ジェフ千葉を強豪に育て、日本代表の再建を託されたオシム監督。就任半年間は海外組を誰も呼ばなかったチーム作りも印象深い【写真:アフロスポーツ】
栄えある1位に輝いたのは、イビチャ・オシム監督だ。06年ドイツW杯での惨敗を受けて8月に就任。“日本代表の日本化”を掲げ、遠藤保仁と中村俊輔を中心としたチーム作りを行った。07年夏のアジアカップでは大会3連覇を逃したが、07年9月のオーストリア遠征ではスイスを撃破。いよいよW杯予選に臨むというタイミングで、07年11月に病で倒れて退任を余儀なくされた。それだけに、オシムジャパンでW杯を戦う姿が見たかったという声は少なくない。
2位には、日本代表を2度率いた岡田武史監督がランクイン。最初の就任では日本代表を初のW杯出場へと導き、2度目の就任では南アフリカW杯でチームを決勝トーナメントへと導いた。2度とも前任者の途中退任によるリリーフだったというのも興味深い。強烈なリーダーシップで、窮地のチームを指導した。
3位は、“日本代表史上最強”との呼び声が高いチームを率いたアルベルト・ザッケローニ監督だ。11年アジアカップでは攻撃的なスタイルを貫いて優勝し、各国関係者から「アジアのバルサ」と称賛された。14年ブラジルW杯は1分2敗の惨敗に終わったが、本田圭佑、長谷部誠、香川真司、遠藤保仁らが中心だったザックジャパンの人気はいまだ根強い。
4位の西野朗監督は、18年ロシアW杯のわずか2カ月前に緊急登板。0-1とリードを許していながら時間稼ぎを行ったポーランド戦や、2-0とリードしていたものの逆転負けを喫したベルギー戦など、W杯でのインパクトは強かった。
5位は、地元開催の日韓W杯を戦ったフィリップ・トルシエ監督。エキセントリックな言動も目立ったが、小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら黄金世代を重用して世代交代を敢行。日韓W杯ではベルギー、ロシアと激闘を演じ、決勝トーナメント進出を果たした。その一方、ラウンド16のトルコ戦でスタメンを大きく変更し、墓穴を掘ったのもトルシエ監督らしかった。
アジア最終予選では見事な戦略で勝ち抜き、W杯の出場権を獲得したハリルホジッチ監督。だが、その後チームは停滞し、まさかの結末を迎えた【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
6位は、選手の自主性を重んじたジーコ監督。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の“黄金の中盤”はすぐに頓挫したものの、04年のアジアカップでは激闘に次ぐ激闘の末、頂点に輝いた。しかし、06年ドイツW杯では初戦のオーストラリア戦で逆転負け。1分2敗の惨敗に終わったのは残念だった。
7位は日本代表をあと一歩で初のW杯出場まで導いたハンス・オフト監督。カズ(三浦知良)、ラモス瑠偉、柱谷哲二といった個性派メンバーをまとめ、92年アジアカップで初優勝。93年アメリカW杯アジア最終予選では、W杯出場を懸けたイラクとの最終戦でアディショナルタイムに同点ゴールを浴びてしまう――。この“ドーハの悲劇”は未来へ語り継ぐべき出来事だ。ちなみに、現日本代表監督の森保一もオフトジャパンの一員だった。
8位には、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督がランクインした。「デュエル」や「インテンシティ」など、日本サッカーの弱点とされることを強調。さらに、本田圭佑、香川真司、岡崎慎司らをメンバーから外し、久保裕也、浅野拓磨、井手口陽介ら若手を積極起用。ロシアW杯の出場権を獲得したが、本大会の開幕2カ月前に、「選手とのコミュニケーション不足」を理由に解任された。
9位は現在、日本代表を率いる森保一監督だ。サンフレッチェ広島時代にJリーグを三度制したことが評価され、18年ロシアW杯終了後に就任。初陣となったコスタリカ戦では南野拓実、堂安律、中島翔哉を起用し、世代交代を敢行した。トルシエ監督以来となる五輪代表監督も兼務する。
10位に入ったのは、ハビエル・アギーレ監督だ。14年ブラジルW杯後に就任し、15年1月のアジアカップではベスト8で敗退。スペイン時代の八百長問題も取りざたされ、契約解除となったが、練習メニューは豊富で、メリハリがあり、選手からの人気はすこぶる高かった。残念な終焉(しゅうえん)だったからこそ退任を残念がるファンも多いに違いない。
(企画構成:YOJI-GEN)