共有して、チーム全員が同じ『絵』を見ることができたので、良いスタートを切れたのだと思います。
代表に招集されてチームを離れている選手の情報は、出場機会が少なければ「試合時間が必要だ」など、代表側とスピアーズ側の双方でやりとりして、その選手を欠いた中でもゲームプランを立てられるようにモニタリングしています。
フランは南アフリカ(以下、南ア)代表とも良い関係を築いていますよ。

3.代表でのコーチの経験はいかがでしたか?
2週間半の短いプログラムでしたが、どれだけシンプルに物事を伝えられるかチャレンジしました。自分のコーチングや準備の過程も含めて、普段と違う顔ぶれで仕事をするのは面白かったですね。
コーチ陣からも、選手からも、色んなことを学んでスピアーズへ持ち帰りました。代表の方が上手くいっていることがいくつかあって、その中からアイディアをスピアーズに落とし込んだという感じ。そこも学びと成長です。
日本代表との関わりを楽しめましたし、日本のトップクオリティーの選手と過ごせたことはよかったです。
―――もっと長く過ごしたかったですか?
ジェイミー(・ジョセフ日本代表HC)からは「(遠征にも)帯同してほしい」という声もいただきましたが、家族からも「帰って来て」と言われたので、ニュージーランドに帰国しました。
僕にとっては家族と過ごす時間も大切です。


(2022年の日本代表活動に招集された際には、スピアーズの立川理道選手、根塚洸雅選手、海士広大選手、そして、アランド・ソアカイコーチがともに映る写真がTweetされ、オレンジアーミーを沸かせた。)

「スピアーズと結婚しました」

4.クボタスピアーズ入団の経緯を教えてください
ニュージーランドを出て、他の国でプレーしようと考えていたときでした。イングランド行きを検討していましたが、エージェント経由でスピアーズからのオファーを受けて、日本行きを決めました。
ちょうど妻と結婚したタイミングだったので、ラグビーだけでなくライフスタイルも全く異なる環境になりました。良い選択をしたと思っています。
―――英語圏のイングランドではなく、当時トップリーグ(リーグワンの前身)2部のスピアーズを選択された背景は?
それが・・・契約書に署名してから、エージェントが「ひとつ言っておくと、スピアーズは2部に降格する」って・・・(一同爆笑)。以前から「たぶん大丈夫だろうけど、(2部に)落ちるかもしれないからね」とは言われていて、その2〜3週間後に「2部確定!」と(笑)。でも、日本に行くと決心していたので、「イイヨ、ダイジョウブ」と返事をしました。
(岩爪広報:今じゃ考えられないけど、ソークスの入団年は誰も観ていないような試合会場で。遠征先の旅館で、みんなで畳に布団を敷いてね。)
よく覚えてるよ(笑)。
(岩爪広報:雪の日のことが忘れられないよ。ソークスが練習中に結婚指輪を失くして・・・(一同爆笑)。みんなで、みんなで、みーんなで、雪をかき分けてソークスの指輪を探したよね。)
だから今はラバー製なんだよ(一同爆笑)。
まだグラウンドのどこかに埋まっているよ。スピアーズと結婚したってことだね!

5..来日前後で日本のラグビーの印象は変わりましたか?
実際に住み始めるまでは、田んぼの中にポツンとあるような小さな町をイメージしていました(一同爆笑)。来てみると、緑や公園の多い拓けた場所で、すぐに気に入りました。
未だによく覚えていますが、初日は雨が降っていました。工場の中にクラブハウスがあるのを知らなくて、それが最初のサプライズでしたね(笑)。選手だけではなく、Kubotaの方々とはあっという間に仲良くなれました。
日本のラグビーは来日前にイメージしていた通りスピーディーでしたが、近年はフィジカルも強化されてきましたね。外国人の選手やコーチの増加は日本人のチャンスを制限している側面もありますが、接点のレベルも上がって、とても魅力的になったと思います。スーパーラグビーより上のレベルになっているかもしれないくらい。スーパースターもたくさん来日しているし、日本人選手の中にもスーパースターがいますしね。今後よりプロ化が進む過程だと考えると、良い流れだなと思います。
日本に住めたことを嬉しく思っていますし、日本が大好きです。

6.来日してから驚いたことはありますか?
来日して12年になりますが、状況をありのままに受け入れたという感じで、驚きという驚きはそんなにないかな。強いて言うならコンビニかなぁ。食べ物が美味しいのは想定内だったし…。日本人が相手を尊重するのも知っていたから、驚くまではいかなかったしなぁ…。
そうだ!ハードワーク、『キンベン(勤勉さ)』ですね!勤務時間中ずっとやり続ける勤勉さは、聞きしに勝るものでした。「7時に集合」と言ったら絶対に7時、なんなら7時前にいるのは驚きですね!
―――来日前からよくご存じだったのですね
先に日本でプレーしている元チームメイトや友人から情報をもらっていました。エージェントも日本のチームの情報や来日後に困りそうなことをまとめてくれていたので、色々と想定できました。
日本では、心を開いて取り組まなきゃだめだと思っていました。それができたから長く在籍できたのだと思います。
「だめだ、だめだ」と不平ばかり言っているようじゃ、現状を受け入れられない。それは息をしていないことと同じだし、それなら早く国へ帰った方が良いと思います。
周囲のアドバイスと自分の実体験から、そう感じますね。

