好きな日本代表監督に続き、オシム監督が連覇。就任するやいなや千葉を強豪へと変貌させた。05年にはナビスコカップ優勝を成し遂げた【Getty Images】
好きな日本代表監督に続き、ここでもイビチャ・オシム監督が1位に輝いた。たしかに日本サッカー界に与えたインパクトは、凄(すさ)まじいものがあった。03年にジェフ千葉(当時市原)の監督に就任すると、当時22歳の阿部勇樹をキャプテンに任命。後方から選手が次々と飛び出すサッカーで旋風を巻き起こした。残留争いに巻き込まれることの多かったチームは瞬く間に強くなり、優勝争いを展開。03年7月に行なわれたジュビロ磐田との激闘は今でも語り草だ。シニカルな言い回しで哲学を語る“オシム語録”も好評だった。
2位は“ピクシー”ことドラガン・ストイコビッチ監督だ。言わずと知れた名古屋グランパスのレジェンドで、選手として2度、天皇杯優勝を経験。01年夏に現役を引退し、08年に古巣の監督として帰還すると、10年にリーグ優勝を成し遂げた。選手としてJリーグのピッチに立ち、指揮官として優勝を経験したのは、浦和レッズのギド・ブッフバルト監督に続き、ふたり目の快挙だった。
3位には、元日本代表監督の岡田武史氏がランクイン。98年フランスW杯後に日本代表監督を退任すると、当時J2のコンサドーレ札幌の監督に就任。その進路も驚きだったが、2年後にJ1に昇格させると、03年には横浜F・マリノスの監督に就任。いきなり両ステージ制覇を成し遂げて名門を復活させると、04年には連覇を達成。勝負師の力量を見せつけた。
4位は、柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋で指揮を執った西野朗監督だ。柏時代の99年にナビスコカップを制して自身初のタイトルを獲得。02年にG大阪の監督に着任すると、11年までの10年間でリーグ、ナビスコカップ、二度の天皇杯と4つのビッグタイトルを勝ち取った。J1の監督として通算勝利数270は歴代1位の記録だ。
5位には、“ミシャ”の愛称で知られるミハイロ・ペトロヴィッチ監督が入った。“ミシャ式”と呼ばれる3-4-2-1の可変システムを駆使し、のちにリーグを3度制すサンフレッチェ広島の基盤を作ると、12年から率いた浦和レッズでは16年のルヴァンカップで優勝。18年から率いる札幌では19年にチームをルヴァンカップの決勝へと導いた。また、シュトルム・グラーツ時代にはオシム監督のもとでコーチを務めていたことでも知られる。
ストイコビッチを再生させ、名古屋にタイトルをもたらしたベンゲル監督。小倉隆史、平野孝、岡山哲也らの若い攻撃陣もいきいきとプレーしていた【岡沢克郎/アフロ】
6位にランクインしたのは、世界的な名将、アーセン・ベンゲル監督だ。日本で指揮を執ったのは95年からわずか1年半だったが、そのインパクトは衝撃的だった。2年連続して最下位争いをしていた名古屋にやって来ると、ストイコビッチを中心としたコレクティブでスピーディなサッカーを展開。リーグ戦は優勝を逃したが、天皇杯で昇華した。もっとも、ベンゲル監督の本当の凄さを知るのは、日本を去ってからかもしれない。96年秋にアーセナルの監督に就任すると、北ロンドンの古豪を復活させるのだ。その後ベンゲル監督は、18年夏までアーセナルの指揮を執った。
7位は、川崎フロンターレと名古屋を率いた風間八宏監督だ。どちらのチームでもタイトル獲得は成らなかったが、選手の技術を飛躍的に向上させた。とりわけ川崎F時代には大久保嘉人を復活させ、小林悠を一人前のストライカーへと育てた。
その風間監督の後任として川崎Fの監督に就任した鬼木達監督が8位に入った。17年、18年のリーグ連覇時は、風間監督の築いたベースをうまく引き継ぎ、モチベーターの印象が強かったが、首位を独走する今シーズンは、チームを戦術面で変化させ、無類の強さを誇るチームに進化させた。その手腕は本物だろう。
9位は、日本人監督として唯一、3冠を成し遂げた長谷川健太監督だ。05年から6年間率いた清水エスパルスではカップ戦で3度の準優勝に終わるなど、“シルバーコレクター”と揶揄(やゆ)されたが、13年から率いたG大阪では13年にJ2優勝を果たすと、14年には3冠達成。15年も天皇杯を制した。現在率いるFC東京でも昨季、最後まで優勝争いを続けるなど、結果を残している。
10位には、“ボス”ことアンジェ・ポステコグルー監督が入った。横浜FMの監督に就任した18年は残留争いに巻き込まれもしたが、2年目の昨シーズンはサイドバックが中盤の中央でプレーするポジショナルサッカーが開花。仲川輝人やマルコス・ジュニオール、エリキ、マテウスらの豪華攻撃陣も躍動し、最後は7連勝とまくって逆転優勝を飾った。