歴史から考えるコロナ禍後のスポーツビジネスの世界 (前編)
【© GIRAVANZ】
1. 甚大なダメージを受けるスポーツ市場
新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の影響で社会が一変した2020年、コロナ禍の影響を最も受けてきた業界の一つがスポーツ業界ではないだろうか。東京オリンピック・パラリンピックが1年間延期となったことをはじめ、国際大会や各国のプロスポーツリーグが軒並み中止・延期となり、一時期は地球上からほとんどのスポーツ興行が消えるという前代未聞の事態となった。
一方で、日本では政府が発令した緊急事態宣言が解除されて以降はプロ野球・Jリーグをはじめプロスポーツリーグが無観客にてリーグが再開され、その後は、徐々に入場者数制限も緩和されることとなった。海外でも、野球の台湾職業棒球やサッカーのドイツBundesligaを皮切りに、各国プロスポーツリーグが再開されてきた。東京オリンピック・パラリンピックに関しては、2020年11月の菅総理大臣と国際オリンピック委員会バッハ会長との会談にて有観客での実施の方針が確認されるなど、明るい兆しは見えている。また、COVID-19ワクチンの開発が急ピッチで進み、英国・米国から接種も開始された。2021年は希望のある年となりそうだ。
とはいえ、スポーツ業界が受けたダメージは甚大だ。関西大学の宮本勝浩名誉教授の分析によると、国内プロスポーツ界の受けた経済的損失は2020年1-6月の半年間だけでも約1,270億円にも上っており、これを取り返すのは容易なことではない。また、国内/世界経済への甚大な打撃の影響は引き続き残り続けることから事業環境は未だに不透明な状況にある。
II. コロナ禍を経て、スポーツ市場に何が起こるのか
1. 歴史から変化を考える
コロナ禍が始まって以降、社会が変わる・人々の価値観や行動が変わると盛んに叫ばれてきた。例えば、スポーツについては、密を避けるためにスタジアム・アリーナのような大人数が集まる場所で観戦するスタイルは廃れるといった議論、すなわち満員のスタジアム・アリーナを作り出すことを目標とした従来のスポーツ興行のビジネスモデルが根本的に変わるのではないかといった意見も見られた。確かにコロナ禍下では密を避けたオンライン等での観戦が大いに行われた。しかし、コロナ禍は永遠に続くわけでなく、いつかは収束するわけであり、収束後も人々がスタジアム・アリーナへ足を運ぶのを避け続けるかは疑問である。スポーツの未来を考えるうえでは、コロナ禍を通じて、何が変化し、何が変化しないのかを冷静に見極めることが求められるだろう。
ではどのように見極めたら良いのだろうか。これには人類が経験した過去のパンデミックにおける社会の動きから多くのヒントを得られるものと考える。実際、歴史を紐解くと、大きなパンデミックの際には起きた変化と起きなかった変化があったことがわかる。
例えば、14世紀に欧州でペストが大流行し、人口の1/3-1/2が失われた際には、労働力の急減に伴い、領主と農民との力関係が崩れ封建制度が崩壊した。また、ペストを前に為す術を持たなかった教会の権威が失墜し、その後の宗教改革へと繋がった。これらは極めて大きな変化であるものの、前者については元々貨幣経済の浸透に伴って農民の力が強まっていたこと、後者については十字軍の失敗やフランス王による教皇の “バビロン捕囚” 等の教会の権威が失われるできごとが多くあったことから、ペスト禍がそれまでと全く違う変化をもたらしたというよりは、既存の流れを加速させたという方が正しいと見られている。
一方、変化が起きなかったケースもある。19世紀後半、江戸では米国のペリー艦隊が持ち込んだコレラが大流行し10-30万人が死亡した。これに伴い、コレラは開国が招いた災禍だとして、攘夷運動が大いに高まったという。しかし、結局、開国・文明開化の大きな潮流を覆すには至らなかった。
これらを踏まえると、パンデミックというものは、既存のトレンドを加速することはあれ、マクロトレンドを根底から覆すような変化までは起こしづらいといった傾向が見えてくる。
