【浦和レッズホーム最終戦特集第1弾】さまざまなおもいを背負い、継承する努力の天才、宇賀神友弥が迎える最後のホームゲーム
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関根貴大はそう言いながら、少しだけ口角の片側を上げる。先輩を含め、愛情を持って誰かをからかう際のいつもの表情だ。
横浜F・マリノスに2-1で勝利した日の夜、SNSを見ていると、画面には宇賀神友弥の名前とともにブログのタイトルが記載されていた。見たことがないのに、そのときに限って気になった。
「『今日感じたこと』って何を感じたんだろう?」
宇賀神友弥 【©URAWA REDS】
「え? 俺?」
関根は驚きながら、宇賀神が書き記した文章を読んだ。
「阿部ちゃんの引退、槙野、そして自分の退団ということで来年どうなるんだろう。誰が苦しい時にチームを盛り上げ引っ張っていくのだろうと心配していましたが今日の関根のプレーを見て『おれに任せてください』と言ってるように感じた。関根のプレーから覚悟を感じました」
関根貴大 【©URAWA REDS】
そこで宇賀神は、ジュニアユース、ユースの後輩に何度も伝えた。
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関根の返答はあまり芳しくなかった。
「一人じゃ厳しいですよ」
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横浜FM戦の関根の走行距離は両チームで唯一の12キロメートル台。ダントツだった。
今季の関根はフル出場が少ないということもあるが、第35節の鹿島アントラーズ戦まで、1試合で12キロメートルを走ることもなければ、チーム最長の距離を走ることもなかった。
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「俺はゴールを決めたかったんだよ」
普段の口調とは少し違う、ぶっきらぼうな言葉でそう話した。
普段から闘うことは最低限だと考え、その上でゴールやアシストを自らに課している。だが、それだけが理由ではなかった。
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そう話す関根の口はすでに真一文字になっており、表情は陰っていた。
それでも、横浜FM戦で後半アディショナルタイムまで相手のディフェンスラインにプレッシャーをかけるなど、最後まで走り、闘い、貫いた関根から、宇賀神は確かに感じた。
それは、後輩の頼もしい姿と、レッズで闘ってきた自分の価値。
「平さん(平川忠亮コーチ)や、今までレッズの歴史をつくってくれた(鈴木)啓太さん、坪さん(坪井慶介)、(田中)達也さんといった選手から僕がプレーや背中で感じてきたものを関根が感じ取ってくれて、横浜FM戦のピッチで表現してくれたと思っています。そういうものを一人でも感じてくれる選手がいたということが、自分の残したものなのかなと思います。次につなげることができたことが、自分が残したものかなと思います」
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宇賀神は育成組織でプレーしているときから『天才』と言われるタイプではなかった。例えばテクニックやスピード、フィジカルなど、一芸に秀でたタイプでもなかった。
右利きだが、西澤代志也が右ウイングバックでプレーすることになり、左ウイングバックに回された。しかし、左ウイングバックでもポジション争いに負けた。
第16回高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権では直接FKやミドルシュートで3試合連続ゴールを決めたが、9月下旬の活躍はトップチームに昇格するには遅すぎた。
第16回高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権 【©URAWA REDS】
それでも、部員は1学年60人ずつの計240人、1年生チームを含めて7チームある流通経済大学で一歩ずつ階段を上り、トップチームに昇格。4年次にはちょうど左サイドバックを探していたレッズでJFA・Jリーグ特別指定選手になると、大学では関東1部リーグを制覇した。
デビュー戦で内田篤人選手とマッチアップ 【©URAWA REDS】
その11年後、全く同じ経路でレッズに加入した伊藤敦樹は、くしくも宇賀神の契約満了が発表されて初めての公式戦でJ1リーグ初ゴール、そして埼玉スタジアムでの公式戦で初ゴールを決めた。
J1リーグ初ゴール後の伊藤敦樹 【©URAWA REDS】
伊藤はその先輩に憧れ、大学で成長し、育成出身の同級生では現在唯一レッズでプレーする選手になった。そればかりか、ルーキーながらここまで52試合の公式戦のうち50試合に出場している。
宇賀神のゴール後に喜ぶ関根と伊藤敦樹 【©URAWA REDS】
その道を切り開いたこともまた、宇賀神の大きな功績の一つだ。
努力の天才は、逆境を乗り越える天才になった。
監督が代わる度に、ポジションを失った。毎シーズンのように同じポジションに新たな選手がやってきた。
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そう怒りをあらわにすることもあった。
しかし、強化スタッフから「それが浦和レッズだ」と言われれば納得し、受け入れた。そしてピッチで自身の存在価値を示し、ポジションを奪い返し続けてきた。
試合中に足がつっても走り続け、「つってからが本当の宇賀神友弥」と笑顔で話すさまは、逆境を乗り越えることを楽しんでいるように感じる一例だ。
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ユース時代にはVfBシュトゥットガルトとのトレーニングマッチで大敗すると、シュツットガルトとレッズの元選手で、当時レッズの監督だったギド ブッフバルトから「お前ら、浦和レッズのユースチームだろ!こんな恥ずかしいおもいをさせやがって!」と怒鳴り散らされた。
育成時代にはそんな経験をしながら、「レッズはこうあるべきだ」と学んできた。
そして、トップチームに加入してからは、「レッズはこうあるべきではないか」と考え続けてきた。
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責任を持つからこそ、時にサポーターと衝突することもあったが、その言動が人の心を動かした。
ファン・サポーターから「気持ちが伝わった」と言われ、メディアの前ではピッチ上の出来事を冷静に伝え、そしてインパクトのある言葉を残してきた。それは都度、意識していたことではなく、「レッズはこうあるべき」と常に考え続けてきたからこそ、にじみ出てくるものだった。
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2016年10月9日に埼玉スタジアムで行われたJリーグYBCルヴァンカップ 準決勝 第2戦 FC東京戦。戸田市の市制施行50周年記念式典に参加し、J1リーグでプレーした戸田市出身選手は自分一人しかいないことを知った約1週間後、育成時代を含めて初めてキャプテンマークを巻いた。
2016年ルヴァンカップ準決勝第2戦のFC東京戦で初めてのキャプテンマークを巻いた 【©URAWA REDS】
「戸田市出身、育成組織出身としてキャプテンマークを巻いて試合に出るということはいろんなものを背負って試合に出ているんだな。お前、一人じゃねえぞ。一人じゃなくて戸田市、浦和レッズというクラブの代表なんだよ」
そして今は、「プロアスリートというものは、地域貢献・社会貢献をするべき立場の人間」と考えている。プロサッカー選手として当たり前のこと。それが当たり前にできる文化にしたいと思っている。
それも誰かに教えてもらったわけではなかった。育成組織から大学を経由してレッズとプロ契約したときと同じように、その道を切り開いた。
プロジェクトには現在、池田咲紀子、塩越柚歩、遠藤 優と3人の三菱重工浦和レッズレディースの選手が所属している。
「僕の魂はその3選手に託したいと思っています」
宇賀神はそう言って、笑った。
横浜FM戦後、西川周作に促されて中継カメラに向かって「勝てました」と叫んだ後、スタジアムを一周すると涙が出そうになったが、「まだ泣いちゃだめだ」と思った。「来週泣くんだからとっておこう」と。
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だが…
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会見から数時間後、宇賀神は自身のブログにそう記した。
18年天皇杯決勝のスーパーゴール後にスタンドに駆け寄る宇賀神 【©URAWA REDS】
さまざまなおもいを背負って闘い続けてきた男は最後もきっと、言葉はもちろん、その背中でも、観る者に確かな何かを伝えてくれるはずだ。
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