【新日本プロレス】「まだ、走り切っていないです」“秘密基地”で飯伏幸太に直撃!

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【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

4.29鹿児島大会で、復活を遂げた飯伏幸太。今回も、秘密基地と言われる専用道場にお邪魔して、1.4東京ドームに二冠王者となって以降、怒涛の渦が巻き起こった二回王座統一〜IWGP世界ヘビー級王座誕生まで、激動の3か月間を振り返る特別インタビュー! 必読の後編!

撮影/タイコウクニヨシ

※以下、インタビューの「序盤部分」をSportsNaviで無料公開! 

初代というのはなんでもうれしいですけど。わりとジュニア時代から、自分の中では、いろいろ変えてきたつもりではいるので

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――さて、飯伏選手。前回もお話したように、今回の二冠王座統一〜IWGP世界ヘビーの新設は、さまざまな議論が巻き起こりました。

飯伏 ハイ。
 
――いずれにせよ、新日本プロレスの歴史を大きく変えた分岐点だったと思います。飯伏選手はその渦中のド真ん中に立っていたわけですけど。

飯伏 そうですね。自分の希望では、「第73代IWGPヘビー級王者と、第27代IWGPインターコンチネンタル王者であっての、初代IWGP世界ヘビー級王者でありたい」という主張もしてたんですけど。どうしてもIWGPヘビーとインターコンチがなくなってしまうと、IWGP世界ヘビー級王座の色が強くなってしまうので、「そこは合体した方がいいかな」と。

――なるほど。

飯伏 自分の気持ちでは、あくまでIWGPヘビーとインターコンチありきのベルトという気持ちがあると。それが一つになってさらにパワーアップしたのが、IWGP世界ヘビーのベルトだと思っているので。

――そこは強調したいと。このIWGP世界ヘビーのベルトは、歴代のベルトのデザインを継承しています。いろんな意見がありましたけど、デザイン的にはいかがでしたか?

飯伏 いや、ボクはべつにデザインに関しては…。これはボクの持ってるイメージなんですけど、ベルトって基本的に丸いものが“ザ・ベルト”って感じがすると思うんですよ。

――たしかにそうですね。

飯伏 なので、最初に見たときに丸くはなかったので、「おおっ! これが新しいベルトなのか!」と思いました。デザインに関していえば、そこは時間が経てばみんな受け入れられるのかなと思ってます。

――そういう意味では、すでにかなり受け入れられてきている気もしますね。

飯伏 あ、受け入れられてますか? 

――いま(ウィル・)オスプレイ選手がベルトを持っている時の反応を見ると、すでに違和感がなくなってきている感じがします。

飯伏 やっぱり時間が経つとそうなるんですかね。

――ただ、最初に新しいベルトを持った時の飯伏選手の画を観た時に、「新しい時代が来たな!」と思いましたし、“初代王者・飯伏幸太”というのは強烈な印象がありました。

飯伏 ああ、それはうれしいですね。初代というのはなんでもうれしいですけど。わりとジュニア時代から、自分の中では、いろいろ変えてきたつもりではいるので。

――いろいろ変えてきた自負があると。

飯伏 ええ。ボクが新日本プロレスに参戦しはじめた頃は、ジュニアのタイトルマッチが東京ドームの前半でよく組まれていて、そこは「エッ?」って思うことがあって。それをセミ前とか第6試合とかにグッと持ち上げていったんで。デヴィちゃん(プリンス・デヴィット/現・フィン・ベイラー WWE所属)とか、あのへんとやっていた時に。

――たしかに2014年の1.4東京ドームでは、飯伏選手とプリンス・デヴィット選手のタイトルマッチがセミ前に組まれました。

飯伏 そのへんは自分の中でも「変えてきたかな」と思ってます。

――そして、ヘビー級王座の大きなターニングポイントでも、飯伏幸太選手が大きく関わることになったと。

飯伏 ちょっと冷静に考えるとまだそこは怖いですし、恐怖感もありますけど。いま振り返ると「よかったかな」とも思いますね。

――この新日本の約50年の歴史の中で、今後も必ずピックアップされる、大きく刻まれる出来事だと思います。

飯伏 凄いですよね。それは、単純にうれしいです。二番目じゃなく、やっぱり“初代”っていうのは意味合いが違いますから。

あの試合は、ボクが偏りすぎましたね。自分のフィジカルをほぼ使わず、「逆でいこう」と思ったんです。

【新日本プロレスリング株式会社】

――そして、IWGP世界ヘビーの初防衛戦として、4.4両国で『NEW JAPAN CUP』覇者のウィル・オスプレイ選手を迎撃しました。結果は王座陥落となってしまいましたが、あの試合をあらためて振り返っていかがですか?

飯伏 うーん。あの試合は、ボクが偏りすぎましたね。

――偏りすぎたというのは?

飯伏 17年のプロレス人生ですけど、あの試合は、自分のフィジカルをほぼ使わず、「逆でいこう」と思ったんです。フィジカル面じゃなく、“プロレスの頭”を使っていこうとしたら、オスプレイも最初はそこに乗ってきたんですけど、途中から変わってきて、そこは彼の“瞬発能力”を感じました。そこにボクが「オッ!?」となって、うまく乗っていけなかったというか、彼の瞬発能力が想像した以上のものだったんで。瞬発力とは違うんですけど。

――瞬発能力と瞬発力は違うと?

飯伏 もちろん、見た目の瞬発力もありますけど、彼の瞬発能力が自分とは違いましたね。ハイ。

――飯伏選手が戦前、予想していたオスプレイとも違いましたか?

飯伏 全然違いました。体重が重くなっただけでなく、たしかにいままでと違うオスプレイがいましたね。

――これは最近、他のメディアでも発言されていましたが、飯伏選手はずっと足をケガされていたそうですね。それはいつのことでしょうか?

飯伏 1.4東京ドームの内藤(哲也)戦です……。






※この後は、足のケガの状況、「一度くらい防衛したかった」、「邪神」と言われたオカダ・カズチカについて、「一番気になる男」ジェフ・コブについても言及!
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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