この傾向は、2003年に起きたSARS禍にも見て取ることができる。SARSが流行した中国では外出を避ける動きが高まったことでEC (Electronic Commerce: 電子商取引) が爆発的に普及し、現在のようなEC大国になる礎が築かれたといわれている。ただ、EC自体はその前から既に勃興していたので、全く新たな変化が起きたというよりはSARS禍によって普及の流れが加速したものといえよう。また、SARS禍では世界的に航空移動忌避の動きが広がったが、世界銀行の統計(※1) によると、世界の航空旅客数はその後わずか1年で再び成長軌道に戻り、その後加速度的に増加して10年間で倍増した。やはり、既存の流れは加速するものの、グローバリゼーションの進展・航空移動の増加というマクロトレンドを覆すには至らなかったのである。
コロナ禍においても、加速するトレンドが何なのか、そして変わらないマクロトレンドとは何なのかを冷静に見極め、進むべき方向性を見誤らないことが大切である。
2. コロナ禍を通じた変化とスポーツ市場への影響
図1 リモートワークによって増加した可処分時間は、一定程度スポーツに投資されることが示唆されている 【© 2020 Deloitte Tohmatsu Group.】
今回のコロナ禍を通じて加速する変化としては、リモートワークの浸透が挙げられるだろう。何故かといえば、企業側にはオフィススペース削減による固定費削減の効果が、従業員側には満員電車通勤の苦痛を回避し通勤時間を削減する効果があり、労使双方に明確な経済合理性があるからだ。リモートワーク導入の必要性はこれまでも叫ばれてきたが、経営者の理解不足や今回社会的な問題となった押印必須の決裁システム等の旧態依然とした仕組みの存在によって、遅々として進まなかった。それが今回のコロナ禍を通じて、半ば強制的に導入が進んだわけである。
パーソル総合研究所の調査(※2) によると、東京圏 (東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県) 正社員のリモートワーク実施率は、2020年3月時点では19.6%であったが、緊急事態宣言後の4月には43.5%にまで上昇した。緊急事態宣言は5月25日に全面解除されたが、その後5月下旬-6月上旬の調査でも41.1%と高い水準をキープしており、リモートワークが一気に浸透したことが示唆されている。このことはスポーツ市場にとってはプラスである。なぜなら、リモートワークによって通勤時間が削減され人々の可処分時間が増えると、そのいくらかはスポーツ実施・観戦を含む娯楽・趣味に投資されることがデータ上も明らかになっているからだ。(※3)(図1)
ただ、そうは言っても、現実としてコロナ禍のため入場者数および声出し応援が制限されたスタジアム・アリーナの客席はいかにも寂しく、また入場者数制限が緩和された後も客足の戻りが芳しくない大会やクラブもあり、本当にスポーツ市場にプラスになっているのか実感しづらいのも事実である。このことが「コロナ禍での中断期間中にファンの熱が冷めてしまったのではないか」「テレビ/オンライン観戦に慣れてしまい、現地観戦の価値を感じなくなってしまったファンが多いのではないか」と、スポーツ興行の根本的な価値についての懸念を生んでいる。
図2 1990年代より、家計消費において、モノ消費が低迷する一方、コト消費は増加してきた 【© 2020 Deloitte Tohmatsu Group.】
パンデミックは大きな潮流を覆すには至らないという傾向が今回も当てはまるとすると、このトレンドもまたコロナ禍を経てもなお継続するものと見られる。つまり、コト消費の代表例の一つであるスポーツ、特に現地観戦という究極のコト消費は、コロナ禍で一時的にはダメージを受けつつも、中長期的には再び人々の支持を得て勢いを盛り返す可能性が高いと考えられるのである。
著者:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 スポーツビジネスグループ シニアアナリスト 太田和彦
※1. Air transport, passengers carried, 世界銀行, https://data.worldbank.org/indicator/IS.AIR.PSGR
※2. 第三回・新型コロナウイルス対策によるテレワークへの影響に関する緊急調査, 株式会社パーソル総合研究所, 2020/6/11, https://rc.persol-group.co.jp/news/202006110001.html
※3. 在宅勤務に関する調査, 楽天インサイト株式会社, 2020/4/30, https://insight.rakuten.co.jp/report/20200430/
※4. 2018年度国民経済計算, 内閣府
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