高齢化団地にサッカー部の寮を設置。様々な地域活性化アイデアが生まれる神奈川大学サッカー部の取り組み
高齢化の進む団地を、サッカー部の寮として利用すると何が起きるのか?
「神奈川大学は、2018年に『ダイバーシティ宣言』を行い、大学として『国内外から集う多様な学生と教職員一人ひとりの人権と自由を守り、さまざまな違いを個性として認め合う大学コミュニティを創造すること』を目指すと表明しました。そもそも大学は建学の当初から、SDGsというような言葉はなかったものの、同様の考えを標榜してきたという経緯があります。学生たちが団地に住んで地域活動に参加し、大学の知見を生かしながら地域を活性化していこうじゃないかというのは、まさに大学の「教育は人を造るにあり」という想いがSDGsの文脈の中で実現したことなのです」(大森監督)
この寮ができたときに入学し、1期生となったのが現在3年生の山口佳祐さんだ。小学生の頃からサッカーをしていて、大学でもサッカーを続けたいと神奈川大学を志望したと言うが、入学してみたら団地の寮に住むことになり、戸惑いはなかったのだろうか。
「僕が神奈川大学に入りたいと思った決め手は、サッカーの練習を見に行ったら、当たり前のことかも知れませんが、先輩たちが自分たちの活動する場所をきちんと掃除していたり、挨拶が徹底されていたりしたこと。そして、大森監督の考え方に惹かれたということもあります。入ってみたら、普通の寮ではなかったので正直、最初は戸惑いを感じました。でも、団地の住民の方は優しい方が多いですし、“いつもありがとうね”とか“サッカー頑張ってね”と声をかけていただくとすごく嬉しいなと思います。今ではすっかり馴染んでいますね」(山口さん)
「スマホ教室ではLINEの使い方とか、自分のLINEアドレスを練習台にして、お友達追加の方法とかを教えます。すると、教えた方から後日LINEが来たり、道を歩いているとちょっと教えてと言われたりもします。僕ではないんですが、ある方からLINEが来て“家からソファーを1階に下ろしたいんだけど”と相談された仲間もいます」(山口さん)
コミュニケーションツールであるスマホの使い方を教えることによって、関係がより密接になったというのはとても興味深い。
耕作放棄地を耕し、出来た野菜を寮の食堂で提供
「高齢化や後継者不足で、竹山団地周辺の横浜市神奈川区羽沢地区には耕作放棄地や休耕地がいっぱいあったんです。そこを借り受けて、僕たち神奈川大学サッカー部員と、以前から選手が農業を行っているサッカーJ3所属のY.S.C.C.横浜と連携して耕作するプロジェクトをスタートしました。ぼうぼうに生えている雑草を自分たちで抜くことから始めて、地域の方々、農家さんにも手伝ってもらいながら野菜を作っています。農業なんて最初は全く興味なかったのですが、野菜が売れるまでの仕組みを知り、農家さんの気持ちがわかって知識が深まったし、ずいぶん考えも広がったなと思います」(山口さん)
団地内に食堂を作った当初は、住民の利用も考えていたそうだが、コロナ禍の影響で断念。現在は、寮生に昼食・夕食の提供を行っている。ところで、食堂のリーダーとはいったいどのようなことをするのだろうか。
「献立は専門のスタッフの方に決めてもらうのですが、調味料など食材の在庫管理はリーダーの役割で、足りないものや必要なものがあったら食材発注担当の学生に指示して業者の方に持ってきてもらいます。昼食は食品保存容器での提供になるんですが、これは専門のスタッフ1人で、夕食はスタッフ1人と学生2人の合計3人で交代しながら調理しています。食べ終わった昼食の容器を返しに来ない学生もいるので、僕がリーダーとしてみんなに呼びかけます。夕食が終わると片付けて最後の〆が清掃です。みんなが食事をするところですから衛生管理も重要なので、リーダーは最後まで残って学生に声をかけて食器を消毒したり床を拭いたり、定期的にグリストラップという厨房の下の油が溜まるところも清掃します。これが本当にものすごく汚くて臭いもキツいんですが、最近ではこういうことが大事だということをみんなも気づいてくれてよくやってくれています」(山口さん)
リーダーは、人の嫌がることも率先してやらなければいけないし、仲間に声をかけて一緒にやるよう促すことも大事だ。ともすれば、嫌な顔をされることもあるだろう。心が折れそうになることもあるのではないだろうか。
「自分は最初は人に強く言うとか、やらせる力というものがありませんでした。でも、リーダーになって、自分でやるのはもちろんなんですが、人に仕事を振ったり、きちんとやってもらうことを徹底したりする力というのは、ずいぶんついたように感じます。それは自分の成長にも繋がることなので、リーダーをやって良かったなと思います。家に帰ると、両親に考え方や経験値的にも大人になってきたねと言われるんです。良い経験をさせてもらってありがたいと思います」(山口さん)
みんなのために貢献することで選手は成長し、チームも強くなる