7.未だに受け入れがたい、日本ならではの食べ物や風習などはありますか?
お好み焼き、串カツ、たこ焼き・・・、あ、だめなものか!
日本食は大好きですが、ナットウ(納豆)ダケハ、ムリ!(笑)。それ以外は何でも好きです。

2015年度シーズンに惜しまれつつ引退、コーチ専業となった。写真は左から、鈴木康太さん、柴原英孝さん、ソアカイコーチ、高橋銀太郎さん、前川泰慶ディレクター、アンダーソン・ネイサンさん。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

『シンライ』がスピアーズを特別な場所にする

8.スピアーズの一員になったと感じた瞬間はどんなときですか?
スピアーズは最初から受け入れてくれたので、入団当初から一員だと思えています。個人的に人とのつながりというものに重きを置いていて、チームメイトのことを深く知ろうと心がけてきました。能動的に気にかけるからこそ、より貢献できるのだと思います。
ラグビーとの向き合い方も、チームの文化や環境も、判断を任せてくれるミツルやフランと働けたからこそ、良い選択をできました。
会うたびに『キョウツウ(共通)』の話題でつながりを感じさせてくれる『ドウキ(同期)』も、一員だと感じさせてくれる仲間です。
―――集団になじむのに時間がかかる方は少なくないと思いますが、ご自身、チームの双方の働きかけがあったのですね。
そこは『シンライ』、チームが信頼してくれたからです。
シンライというのは獲得するものです。深めるには時間が必要ですし、お互いを知っていく中で「ソークスに頼みたいことがある」と信頼されるのだと思います。

9.スピアーズに入団して得たものは?
僕にとって同期は大事な存在。他にも大事なものは色々できましたが、一緒に入団してお互いを良く知っている同期は、僕の誇りです。ずっと残っているのは、ヒロ(杉本博昭選手)と僕だけ。シンゴ(吉田真吾運営担当)もスタッフとして戻ってきましたね。
外国人が加入するということは、チームに何かをもたらさなくてはなりません。例えば、これまで経験した練習ドリルを、全体練習後にチームメイトと一緒に取り組むこともそうです。また、ほとんどの日本人選手が高校、大学と活躍してリーグワンへと進むのに対して、僕の経歴には意味があると分かりました。そして、チームや選手を良くするために、自分の経験を広く大きく繋げたいと考えるようになりました。
そこからコーチへの道が拓けたところもあります。

10.同期はどのような存在ですか?
繋がり続ける、コネクトし続ける、仲間です。3週間前にも「短い時間でもいいから会おう」と誘い合って、シシ(四至本侑城さん)とイナ(稲橋良太さん)と食事に行きました。
同期という限られた仲間は貴重。ニュージーランドだと、入団年度が同じというだけでは特別な関係性にはなりません。出身大学も国籍も異なる仲間同士でも連帯できる、日本の良い文化の1つですね。日本でプレーする理由たり得る、特別な強い絆です。

11.選手時代の一番の思い出やハイライトを教えてください
母国(ニュージーランド)の代表になれたことです。
日本での思い出はオフフィールドでのことが多いですね。ずっと良い関係性で良い時間を過ごしてきたので。
その中でも、トップリーグ1部へ復帰できたときでしょうか。降格してすぐは上がれなくて、2シーズン頑張って戻りました。大事なときでしたね。

2011年入団の仲間と。左から、ソアカイコーチ、吉田真吾運営担当、稲橋良太さん(2020年退団)、杉本博昭選手、四至本侑城さん(2020年退団)、田中健太さん(2020年退団)。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

難きを先にし獲るを後にす

スピアーズの試合を観戦するときは、なるべく余裕を持って着席することをおすすめする。
試合前練習に挑む選手たちの引き締まった表情はどのチームも見どころの一つだろうが、彼らを瞳に映すコーチ陣もスピアーズの注目すべきポイントの一つだ。どんな試合でも、誰もがメンバーへの信頼に満ちた顔から、「今日もスピアーズのラグビーを楽しんでもらえるはずだ」と言わんばかりの自信を覗かせている。
とりわけ、豊かなヒゲから白い歯を輝かせるソアカイコーチの笑みは印象的だ。観る者の勝敗への杞憂を昇華させ、「心を委ねて応援すれば良い気分で帰宅できる」と信じさせてくれる、愛情深い横顔だ。
ソアカイコーチのいつもの笑顔を見られない来季のグラウンドを想像して、穴の空いたような気持ちになっているオレンジアーミーは少なくないだろう。

そんな寂しさを払拭してくれる言葉を引き出せた。
後編では、アランド・ソアカイコーチの情熱がスピアーズに連綿と受け継がれていくことを確信できるはずだ。



文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ オレンジリポーターHaru
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント