【早大競走部】東京五輪直前特集 男子400m障害 山内大夢(前編)

チーム・協会

【早稲田スポーツ新聞会】

(1)自己ベストを1秒更新し、標準記録を突破

5月9日の東京五輪テスト大会で、自己新・早大新・東京五輪参加標準記録突破の48秒84をマークし、一躍日本代表候補に名乗りを上げた山内大夢(スポ4=福島・会津)。それまで東京五輪とは、山内にとってどんな存在だったのか。そして、代表有力候補になったことで、環境や自身の精神面にどんな変化があったのかーー

※この取材は7月10日に行われたものです。

5月3日の静岡国際に出場した山内。組2着、全体3位になり、9日の東京五輪テスト大会に出場することになった 【早稲田スポーツ新聞会】

――READY STEADY TOKYO(東京五輪テスト大会)で標準を切って、東京五輪が一気に現実味を帯びてきたと思います。それまでは、五輪はどんな存在でしたか

 正直、東京で開かれること自体にワクワクはしていたのですが、実際に自分が出るっていう想像はできていなくて。自分が出るというより、世界中の選手を生で見られるかもしれないとか、イタリア選手団がここ(所沢キャンパス)に来たりして五輪を肌で感じられるところに対して、なんだろう、いち『ファン』ではないですが(笑)、そういう感じで楽しみではありました。

――高校時代、地元テレビの取材でも東京五輪に触れていましたが、ご自身が『出場する』という距離感ではなかったのですか

 もちろん自分の目指しているところではあったので東京五輪出場を目標にしましたが、現実的に、どうステップアップしていったら東京五輪に出られるのかは全然考えられていませんでした。その時はそこそこのタイムでインターハイも2位になって、全国選抜でも勝てていたので、ちょっと調子に乗っていたじゃないですが(笑)、いけいけな感じでいっていたので、必然的にあのような目標になったのかなと思います。

――東京五輪出場をはっきり意識したのは、標準記録を突破した5月9日ですか

 そうですね。4月の段階では標準記録を切れるとは自分でも思っていなかったので、礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)からも、(五輪選考で考慮される)世界ランキングのポイントで狙っていくぞという方針でした。ただ自分自身としてはまだ五輪という舞台に立つ実感が湧かないというか、まだ狙える記録、力を持っていないのではないかと考えていたので、それよりは大学生のオリンピックと言われている、ワールドユニバーシティゲームズの代表になりたいなと思っていました。

――五輪テスト大会後のインタビューでは、自己ベストを1秒更新するタイムが出たことに対して、驚きや不安の気持ちがあったとおっしゃっていました。そこから日本選手権に向けてはどんな思いで練習を積んでいましたか

 あそこで一発タイムが出て、周りの反応や自分の置かれる立場が一変しました。プレッシャーには感じていなくて、タイムが出てよかったと思う反面、表現が難しいですが「(タイムを)出しちゃったな」という感覚も若干ありました。実力的には48秒8の走りができているとは思えず、雰囲気とかもあって出したような感じで。でも標準記録を切って五輪出場のチャンスが目の前まで来たので、「もう狙うしかない」と腹を括ってやっていました。でもやっぱり標準突破者として「3位以内を絶対とらないといけない」というのがどこかにはあって。練習の中でもうまくいかなかったり、そのことを考えてしまったり、難しい部分は結構ありました。

――プレッシャーではなかったのですか

 結局、試合の時に走って『プレッシャー』だったなと、走った瞬間に感じました。でもそれまではプレッシャーというより、不安の方が大きかったですね。そんなに状態も良くない中で、もう一回あの(自己ベスト)くらいに調子を上げるにはどうすればいいのかと考えたりしていました。

(2)学生最後の関カレ その先の日本選手権

五輪テスト大会後から日本選手権までの間には、山内にとって最後の関東学生対校選手権(関カレ)があった。この期間を山内はどのように過ごしていたのかーー
――日本選手権までの間には、関カレもありました。400メートル障害だけでなくマイルリレーの決勝まで出場されて、タフな試合だったのではと思います

 五輪テスト大会の反動が結構大きく、両足首やアキレス腱周りが痛くて、テーピングもぐるぐるで。400メートル障害の予選一本走って結構限界でした。でも4年生で、マイルもアンカーを任されていて部として対校戦に臨むので、あとはもう気持ちで押し切りました。まずはけがしなくて良かったというのが一番です。ただ、やっぱり最後の関カレで400メートル障害もマイルも負けてしまったのが悔しかったという気持ちはあります。結構精神的にも肉体的にもきつかったです。

――その後グランプリシリーズを回避したのも、疲労が蓄積されていたからでしょうか

 ハードルを踏み切るのもきついくらい足首が限界だったので、監督とも相談して、しっかり足の疲労をとることを優先しました。グランプリに出る目的としては、標準は切っていますが一応ポイントも稼いでおくためでした。なのでグランプリを回避したからにはポイント関係なしに絶対日本選手権(の3位以内)で決めるぞ、と。そこにしっかり気持ちを切り替えて、まずは1カ月間でもう一度体づくりをしようという方針でした。

――関カレから日本選手権までのことは部員日記でも触れていましたが、苦しい期間だったのでしょうか

 3位以内を狙いすぎてしまうと、結果的に下位に終わってしまうことがあると思っていました。またタイム的にも全然優勝を狙えると思っていたので「優勝を絶対狙っていく」という目標にはしていました。でもやっぱりどこかで「絶対3位以内に入らないと」という気持ちがあって。どちらかというと優勝よりは3位以内を狙っていたのかなと、結局走っている最中に思っていたのと、走り終わった後に「ああやっぱりか」と思ってしまって。まだ『勝つ』イメージができていなかったのかなと思います。

――レース中にも3位以内というのが浮かんできたのですか

 思っていたより周りが前半からタイムを狙いにいっていたのもあって。気にせず自分のレースを進めればよかったのですが、前半周りがいったことで、自分がいつもより遅いのかと焦ってしまいました。4台目くらいまでは良かったのですが、いつもだったら余裕を持って後半につなげられるところを、5、6、7台目で「やばい」と思って。「3位以内を絶対死守しなきゃ」と力んで、結果的に自分の持ち味の後半につながりませんでした。

――やはり前半から周りも飛ばして、五輪のための順位もかかっていて、いつもとは違うレースだったと

 五輪がかかっている日本選手権ということで、やっぱり昨年の日本選手権の緊張感とは全然違いました。あの緊張感を味わったらもう緊張しないかなと思っていたのですが、やっぱり標準記録を切っていてチャンスがある状態で臨むことが、どれだけプレッシャーがかかるかというか。日本選手権前の一週間とかは特に体がうまく動いてくれなかったり、このままで大丈夫なのか、という不安がすごく大きかったです。実際、予選のアップからも体が思うように動いてくれていなくて、若干「なんか緩いな」と。予選がしっかり走れたので少しは安心したのですが、やっぱり調子のいいときの動きと若干違ったので、その不安が(決勝)レースにつながってしまったのかなと思います。

早稲田スポーツ新聞会(取材・編集 及川知世、布村果暖)

◆山内大夢(やまうち・ひろむ)

1999(平11)年8月24日生まれ。178センチ。福島・会津高出身。スポーツ科学部4年。自己ベスト:男子400メートル障害48秒84(2021年5月東京五輪テスト大会)

【陸上男子400m障害放送予定】
予選
日時:7/30 11:25
放送:フジテレビ
準決勝
日時:8/1 21:05
決勝
日時:8/3 12:20
放送:TBS 
インターネットLIVE中継
https://gorin.jp/game/ATHM400MHURD----------/

後編に続く↓

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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