【物語りVol.43】 LO 伊藤 鐘平「ロックとフランカー、どちらのポジションでも突き抜けた選手になりたい」
【東芝ブレイブルーパス東京】
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【物語りVol.43】 LO 伊藤 鐘平
「ラグビーは8歳から始めまして、同じラグビースクールの先輩に札幌山の手高校へ行った人がいました。僕自身も花園に出たい気持ちがあったなかで、たまたまテレビで観た大学ラグビーの試合にリーチ マイケルさんが出ていて、札幌山の手高校出身という選手紹介のテロップが流れたんです」
札幌山の手高校という名前が、鐘平少年の記憶に刻まれた。
リーチ マイケルとの邂逅にも恵まれた。2012年5月、16歳年上の兄・鐘史が日本代表に選出され、中学3年の鐘平少年は試合会場の福岡市へ応援に駆けつけた。
「兄が宿泊していたホテルへ家族で行ったら、たまたまマイケルさんとすれ違ったんです。思わず握手をしてもらいました」
伊藤の胸のなかで、熱いものが膨張していった。「わくわく感」だ。中学3年までは野球、水泳、ラグビーをかけ持ちしており、「ラグビーは一番イケてなかった」が、日本代表として15年のW杯に出場することになる兄をロールモデルとして、自分が成長していく姿を具体的に思い描くことができた。
「自分がどういうふうになれるのかが、イメージできていたんです。でも、親に札幌へ行きたいといったら、猛反対されました。僕自身は直感的に行ったほうがいいと思って、自分の人生だから思ったようにやらせてほしいとお願いしました」
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「ラグビー部の先輩に、『お前、ジャパンの選手の弟らしいな。でも、大したことないわ』みたいなことを言われて。それでバチっとスイッチが入ったんです。よしっ、見返したろと。それも、札幌山の手へ行くきっかけになりました」
1年時からポジションをつかみ、花園に出場した。2年時も全国への切符を勝ち取ったが、3年時は函館ラ・サールに出場権を譲った。
大学は関西へ戻り、京都産業大学に進む。兄と同じラグビー部で研鑽を重ね、ここでも1年時からFWの中心となっていく。4年時には兄に続いて主将に就いた。関西学生代表にセレクトもされた。
申し分のない経歴の隙間で、伊藤は悔しさを噛み締めていた。
「札幌山の手では、高校日本代表の最終セレクションで落ちました。大学では2年時にU20日本代表に選ばれましたが、ウルグアイでの大会では1試合も出られなかったんです。そういう挫折があったから、チームに戻っても天狗にならなかった。反骨心が沸き上がって、もっとやったろうと思うようになっていきました」
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「兄がトップリーグでやっていたときに試合を観に行って、東芝は伝統があって強いチームというイメージを持っていました。そういうチームから声をかけてもらって、すごく嬉しかったですね。かじさん(梶川喬介)やマイケルさんといった尊敬すべき選手がいて、引退していますけど大野均さんのようなレジェンドもチームにいて。練習参加はちょっと緊張していたんですが、めちゃめちゃフレンドリーでした。東京は馴染みのない土地でしたけど、自分が成長するにはここがいいんじゃないかと思いました」
中学時代から尊敬するリーチが、チームメイトになった。「一緒にいることにも慣れました」と頬を緩めるが、身近な存在だからこその気づきがある。
「プレーもそうですし、発言力がすごい。その場にいるだけで全体がまとまる感じがしますし、精神的支柱としての存在感はすごいです」
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「22-23シーズンはチャンスをたくさんもらっているので、インパクトを残したい。スタッツしかり、試合中に局面を変えるプレーしかりです。そういうところを出していきたいと思います」
東芝ブレイブルーパス東京の勝利に貢献した先には、日本代表に選ばれたいとの目標がある。そのために目ざすべき姿とは。
「チームに欠かせない存在になる、というのはありきたりなので……ロックとフランカーをやっているので、どちらのポジションでも突き抜けた選手になりたいですね。どちらでも使いたくなる選手に」
日本代表になりたいという目標は、心のなかですぐに取り出せるところにある。心のもっと深いところでは、家族への思いが育まれている。
「僕が生まれる前に両親が離婚して、父に会ったことはありません。母が育ててくれました。母はめっちゃ泣き虫で、中学を卒業して札幌へ行く時には、新神戸駅で泣いていました。あとで友だちに聞いたら、僕が出発したあとは号泣だったと。いまは『試合を追いかけられるのが嬉しい』と言ってくれています」
兄へのリスペクトも、伊藤の意思を逞しくする。少年時代から追いかけてきた背中は、いまも大きい。
「二十歳になったときに一緒に飲みに行って、兄が父から受け継いだというロレックスの時計をもらいました。そのときに、『親父の変わりとして厳しいことも言ってきたけど、それはお前のためを思ってのことだった』と言われまして。ラグビー選手としてはもちろん、人間としても尊敬しています」
様々な思いが熱い塊となって、伊藤は昨日の自分を越えていく。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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