千葉ロッテマリーンズ 佐々木千隼 物語 中編

千葉ロッテマリーンズ
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【千葉ロッテマリーンズの佐々木千隼投手】

  栄光のドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団。注目を集めてプロ入りした佐々木千隼投手だが、待っていたのは戸惑いの毎日だった。そこから、再び自分自身を失いかけ、自信もどこかに置き忘れたかのような日々が始まった。

 「それまでプロを自分の将来の中で身近に感じていませんでした。それが4年の夏ぐらいから急に注目をしてもらえるようになって。ただ、今思うとそのギャップに戸惑いがあった。いきなりガッと違う世界に連れて行ってもらった感じ。キツかったです」と佐々木。

 1年目の春季キャンプでは連日、マスコミの注目の的となった。

 当時の事を佐々木千は「ドラフト1位だから、もっと頑張らないといけない。これでは駄目だと、自分で自分をただ苦しめていた。結局、どんどんマイナスになっていた。メディアも沢山いて、気負っていた。今思うとなんであんなに追い込んで悩んでいたのかなあと思う。本当に苦しい時期でした」と振り返る。

 アマチュア時代にほとんど注目をされていなかったこともありメディア慣れをしていなかった。自身の行動の一挙手一投足を追うカメラに重圧を感じ、ストレスを深めていった。気負った投球に襲い掛かる怪我。一年目こそ先発で4勝を挙げたものの、翌18年は右ひじを手術して一軍登板ナシ。19年は2勝で20年は春季キャンプで右肩を痛め大きく出遅れ、わずか5試合の登板で未勝利に終わった。防御率は8・31。二軍戦でも打ち込まれた。まさに、どん底。しかし、それこそが転機となった。開き直った。

 「二軍でもボコボコに打たれて・・・。でも、そこで吹っ切れた部分がありました。今までは実際に投げるボールと思い描いているボールのギャップなどに思い悩んでいましたけど、そうじゃなくて今、投げられるボールで勝負するしかないと。出来ないことを追い求めるのではなくて今できることでチャレンジする。なんかふと、もうちょっと力を抜いて気楽にやってみようと思ったんです。それからちょっと余裕が持てるようになりました」
 
 勝負の5年目。先発ではなくセットアッパーとして再出発した。新しい仕事場での可能性を見出した吉井理人投手コーチは「本来は体が強い子。去年、一年間しっかりと体を作って今年は春のキャンプから中盤に投げる形を試していた」と振り返る。当初は外国人のホセ・フローレス投手とのポジション争い。2月18日に沖縄本島で行われたイーグルスとの練習試合(金武)では2回を無失点に抑えると、その後も練習試合、オープン戦を通じて結果を出し、アピール。一軍の切符を手に入れた。
 
 「彼が自力で勝ち取ったポジション。練習試合、オープン戦を通じて投球内容を見ていて中盤をロングで任せられるいいピッチャーが見つかったぞと思ったね。ストレート、スライダー、シンカーの3つでうまく抑えている。駆け引きの出来る子。相手の狙っている球とかを瞬時に見抜く力がある」と吉井コーチは全幅の信頼を寄せる。

 マリーンズでは07年ドラフトで1位入団をした唐川侑己投手が18年からセットアッパーに転身し存在感を増した。佐々木も同じように環境を変える事によって力を発揮できるようになった。可能性が広がった。

 安定感抜群のピッチング。テンポいい投球で試合の中盤を支配する。ビハインドの場面で逆転が生まれるのは決まって佐々木が投げた後であることは決して偶然ではなく必然。その投球がチームに勢いと活気をもたらし、今やマリーンズ勝利の方程式で欠かすことが出来ない存在となっている。(後編に続く)

千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章
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