「僕はあまり上手い選手ではないんですが、人が見ていないところで働くことによって、試合中でもみんなのことを見られるようになって、自分のためだけではなく仲間のために走ることが意識してできるようになった気がします」(山口さん)
実際、寮でいろいろな役割を担ってきちんとやりきっている学生は、ピッチの上でも輝いている。寮での活躍とサッカーでの活躍の度合いは比例しているのだと大森監督は言う。
「サッカーは90分の試合時間中、ボールが動いている時間は60分ぐらいしかないんです。30分はボールが外に出てしまったり、ファウルプレーなどで審判が笛を吹いて試合を止めたりといったプレーできない時間。そして、ボールが動いている60分中、ひとりの選手がボールを持つのはせいぜい1、2分しかありません。その他の58分、59分はずっとチームのために走っているんですよ。山口くんは特にそうです。彼は今、自分を上手い選手ではないと言いましたが、上手くはなくても良い選手なんです。誰かが困っていたら、自分から進んでコミットしようとする積極的な姿勢が見られますし。そこを頑張るようになると、チームのためにすることが貢献として評価されるようになるし、チームも強くなれる。サッカーはそういう循環のスポーツで、魔法のようなことが学べる素晴らしい競技なんです。我々神大サッカー部は、卒業生に今をときめくサッカー日本代表の伊東純也選手もいるようなチームですが、同時に大真面目に団地での活動に取り組み、サッカー選手としての資質を伸ばしながら地域にも喜ばれるという無駄のない循環型の教育のしくみを実践しています」(大森監督)
大森監督のビジョンは、さらに選手たちの卒業後のこと、社会に出て行ったあとのことにも及ぶ。
「竹山団地で、自分たちとは違う背景、価値観を持った人たちと交流することは、やがて“待ったなし”で社会に出て行く学生アスリート達を社会化する作業でもあると思うんです。学生時代、競技で培ってきたことが、そのまま社会に出てイコールで繋がるかというと、残念ながらそうではない部分もある。社会に出て結果だけを求められるようになってしまうと辛いじゃないですか。だから、その間の橋渡しをするような日々の生活やそれを支える地域社会の仕組みなどを学ぶことは、学生時代と社会に出てからの生活を繋ぐもので、それを持たないとせっかくサッカーで培った資質もただの宝の持ち腐れになってしまいます。そうならないために、サッカーの戦績を残すこと、竹山団地で地域社会の一員として活動すること、両立は大変ですがふたつのことを並行して力を合わせてやっていく。我々のサッカーは、まさにウェルビーイングを標榜した活動と言えるのではないでしょうか」(大森監督)
こんな監督の思いを受けて、選手達は“誇れる勝者”を目指し、日々を過ごしている。誇れる勝者は、なんなく誇れる社会人になれるに違いない。
「とはいえ、学生たちには苦労をかけているとは思います。いろいろなハードルを前に自問自答したり、苦しんだりすることもあるかとは思います。しかし、自分たちは頑張ってやれたなと思っていても、まだまだこれからだよということは大人として伝えて行かなければいけない。きちんと褒めるところは褒め、“実るほど頭を垂れる稲穂かな”じゃないですが、謙虚にあらねばならないということも伝えていきたいですね。本当にみんなよくやってくれています。最近は愛おしくてしょうがないですよ(笑)。このようなスタンスで社会に出ていけば、間違いなく可愛がられる人間になるでしょう」(大森監督)
広がる幸せの種まき
「彼らも大学でいろいろなことを学んでいますので、地域にはこういう課題がある。我々でなんとかできないかということで考えたのがコミュニティカフェです。山口君がリーダーとしてやっている食堂と、スマホ教室などでの経験を生かし、商店街や企業の力も借りながら地域の賑わいを取り戻していこうじゃないかという取り組みです」
学生が自らアイデアを出し、主体的に動こうとしていることが素晴らしい。コミュニティカフェは12月にスタート予定だ。今後は、商店街の空き店舗や銀行の跡地などに、スポーツジムなども含めた複合施設を作る計画もあるそうだ。
「学生たちが、このような地域の環境の中で経験を積んでいくことで新しいアイデアが生まれ、活動を担い幸せの種となった学生たちが社会に出ていって、さらにさまざまな場所で幸せの芽となってくれたら、こんな幸せなことはないですよね」(大森監督)
お話を伺っていて印象的だったのは、山口さんの「ここで成長させてもらったことは自信に繋がっている。ここでの経験は、社会に出て絶対に生かしていかなければいけないと思っている」という言葉だった。大森監督は「『F+1』(Football+1)ではなく、F+11ぐらいの多岐にわたる活動で試行錯誤している」と語っていたが、ウェルビーイングを推進するツールとしてのスポーツの大きな可能性を感じさせる力強い言葉をもらった。
text by Sadaie Reiko(Parasapo Lab)
資料提供:神奈川大学サッカー部
※本記事はパラサポWEBに2023年1月に公開されたものです。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