【物語りVol.44】LO ジェイコブ・ピアス「チームの歴史に名前を残すような、偉大な選手のひとりに」
【東芝ブレイブルーパス東京】
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【物語りVol.44】LO ジェイコブ・ピアス
「生まれてから2歳まではほとんど日本に居て、それから11歳までは日本とニュージーランドでほぼ半年ずつ生活していました。父は引退するとコーチになったので、山口、静岡、神奈川と移り住みました」
ラグビーは4歳から始めた。アイドルは母国のスーパースターだったダン・カーターだ。世界最高とも言われたスタンドオフに憧れて、10番、12番、13番などのバックスのポジションでプレーしていた。
「いまでもバックスでやりたい気持ちはあります」と、ピアスは穏やかな笑みをこぼす。「練習中はFWではなくバックスの練習に入りたいなあ、と思ったりもします。東芝ブレイブルーパス東京との契約書には、どこのポジションでやるとまでは書いていないので、いつでもやりたいです。準備万端です」と、笑みを広げる。
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「母親と先生の三者面談で、先生から『ラグビーを諦めたほうがいい。勉強にもっと励んだほうがいい』と言われました。ニュージーランドはラグビーが盛んで、サイズ的にも才能的にもスキル的にも、いい選手はたくさんいる。このままで続けていても時間の無駄になるだけだ。プロになれるほどうまくなれることはないだろう、と言われたのです」
夢を追いかける少年には、厳しい宣告である。だが、ピアスは自らの可能性を追いかけていく。幸いにも身長は伸びていた。バックスからフランカーやロックへポジションを変え、オークランド地区のU18選抜や、U20ニュージーランド代表にセレクトされるようになる。
「オークランド地区のU18選抜チームの試合で、MVPを獲りました。すると、翌日朝にエージェントから『キミに興味を持っているチームがいくつかある』と連絡がありました。複数の選択肢を提示されて、ブルーズとサインしました」
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「父から東芝の話を聞いていました。『その時代のベストの選手が所属していて、対戦相手としては非常に難しい』と。日本へ戻ってプレーするのは素晴らしい機会だと思ったので、チャレンジしようと決断しました」
加入1年目となった2022シーズンは、5番を着けて11試合に出場した。ロックのひとりとして、ベスト15に選出された。
「ベスト15のアウォードでは、優勝したワイルドナイツや準優勝したサンゴリアスの選手たちと話をしました。彼らは『東芝は一番タフで戦いにくい相手だった』と言ってくれました。そう言われて嬉しかった半面、悔しかったというか。プレーオフトーナメントの準決勝で負けてしまいましたが、ファイナルにいけたんじゃないかと改めて思ったんです」
晴れやかな舞台で感じた悔しさは、ピアスの胸でいまも燃え盛っている。
「2022-23シーズンの目標は、もちろんリーグ優勝です。優勝できるか、ですか? 100パーセント! どのチームも打ち倒せると思っていますし、誰に聞いても僕と同じように答えるでしょう。大事なのは、どの選手が出ても、同じレベルのパフォーマンスを発揮すること。そのうえで、一体感を持って戦えるかどうかだと思います」
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「東芝ブレイブルーパス東京に来て2年になりますが、時間が経つのがすごく早く感じます。それだけ充実している、ということなのでしょう。チームや選手との関係性もいいですし、できる限り長くここでプレーして、チームの歴史に名前を残すような、偉大な選手のひとりになりたいですね」
熱い血がめぐる動機づけはまだある。
「個人的な目標は三つあります。東芝ブレイブルーパス東京が日本一になるために貢献する。日本ラグビーのトップへ返り咲くために、必要不可欠な存在になる。それと、叶うのであれば、日本代表になりたい。日本代表になって、W杯に出場したいと思っています」
東芝ブレイブルーパス東京で見られるように、ワーナー・ディアンズとピアスが日本代表のセカンドローに並び、世界の強豪と対峙したら──ブレイバーのみなさんなら、胸の高鳴りを抑えきれないに違いない。
「そのためにも、東芝ブレイブルーパス東京で結果を残します」
静かな口調に、決意が込められていた。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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